June 27, 2009

木も河も

きもい、という言葉が褒め言葉である件について。
何にせよそんなにいい言葉ではない、多分。以下頻出するが気分を悪くされないようお願いしたい。

この言葉というのは、ご存知の通り「気持ち悪い」の略語として誕生したのであるが、ただ少しニュアンスが変わってきているなという印象。
でも相変わらず、「きもい」と言われたら、ええ、気持ち悪いの、とショックを受ける層もあるだろうし、というかそっちの方が多数派なのかもしれない。関東と関西で「馬鹿」という言葉の意味が異なるのと似ている。関西ではショックが大きいというよく聞く話。
私 とかは妹とかが使うので慣れた。ていうか私自身たまに言われるので慣れた。言われてわかるのは、あの言葉って結構軽いのだ。あいつら結構気軽に使うのだ。 たとえば数学とか教えていて、姉ちゃんすげーみたいな言葉のあとに「きもい」とか言うのだ。傷ついた、と言えばごめんそうじゃなくて、となる。そういう用 法らしい。

その、少しニュアンスが変わってきてるなと思ったのは、やはり「きもかわいい」という言葉の出現による。きもいけど、かわいい。むしろきもいところがかわいい。つまりはきもいということが一つの個性として認められ、それがなんとなく可愛くみえてきた、そんな感性。

一 般にどう使われているかサンプルとったわけではないので、もう主観甚だしいけれども。私が、おおきもいな、と思う時は大抵「すごいな」のニュアンスを含ん でいる。なんかすごすぎて、それが最早きもいのである。のめり込み過ぎている人、とか、才能が突出している人、とかいうのは、なんかよくわかんないけどす ごすぎるわ、という意味で、人間離れしている、という意味で、きもいのである。気持ち悪いくらいすごいね、という意味で使っている。勿論私はそういう人た ちが大好きである。

勿論、本来の、「気持ち悪い」という意味での用法も生きているとは思うのだが、そもそもそんな意味で使うのは私の趣味ではなくて、大体上述のようなニュアンスで使っている。
そもそもね、そんなこといったら人間なんてみんなきもいのである。

で、小林賢太郎がきもかっこいいというのはそういうこと。なんかすごい。すごくてきもい。きもいところがかっこいい。


余談。
昔、かわいいという言葉がかっこいいという言葉よりもプラスのニュアンスを含んでいるという説を唱えたことがあって。若手弁護士の人たちと飲んだ時にそれを言ったらそれ少数説でしょ、読まなくていい説でしょ、と予備校ライクなことを言われたわけだが、私の中では根強い。
かわいいは愛の対象で、かっこいいは恋の対象である人に使われるのではなかろうかという仮説。異性について使う時。
そ もそも、ずっとかっこいい人なんていないわけで。絶対かっこわるいところがあって。しかし、かっこわるいというのはかっこいいとは相反するけれども、かわ いいには内包されたりもするわけで。だってきもいところがかわいくもなるわけだから、このかわいいという概念はものすごく広い。懐が深い。
つま り、かっこいいの方が確かに希少性はあるんだけれども、かわいいの方が真理であって愛なのだと思う。そしてかっこいいというのは慣れるとあんまりかっこよ くなくなる気がする。(ただ、その一過性のかっこいいを追求していくのもまたよい。かっこいいものもそれはそれで好きである。)

女子高生の使う「かわいい」が話題になったことがあったけれども、私はそれを是としたい。べつに山がかわいくてもパプリカがかわいくてもなんでもいいけど、それはいい感性だと思う。荒んでいない。豊かにすら感じる。

私と妹は、古田新太が押し入れで泣いている姿を、強烈にかわいいと思った。心打たれた。あのおじさんの武器はそこである。おじさんなのにかわいい。おじさんだからかわいい。長州小力にも同じことが言えよう。賛否両論あるのは承知している。あくまで私の感性で。


というなにがしかの主張を縷々。
結局のところ、言いたかったのは、誤解しないでくれということだ。

小林賢太郎テレビ

先日、NHKのBS-hiで「小林賢太郎テレビ」というのがあった。

小林賢太郎といえば、ラーメンズの脳というか、片桐仁と共に時代を先ゆくアーティスティックな笑いのプレゼンターであるが、妹がこの人を「小林さん」と呼んで非常に敬愛している。たまに「コバケン」と言う。私は「ケンコバ」と間違える。ので、小林さんでお願いしている。

かく言う私も高校生の頃継続して見ていたテレビ番組は「爆笑オンエアバトル」のみで、あの時代の新人お笑い芸人はまあまあ把握しているのだが、ラーメンズは異色で、知的だった。なのにラーメンズって、と思っていた。
基 本的にオンエアバトルというのは観客の投票により上位5組のみがオンエアされるがそれ以外は脱落する、というシステムの番組で、ほとんど東京で収録されて いるのだけど、たまに地方収録がある。それで、東京での収録だとラーメンズは通るのだけど、大阪とかだと難しい。そういう類の笑いである。某tubeには いろいろある。是非観ていただきたい。もしかしたらお笑いの中でいちばん好きなコンビである。「日本の形」シリーズとか「金部」とか「日本語学校アメリカ 編」とか「たかしと父さん(オンバトver.)」とかいい。


