June 18, 2009

或休日を過ごしたこと

日がな一日音楽をかけて、窓を開けて部屋に自然光と空気を取り入れ、寝っころがっていた。

ブログになにか書こうとしてはやめて、というのを2回くらいした。

すべて葉が落ちてしまったガジュマル(一ヶ月の留守で監督不行届のため)が根ぐされのためとみられるので植え換えた。今は細い枝が二本土から突き出ているといった体。ここから復活するのかはわからないけど、ガジュマルの生命力にかける。
緊急だったので、向日葵(留守中に増えていた)の鉢を横取りしたため、向日葵は今黒のビニールカップのまま。明日鉢を買ってきてやる。
植物が全体的にひどい状態にあったので、謝った(割と植物には話しかける方だ)。

そんなんでいつの間にかうつらうつらして、夕方になってしまったので散歩を諦めた。
昨日ころんだことによる脚の青いのがなんとなく怪我人のような気分にさせる。

PC内の音楽をシャッフルにして聞いていて、音楽っていいなあと思う。
ヘッドフォンは実家に置いてきてしまったのだが、ヘッドフォンで聞くと、音の作り方(及び録り方)の丁寧さがはっきりわかる。
聞いた中ではtelefon tel aviv、くるりや椎名林檎・東京事変は音の作りこみやきめが細かい。
telefon tel avivは、グリッチノイズが結構楽しめるようになった。

気ままな休日。


寺山修司の「ポケットに名言を」をぱらぱら読む。
引用。

女性というものは愛されるためにあるのであって、理解されるためにあるのではない。
―――――――オスカー・ワイルド「語録」


ふるさとは遠きにありて想ふもの
そしてかなしく歌ふもの
かへるところにあるまじや
―――――――室生犀星


悲劇的ではなく、
        やけつくようなやつさ
革命に
   必要な
      リズムとは!
―――――――E・A・エフトゥシェンコ「革命とパチャンガ」


必要はもっとも確実なる理想である。
―――――――石川啄木「時代閉塞の現代」


歴史認識とは――しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶えだ。
―――――――小林秀雄


Jazz and Freedom go hand in hand.
―――――――セロニアス・モンク


ナタナエルよ、さあ、今度はいよいよ僕の本を捨て給え。そこから脱け出し給え。僕と別れ給え。
―――――――アンドレ・ジイド「地上の糧」


国破れて山河あり
城春にして草木深し
―――――――杜甫「春望詩」


「・・・したい」などという心はみな捨てる。その代りに、「・・・すべきだ」ということを自分の基本原理にする。そうだ、ほんとうにそうすべきだ。
―――――――三島由紀夫「剣」


「いまぼくがひたすら望んでいることは――存在すること(to be)なのだ。どうか忘れないでほしいが、この不定詞は中国語では<他動詞>なんだよ」
―――――――ヘンリー・ミラー「南回帰線」


花に嵐の例えもあるさ
さよならだけが人生だ
―――――――井伏鱒二「詩集」


人びとは、いわばひとつのことばをスクラップすることによって、それを処理しおえたと信じこむ。しかし、ある真理をかたづけることはある商品をかたづけることほどに、たやすくない。
―――――――エンツェンスベルガー「政治と犯罪」

No comments:

Post a Comment