June 18, 2009

ろまん燈篭

太宰治「ろまん燈篭」より

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王子は、やっぱり、しんからラプンツェルを愛していました。
ラ プンツェルの顔や姿の美しさ、または、ちがう環境に育った花の、もの珍らしさ、或いは、どこやら憐憫を誘うような、あわれな盲目の無智、それらの事がらに のみ魅かれて王子が夢中で愛撫しているだけの話で、精神的な高い共鳴と信頼から生れた愛情でもなし、また、お互い同じ祖先の血筋を感じ合い、同じ宿命に殉 じましょうという深い諦念と理解に結ばれた愛情でもないという理由から、この王子の愛情の本質を矢鱈に狐疑するのも、いけない事です。
王子は、心からラプンツェルを可愛いと思っているのです。
仕様の無いほど好きなのです。
ただ、好きなのです。
それで、いいではありませんか。
純粋な愛情とは、そんなものです。
女性が、心の底で、こっそり求めているものも、そのような、ひたむきな正直な好意以外のものでは無いと思います。
精神的な高い信頼だの、同じ宿命に殉じるだのと言っても、お互い、きらいだったら滅茶滅茶です。
なんにも、なりやしません。
何だか好きなところがあるからこそ、精神的だの、宿命だのという気障な言葉も、本当らしく聞えて来るだけの話です。
そんな言葉は、互いの好意の氾濫を整理する為か、或いは、情熱の行いの反省、弁解の為に用いられているだけなのです。
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一理。



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自分が、まだ、ひとに可愛がられる資格があると自惚れることの出来る間は、生き甲斐もあり、この世も楽しい。
それは当り前の事であります。
けれども、もう自分には、ひとに可愛がられる資格が無いという、はっきりした自覚を持っていながらも、ひとは、生きて行かなければならぬものであります。
ひとに「愛される資格」が無くっても、ひとを「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります。
ひとの真の謙虚とは、その、愛するよろこびを知ることだと思います。
愛されるよろこびだけを求めているのは、それこそ野蛮な、無智な仕業だと思います。
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