最近はとんとテレビには出ず、たまにCMに出るくらいのもので、大体活動は公演形式らしい。友人に「FLAT」と「雀」という公演はDVDを貸してもらって見た。
公演は基本的にラーメンズファンしか来てないので、雰囲気がいい。


それで、小林賢太郎テレビ、というのがやっていた。一昨日かな。
基本的にはテレビ用に作ったコント集の合間にインタビュー、仕事風景。この人の仕事場はすごくいい。黒板がある。糸鋸とかもある。
私はあの手の計算されたことが好きで、たとえばピタゴラ装置なんかにすごく感動してしまうタイプの人間で。それでなかなかよかったという話。
妹なんかは「かっこいい」「すごい」「きもい」を、コント以外のインタビューのところでも発していた。そう、彼はきもかっこいい、と思う。この場合、きもいは褒め言葉である。

「0から1は無理ですけど、0から0.1ならなんとか作れるんですよ。それを10かい繰り返せばいいっていう」
「もともと人を笑わせるタイプじゃなかった人が、一生懸命考えて作ってる」
「できたぁー」

で、再放送が22日(日)17時~。
よろしければ是非。

外見について

2月12日(木)のほぼ日「今日のダーリン」で、こんなのがあった。
以下引用。

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静かに「あさりなっとうしめじスパゲティ」などを
食べているときのことでした。
ふと、ずっと長い間ショートヘアの家人が、
長い髪の女になったらどうなんだろうと思いまして。

他人のようにさえ思えるかもしれない。
本人にしても、ロングヘアになって暮らすのは、
人生やりなおしという感じなのではないか。

(中略)

女性が「髪の短い女」として生きていくか、
「髪の長い女」として生きていくかというのは、
かなりの、大きな分岐点になるのではないでしょうか。
それとも、長くしたり短くしたり、どっちでもいいのか?
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私は絶対長くする、という人も、いや短い方が性にあってる、という人もいるのであろうけど、わたしは、おそらく、どっちでもいいんだと思う。
短い方が似合っていると思うけど、彼氏がのばせと言ったらのばしていたし、美容師さんがこの長さにしたいなぁと言えば、じゃあそれで、となることもある。
まあ短い方がいいな。じゃまじゃない。顔とか身長にもその方が合っているとは思う。

糸井さんの奥さんは樋口可南子さんだから、なんだかずっと髪の短い人、というイメージがあるけれど、髪型というのは結構変わる人も多い気がする、女性の場合。
でもまあある年齢を超えると、大体固まってくる気はたしかにする。


妹は高校生の半ばからアメリカに留学していたのだが、そこの学校がミッション系のなかなかに保守的なところで、いろいろ変わった校則があった。デートは立会人を入れて3人ですることとか、女性はロングスカートでなければならないとか、肘より長い丈の上着を着ることとか。
その中で、女性は髪を切ってはいけない、というのがあった。
聖書に切るなと書いてあるわけではないのだけど、長い髪は女の誉れ、みたいな箇所があるのだそうだ。その当時髪の短い女性は遊女だったという歴史もあるらしい。

それで彼女は郷に従い、髪を長く伸ばしていた。ものすごく、大変そうだった。好むと好まざるとにかかわらず、そんな場合もあるのだ。


確 かに、年齢を重ねるごとにだんだん固定化していく気はして。髪の長い女として生きるのか、短い女として生きるのかは、どこかの時点で分かれていて、長い方 の人に共通することと、短い方の人に共通することというのはあるのかもしれない。あるのかもしれないけれど、髪のいいところは切っても伸びるということ、 取り返しがつく(少なくとも一生そのままではない)ということなのだから、まあどちらも選べるし、結局決めなくてもいい。

糸井さんの奥さんは、「そんなでもないんじゃない?」と言ったそうな。


外見に関して、こういう風にいこう、と決めることというのがあるかというと、あるとも思えるし特にない気もする。
芸 能人というのは、キャラクターを立たせることが必要だから、やっぱりあるんだろうなと思うけれど、普通に生活している人たちというのは、どちらかといえば 会う相手だとかTPOだとか、そういうのに合わせるものじゃないかしら。ズボンだってスカートだってそれなりに適切にはくんじゃないかしら。ジャケット だってパーカーだって、ブーツだってスニーカーだって。

いや、そういうことじゃなくて、もしや割合の問題か。それかTPOに制約条件がないときの話か。
ファッション雑誌とかにはタイプ別で着回し例が載っている。大抵クールとフェミニンとか、大人系と可愛い系とか、外回り系と内勤系とかだ。それか?最後のはなんか違うな。

確かに、自分の外見をコントロールするというのは、興味深いことかもしれない。それを決める時って、自分の好みや性格なんかの内面をよく見て、自分に合っているか確かめて、自分をよりよく表現する手段を選んでいるのかもしれない。
現代の日本においては、おそらく大体の人が服を買える状況にあるのだから、積極性の程度はあるにしろ、こう見てくれ、という他者に向けた表示ではある。服に気を遣っていないという人も、積極的ではないにしろ、服に気を遣っていない自分を表示している。

そ して、AS ISとTO BEじゃないけれど、そうである自分を表現するときと、ありたい・あるべき自分を表現するときがある気がする。卑近すぎて恐縮な自身の例で言えば、グレー のパーカーを羽織っているときはAS ISで、黒のストライプのジャケットを羽織っているときはTO BEな感じがする。また背のびの話だ。
ありたい・あるべき自分ばかりを表現している人もいれば、あるがままの自分を表現し続けてる人もあるだろう。志向性の違い。

時があること。好むものとわかること。

以前にも書いたけれども、聖書にこんな文句がある。

「天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。」
(伝道者の書3章1節)


時があるのだよなぁと思う。皆そう思っている。

少し話は違うのかもしれないが、植物をすごくいとおしいと思う時期がある。その中でも、特に花が好きな時期もあれば、木が好きな時期もある。かといって、植物に興味を示さなくなる時もある。

空が好きな時期もある。雲を見ていたら2時間経っていたなんてこともある。かといって、毎日空や雲ばかり見たい日というわけでもない。

音 楽にもそんな風なものがある。椎名林檎なんかをじっくり聞いて感嘆する時期もあれば、五月蝿く思ってハラカミおじさんのかわいらしさにノスタルジックな日 もあるし、それをまたつまらなく感じてハルカリの身の丈感にすっきりする時もあれば、少し疲れてジャズが染み入る時もあり。


好むものはある程度決まっているのだけど(つまりなんでも良いわけではないのだけど)、こんな風に好きなものが変わる、というのは、つまり気分が変わっているのだろうと思う。
そして個人差はあるけれども、ある一定の対応があり得る気がする。
つまり、アンビエントを好む時の気分というのは、あまり元気ではない気がする。少なくとも落ち着いている。落ち着いちゃっている。
テクノを聴ける時というのは、心に余裕のある時だとも思う。
しっとりしたジャズを本当にいいなあと思う時というのは、少し疲れている気がする。大人がジャズを好むのは、ちょっと疲れているからではないだろうか。いや、ジャズはそんなのばっかりではないんだけれども。

植物も空も、すごく感動的に見えるときというのは、何か悲しい気分だったりとか、何かに追われていたのを我に返る時だったりとか、する。

いや、超個人的感想だな。
なんだか落ち着いちゃっているし、アンニュイだし、少し悲しいここ最近の自分のデフォルトが出ているというだけの話かもしれん。
たとえば昔ジャズをおとなしく聴けなかったのは、単に疲れていなかっただけなのかもしれない、とかは思う。


それで、時があるという話。
何かをわかるのに時がある。
わ かりたいと思って努力しても、わからない時はわからないものだったりする。物事には順序があるし、何かをわかるには経験が必要で、それらが全部そろった時 に腹落ちするというものだ。最近では「信じる」ということがそうだった。「自分」というのもだんだんわかってきた(一般的な「自分」ではなくて、ごく個人 的な「自分」について)。

私たちはいろんなことをいつもわかりたいけれど、そしていろんなものを集めてはつなげたりするのだけど、結局、自分という人間に深く関わっている何かの経験でしか腹には落とし込めない。
と、こういうことを考えていると、「こころ」から引用した、先生と私とのやりとりが少し興味深いのである(3番目の引用)。
その思想を生み出した先生の過去とセットで知りたいのだ、という話。
自身の過去というのはあまり明け透けにはできないもので、なぜかといえば、それはなんとはなしに恥ずかしいからであり、たとえばその過去を話すことによりその抽象化したあるいは抽出した思想が陳腐化するということを恐れるからかもしれない。

サ イトでもメールでも口頭でも関係なく、何か自分の体験を話すというのは、ある程度コミットしていないと話せないと思う。何かの考えを話すことよりも。何か の考えの元になるような体験であればこそ、そうなる。緑茶を飲むようになった経緯だとか、ジャズを聴くようになった経緯とかは全然問題なく話せる。信じる ことを考えるに至った経緯の方が話しにくい。
汎用性が低くて相手の役には立たないだろうと思うのか、身の上話みたいになってしまうのが嫌なのか、個人的すぎて恥ずかしいのか。大体において、そういう考えを深めるようなインパクトのある体験というのは何かしら(本人にとって)深刻な面をもっているのかもしれない。


そんなこんなで時がある。
私も随分変わった気がする。昔のブログの記事を読んでいると、少しそう思う。
それで、最近演歌いいなあと思っているという話。

光も影も「さす」こととか

努力は「実る」
恋には「落ちる」
愛は「育む」
音楽は「流れる」 
心は「はずむ」し、「踊る」
耳は「澄ます」

言葉というものは元々は表現であるけれども、私たちは言葉に慣れて、反射的に、音楽は流れるものとして使っている。
慣用句としてすら挙げられなくなってしまっているものは意外に多いのではないか。とか思ったこと。

詩や小説を書く人達は、こういう何かと動詞、あるいは形容詞、つまり何かと何かの組み合わせを一つ比喩でも作るように組み合わせて、新しい表現を、しっくりくる組み合わせを探しているように見える。
たとえば江國香織は、ひっそりした横顔、たっぷりとしたコーヒーカップ、を発見し、目をほどいて笑ったり、くっきりと笑ったりする女の人を描いた。

さて、いい土曜日。
コーヒーでも飲みに。

背のびのこと

ちょっと前まで、結構背のびをしていたなぁと思う。
多分これからもするだろう。

たとえばジャズは、私にとって背のびだった。
今 は、詳しくはないにせよジャズいいなぁと思えるようになったけれど、初めて聴いたときは、聴きどころがいまいちわからなくて。つまりポップスやロックやク ラシックなんかは慣れているから、多分自然と聴くポイントというのが自分なりにあったのだと思う、たとえば声がいいなとか、バイオリンの流れるような音が いいとか、まあいまいち表現しにくいけれど。

ところがジャズときたら私の幼少期には触れたこともない音楽で。別に父も母もジャズを聴かないし、友人だって聴かないし、ジャズの流れる店にもいかないし。
私 の場合はEGO-WRAPPIN'が入口だった、今にして思えば。あれは格好良かったし、割にすんなり来た。ポップスぽくもありボサノヴァぽくもありロッ クな感じもあり、なんというか、まさにジャズへの入り口的な音楽だと思う。ジャズとカテゴライズされるかどうかはよくわからないけど。

ともあれ、ジャズっていうのは敷居が高いと思う。イメージがそもそも、「大人」「バー」「気障」「おっさん」「黒人」「お洒落」「ウイスキー」とかそのへんだ。

大学2年くらいのときに、同じサークルに一人でバーに飲みに行っちゃう文学部の女の子がいた。
彼 女ともう一人服ばかり高いことでサークルでは有名な先輩とで「Nの会」というのを結成していたのだが(単にN響の定期公演を年間チケット買って毎月聴きに 行き、帰りにご飯を食べるだけの会。学生だと席は遠いが一回1000円くらいで聴けてしまう。ABCの三つのコースみたいのがあって、Bだけサントリー ホールでなんか豪華だがACはNHKホールで指揮もだいたいデュポワさんとかで、しかしBはいっぱいだったため断念した。)、その女の子にN響帰りに貸さ れたのがオスカー・ピーターソンの「愛とバラの日々」で。
若かった私は、「Fly me to the moon」くらいしか聞かずに返してしまった(今でもこの曲は大分好き)。
しかし後々良さがわかる。かくしてジャズといえばオスカー・ピーターソン、ジャズといえばピアノになった。


もう一つ背のびをしたのが院時代で、これも年上の友人から、これ!というジャズの名曲ばかりをいくつか教えてもらい、聴いた。
院に入ってから、ジャズのかかる店に連れて行かれたりすることが少し増えて、なじめるようになったのかもしれない。この頃から好んでジャズを聴く。

それからジャズ喫茶にいくつか行き、結局中野新橋の「ジニアス」でゆっくりジャズを聴くことに背のびなしで幸福を見出すようになった。

生演奏で印象的だったのは、自分では絶対行けない、パークハイアットのバーだった。田舎娘に都会の洗練された素晴らしい場所を教えたいという物好きな友人のご厚意にあずかったのだった。


いくつか背のびをテーマに書こうと思ったらジャズ回想録になってしまい。

でも背のびをしてるなぁと思っていても、背のびをしていれば後々その背丈にはなれるのであって、たとえば数年前に背のびをしていなければ今その背丈にあるかはわからないなとか思う。
ということで背のびは推奨。

F1の好さについて

F1が好きだった時期がある。一時期は2誌買っていた。
今も好きは好きだが、深夜起きて見るほどではなくなってしまった。


F1のどこがいいかというと、一つには格好いいということ。
車だとかドライビングテクニックだとかヘルメットだとかチームワークだとか、そういうわかりやすい格好よさがある。


そして、戦略。
事前のテストでの情報収集とか、車体をそのコースにあわせてカスタマイズしたりとか。コーナーが多いとダウンフォースを得るために空気抵抗を大きくするとか。ここは詳しくなれなかった。
タ イヤはもうブリヂストンのワンメイクになってしまったけど、見始めた2005年当時はまだミシュランが参戦していて、どっちのタイヤメーカーを使っている のか、どっちのタイヤ戦略がいいのか、ソフトとハードどちらをどのタイミングで使うのか。これが周回を重ねるごとに微妙なタイム差になって結果へつながっ ていく。
ピット戦略も。どのタイミングで、どれだけ燃料を補給するのか、ドライバーごとに変えるのか。ここはミスの出やすいところでもあって、折角ドライバーが稼いだタイムをピットクルーのミスで失ってしまったりとかする。


そして勿論レース展開。
最初のポジショニング、最初のコーナーでの順位。そこで無理をするとクラッシュしたり、ペナルティを課されたりする。
基本的に、F1は皆がチェッカーを受けるということはほとんどない。ひどい時は最初で3台とかいなくなる。そして途中でクラッシュしたりエンジンから火が出たりして1,2台いなくなる。
破 片がコース上に散らばったりすると、それを踏んだ車がパンクするのでセーフティーカーというのが入る。これが入ると追い越し禁止になって、セーフティー カーはゆっくり走るのでその後に連なってタイヤを冷やさないように摩擦をかけながら皆破片が掃除されるのを待つ。ここで稼いでいた後続とのタイム差をチャ ラにされたりする。この隙にピットインする車もある。
そして、オーバーテイク、追い越し。
2006年だったかモナコでミハエルがごぼう抜きをして最下位から2位まで上がり、アロンソと激闘を繰り広げたことがあった。


レースを見るにあたっては、やはり贔屓のチームやドライバーがいた方が断然愉しい。

私はスペイン出身のフェルナンド・アロンソだ。2005年にルノーで当時最年少ワールドチャンピオン、2006年も連覇した。ちょうどミハエル・シューマッハの引退がささやかれていた時期で、この二人の闘いに象徴される世代交代、というのは一つのテーマだった。
2007年にはマクラーレンに移籍し、ロン・デニスの秘蔵っ子と言われたルイス・ハミルトンとチームメイトになるも、このハミルトンとの仲が悪くて大変で、結局この年はライコネンに持ってかれた。ハミルトンはいいドライバーだが、良くも悪くも若い。
2008年はまたルノーに戻り、建て直し。私が偶然見た2つのGPに限って優勝してくれて、ついmixiに日記を書いてしまう事件。

アロンソのいいところは、強いところだ。冷静で、ぶれない。そしてフェア。汚いことをしない。無駄なことを言わない。あと、喜び方がかわいい。
あと、ミハエルファンにすごい攻撃されてたところ。右京とか。頑張れ!って思った。
余談だが、同じスペインのラファエル・ナダル(テニス)も好きだ。アロンソと同じ匂いがする。

F1はフジテレビ系でやっている。3月29日(日)のオーストラリアGPから。
是非。

信じること

最近、信じるということについて考える。
その契機というのは宗教であり、「こころ」であり、自身の行く末について思いを馳せることである。
「スタンスについて」という最近のエントリは、信じるということを意識している、実は。あれは相当に言葉足らずなエントリで正確さには大分欠けるのだが、とりあえず言いきってみたかった。

こうしてブログをやっていて、何かについていろいろと考えたりするけれども、結構生きる上でコアになる素材はたくさんある。信じるというのも一つ、大きなものだと思う。
「信じる」という動詞がある、ということがなんとなくすごい。


特に何かトラウマ的なものが思い当たるわけではないが、信じるということがどうも苦手だった。臆病なのだった。何かを信じて、でも本当はそうじゃなかったらどうしよう、と思うのだった。
私がどっちつかずのスタンスをとるようにしていたのも、できるだけ自分の納得したものを選びたいという気持ちと共に、どちらに転んでも振れ幅が少なくて済む、つまりショックを最小限に抑えるためのリスクヘッジだった、ともいえる。

以前、君には自信と覚悟が足りない、と言われたことがある。
これはそこと繋がっていると思う。
自 信は自分の考え方が正しい、自分に価値がある、という自分に対する信頼だし、覚悟というのはたとえそうでなかったとしても(たとえそうでないとの評価を人 から受けたとしても)そのショックを受けとめること、責任をとること、又は自分の考えでよいと居直れること、だと思う。


スタンスを決める、信じるためには根拠が必要だと思っていた。信じるための根拠を、そして信じられない根拠を、探していた。
しかし信じられない根拠はいくらでも出てくるし、結局信じられない根拠を克服しない限り信じることができなくて、それってば結局信じないことに縛られているのではないかと気づいて。なんだか立証責任の話に似ているけど。

人が何かを信じるとき、というのは、根拠はほとんど効果をもっていないなと思う。
目をつぶって飛び込むことなんだなと。


でも、そんなに大げさに決意することではないのかもしれなくて。
私たちは常に些細な何かを信じながら生きているよなと思って。
信号が赤ならあの車は発進しないだろう、とか。天気予報で晴れだっていうなら晴れなんだろう、とか。メールでこの日時に会議って言ってたからあの人は来るだろう、とか。スーパーの営業時間は21時までって書いてあったからまだ開いてるだろう、とか。
目をつぶって飛び込んでいるわけではなくても、小さく信じながら軽いステップで実は生きていて。
勿論、それらの信頼が裏切られることはあって。でもそんなに裏切られた!みたいなのはなくて。晴れっつってたのに、でもまあ傘買うか、みたいな。
そういう軽い感じで信じられたらいいよなぁ、と思う。

茶の緑

私も祖母も、一人暮らしをしていたのを引き払って実家で一緒に住むようになったので、うちには家電とか調理器具とかがかぶってある。
オーブンレンジは3つある。ついでにオーブントースターもあって機能がかぶっている。
炊飯器は2つ。ポットも2つ。
でも意外とあればあったで使う。
泡立て器とかおたまとか、計量カップとかボウルとかも2つから5つくらいある。


部屋が2階で階下に降りるのが手間なので、ポットと急須を部屋に持ち込んでいる。ちなみに急須は4つある。
不 思議なことに、実家のやつの方が新しくても、自分が使っていたものの方がいい。いわゆる愛着というやつだ。東京で買った急須は耐熱ガラスでできていて、茶 の色がきれいに見えていい。本当は小さめのガラスの華奢なマグカップもあったのだけど、なにせ華奢ゆえにいつか割ってしまった。

我が家で はいわゆるお茶を飲むという習慣がなかったので、急須は滅多に仕事をしなかった。麦茶は冷蔵庫に冷えていたけど、それはあくまで麦茶だ。紅茶もお客様が来 たときだけだった、気がする。両親は珈琲派だ。かくして、両親それぞれの好きなミルクと砂糖の量を心得た小学生の私は珈琲を淹れる係になったのだった(思 えば結局コーヒーメーカーの普及した今日でも私が珈琲の係だ。自分は飲まないのに)。


緑茶をいつ頃から飲むようになっただろうかと考える。
東 京で初めにお付き合いした人が緑茶を好み、なんだか粉末の緑茶を持っていた。抹茶か。それもまた、縁のないものであった。彼はポットを買った方がいい、と アドバイスした。ポットもまた縁のないものであった。ポットを買わず、お湯すらミルクパンで沸かしていた私に、結局彼は見かねてお下がりでやかんをくれ た。それでも当分緑茶は私の生活に介入しなかった。その間、折角のやかんはほぼ日の目を見なかった。
なんとなくある日羊羹を口にしたくなって(羊羹はじめ和菓子もまた実家では縁がなかった)、和菓子には緑茶だろうと勢い込んで、急須を買ったのだった。そういう人なのだった。



今日の沖縄はまさにシエスタ日和、EGO-WRAPPIN'。

静かめの曲が気分。
昼はBrian Enoの1/1
夜は某Sony君recommendsの、Evening Tone/Kenmochi Hidefumi
あたり。

傍らには緑茶。

優柔不断の謗りへ

そして気づけば四日が経っていて。
おお、「こころ」か、読んだ読んだ、と思ったりした。

何か書くことがあるかと、私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。


そうそう、よく私は「どっちでもいい」と言ってしまう人間で、よくそれで怒られて、優柔不断だとなじられたりもするのだけど、糸井氏のコラム「食わず嫌いと、食ってみるか。」において擁護されていたので、そうそうそうなんだよ、と思ったりした。
以下引用。
----------------------------
「どっちでもいい」ってのは、
無関心だとか思われているけれど、
それだって、
「どっちでもいい」っていう概念に対しての
食わず嫌いだと思うよ。
たいへんに愛情に満ちた「どっちでもいい」ってのは、
あるよ! 
神田のとんかつやに行くと、いつもそうなるよ。
ロースかつ丼にするか、ロースかつ定食にするか、
ほんとに決めかねるんだよ、いつもさ。
ほんとに「どっちでもいい」んだよ。
熱く、言えるよ、「どっちでも・いい!」んだよ。」
------------------------
以上引用


結構、どっちでもいいことは多くて、それ自体は悪いことじゃあないと思っている。何より、どちらでも、よい、というのは楽。心の持ちようとして楽。ストレスフリーに生きていこう。

ただ、相手方に選択の手間をまずは投げている、というのはひとつあるので(勿論相手の好きな方があるのならそうした方が最善だと思うからなのだが)、難しいところ。結局譲り合いになってぐだぐだになるというのはよくある。

それにつけても「どっちでもいい」と言うことが不当に評価を受けている気がする。逆に、「どっちかじゃなきゃだめ」と主張するのは果たして良い評価を受けているかというとどうなのか。
Me,first!って感じに映りはしないか。
そしてそれは日本においては角が立つと言うのではないか。
「草枕」読みたいな。

とりとめがない。

情報の性質と、恋が罪悪だということ

会社にいたときに、飲み会で会社の会長と話す機会があった。
その時いろいろな話をしたのだけど、その中で情報収集の話になった。
彼は、「情報にはストックの情報とフローの情報がある」、と言った。

その時は、ふむたしかに、と思って
情報には一時的に意味があるものと長期的に意味があるものとがあるようになんだか思っていたのだけど、
実際どの情報がどちらに入るのかを考えた際にはよくわからなくなるのだった。
と、いうか、フローの情報の蓄積がストックの情報になっていくというか。
日経平均が今日反発したとてそれはフローの情報なのだけど、それが蓄積することにより、また違う情報と組み合わさることにより一つの法則なりが見出され、それはストックなのだろうかと。

いやもっと深い言葉なのかもしれないんだけど、未熟すぎてわからぬ。

何かといろいろなものに造詣の深い、しかし子供っぽいところのあるお人であった。

まあ何か蓄積すれば見えてくるだろうということでメモパッドを作成。



最近は「こころ」。
なぜ今「こころ」かというと、よくわからない。別に「スカイ・クロラ」でもよかった。
ただ、なんだか手に取ったら読み始めてしまった。「こころ」が漱石にしては読みやすかったイメージも手伝って。再読だが、初読当時は今より更に未熟だったため、発見も多かろう。
結局文学作品というものは適齢期というのがあって(もしくは適したステージがあって)、その域に達していないと理解ができず、そこを過ぎてしまうと面白みがなくなってしまう。

「こころ」の時代というのは、とてもゆったりしている。家の裕福な書生、というのもあるけれど。散歩をしながら語り合ったり、書簡を交わしたり。
漱石は好きだな。と思う。バランスがいい。後日レビューできれば。


「しかし君、恋は罪悪ですよ、解っていますか」

イノダコーヒとか結婚とか

いただきものがあった。
Sleep well、という趣旨のものと、Study well、という趣旨のものもの。
ありがとうございました。


京大式、というB6サイズのカードがひたすら気になるけれども、用途を模索中である。確かに某司法試験予備校ではあのサイズの論証カードというものが配布されていた。よいサイズなのかもしれない。
お菓子などもいただいた。イノダコーヒって聞いたことある。行ったことはないけど。
いずれ遊びに行かせて頂きたく。


そ ろそろ結婚の話が周りで聞こえてくる年齢であることは、なんというか社会常識みたいのでわかっていたけど、近しい人も結婚するんだなあと思う。結婚するっ て、何かそれを境にその友人に対する見方とかが私なりに変わったりするのかと思っていたけど、あんまり変わらないんだなという感想。
既に結婚している人には結婚していない人に比べてある種のバイアスがかかっているのが自分でもわかるんだけど。
結婚前から知ってる人にはかからない。なぜかしら。
既婚者に素敵な人が多いのは、結婚しているから素敵に見えるのか、素敵だから結婚できたのか、という話があるけれども、なんか両者だなと思う。例外はある。
結婚している、ということになんか立派な感じを受ける。それは単にイメージだけど、よくよく考えたらいろいろなことを引き受ける覚悟を決める、というのを通過した人たちなので、やっぱり立派なのかもしれない。


家では母と祖母が胃腸炎で一昨日から少し大変だった。母の友人が、ずっと独り身で、風邪でものすごく体調が悪いというので母が見に行って、そこでうつってきてしまったようだ。
独り身の母の友人を見ると、家族がいるって大事だよなとも思わなくもない。
そ して祖母を見るたびに、老いるっていうのは、ひいては生きつづけるっていうのは、すごく大変なことだなと思う。今は、結婚はしたいと思ったらすればいいと 思ってるし、友人も家族もいるから一人暮らしでも割と平気だけど、老いると親もいなくなるし友人はいなくなったり自由には動けなくなったりしているし、一 人では何もできない。
とはいえ、50とか80とかになる実感はまだわかない。30になる実感すらまだわかない、実は。

迷惑かけたくない、は無理で、迷惑かけるけど迷惑も違う機会に被るからよろしく、みたいな感じなんだろう。人生トータルでは。一人でいたくても一人ではいられず。今は迷惑被る時期かなと思う、本当は。

言葉のこと-2

言葉について様々。勉強したことがあるわけではないので、体験に基づいて感想を。


・言葉と沈黙
NHK教育を見た。
言 葉を用いる場面として大きく分けるとするならば、自己に向けた言葉なのか他者に向けた言葉なのか、という分け方ができる。これをきっと吉本氏は自己表出と 指示表出と言って分けているのだと理解するが、彼は、その人の根幹に近いものは前者、つまり相手とのコミュニケーションを意識せずに自己に語りかける言 葉、なんだかごにょごにょ言っている言葉、の方である、とする。そうして、言葉っていうのはオマケなのだという話につながっていく。人間の幹、沈黙から出 た枝葉。
人間というものを、その一瞬を切り取って完結したものとして、つまり自己と自己以外を完全に線を引いて見るならば、その話は正しいと感じ る。相手に語りかける言葉は確かに自己とはつながっているし自己から出たものではあるが、相手を、世界を、何かを意識したものであって、本当の自己という ものではない。黙っていることの中にその人の重要な基本要素があって。
ただ、ここからは定義の話になってしまうが、相手や何かを意識したその心理作用というか、それも含めて自己なのではないかと思える。そこが寧ろ人間らしさなのではないかと思える。
「議論とは、往々にして妥協したい情熱である」と言ったのは太宰だが、そういう他者への情熱めいたものが人間の中にあるからこそ、人間が好きである。煩悩と言うのはたやすいけれど。
ただ、沈黙の中にこそその人の重要な部分がある、というのもその通りだと思った。ほんとうに大切なことは目に見えないんだ、とキツネは言った。
沈黙を無きもののように扱い、沈黙に乗じて攻撃し、沈黙を言葉よりも軽んじる、という傾向は確かに世の中にたくさん見られて、私自身は決してそう思ってはいないけれど一つの確認事項だなと思う。

余 談ではあるが、このブログが当初から自己のためのブログであるというスタンスを勝手ながらとっているのは、無意識的に他者への語りかけというより自己への 語りかけというか呟き、いわゆるごにょごにょしたものであることを許容・肯定するところからはじまっているからだと思う。コミュニケーションつまり人様に 見せるということを1番の目的に置いていたら、きっとこのような形にはなっていない。



・言葉の限界
言葉の不完全性、未熟性という話。沈黙、という話とはまた別なのだけど。
言 葉には限界がある。しかも結構低い所にあるというのが実感だ。自分の語彙力の問題もある。例えば、音、香り、味、風景、なんでも、それを再現しようとする ときには言葉は無力だ。聴覚、嗅覚、味覚、視覚には絶対かなわない。足元にも及ばない。再現できたとしてもごく一部だと思う。それは、本来その感覚で感知 するものだからである。味なら味覚で。当然のことだ。
そういうとき言葉は、感知した経験やイメージを呼び出す形としての文字なり音声だと思う。それは読み手・聞き手の中の経験の蓄積や検索能力、想像力に大きく依存している。
ただ、言葉でしか到達できない地点というのもある、と思う。たとえば言葉が不完全であるという主張を、私は言葉をもってしか伝えられない。



・言葉の使い方のうまさ
言葉の使い方がうまい人、というのがいる。再現のうまさ、語彙力、的確な指摘、シンプルさ等々。言葉をうまく使える者が力を持つ、というのはある。私も言葉の使い方がうまい人に憧れたりする。
言葉には即効性がある。相手に何かをわからせるのに、早い。
その一方で、言葉それ自体には重みが無かったりもする。誰が言ったか、どういう時に言ったか、そういう状況と合わせて重みが決まったりする。
中には、言葉の使い方がうまいだけの人というのがいる。しかも悪意がなかったりする。



・手段と契機としての言葉化
思考というのは一部、言葉を使ってやっている。思考は言葉でやっている、と割と言われるけど、そんなに言葉は使っていない気も実はする。
単にふわふわ思考している時というのは、ロジックもそんなに必要ないから、ワードやイメージだけでやっているような気がする。あまり意識したことはないけれど。
文章が頭の中に浮かんでいるわけではなくて(文章のことや誰かが言ったことを考えている時は別)。ワード周辺のイメージがふわっとなって、その中の一つのワード・人・モノにまたフォーカスし、次の話題へ移っていく。意識して深堀りしたりもする。
で もちゃんと考えたり、形にして残しておきたいと思うなら、ひとまず目に見える形でアウトプットし、固定し、今時点RUNなフェーズを明らかにして、組み立 てていく。目に見える形、というのはこの場合文章になる。文章にすることは、思考を助けるとともに、自分のものになる。再インプットされるのだ。そうやっ てここ最近は自分が形作られている気がする。良かれ悪しかれ。

忘却は優しいことだと友人は言った。それでも思い出す契機を保証しておきた いのである。それは何かを考えた形跡でも、心象風景でも、単なる事象でも同じで。そういう記録をするときに、きっと何かを取りこぼしたり、何かがくっつい たりしてしまっている。そうやって文章にして不完全にしたものを再インプットしてしまう。
スナフキンは言った。「なぜみんなは、ぼくをひとりでぶ らつかせといてくれないんだ。もしぼくが、そんな旅のことを人に話したら、ぼくはきれぎれにそれをはきだしてしまって、みんなどこかへいってしまう。そし て、いよいよ旅がほんとうにどうだったかを思い出そうとするときには、ただ自分のした話のことを思い出すだけじゃないか。」
それでも、言葉にしてしまう。


1エントリ1テーマでも長いな。しばらく休憩。

25-26周辺

つい先日誕生日があって、はたして26歳になったわけだが、誕生日というものはたとえば元日とかクリスマスとか海の日とかみたいにみんなにとって共通して 定義されているものではなくて、他人にとってはものすごく普通の日なのに、でも覚えてて連絡の一手間をを割いてくれる人というのは、すごいなと思う。
疎遠になっていた人ほど、その人の丁寧さというか、「誕生日に連絡をする人層」の厚さというか、そういうのを感じて。今年の抱負は、誕生日を知ってる人にはメールを送る、にしようかしら、と思うほどだ(最低限、メールや電話をくれた人には送りたい、というか送るべきだ)。
私にとっても、mixiのトップ画面がいつもと違うなくらいの日だが、うっかりすると自分の歳を忘れているので(早生まれだと周りが先に一つ年上になるので、10月頃になると自分もそうなったような錯覚をする)、これを機に覚えようと思う。
二十歳をすぎたら時間の流れは人それぞれだから、絶対値云々よりも来し方を振り返り行く末を思うことに意義がある日かもしれない、との言葉をいただいた。確かに。


16歳の妹から思いがけずプレゼントをもらった。
「夢をかなえるゾウ」/水野敬也
本屋で平積みされている茶色いあの本である。まあまあ上位にランクインしたあれである。映画化もされちゃうあれである。
つい先日ドラマを見た(私は古田新太が好きなので)ときに、そうそうこれ読んでみたかったんだよね、と話したためである。
それにしても、あれは読みやすくした自己啓発本なので、妹から自己啓発本をもらう、というそのことに、良くも悪くも多少泣けるのだった。(妹曰く、一緒に読むとのこと。)


誕 生日とは全く関係なく、幼馴染が帰省していたため会った。関東の大学で、今はデータマイニングの手法の研究をしているらしい。M1だが年は1つ下で、背が 高くてイケメンでオシャレさんで超超社交的でとにかく目立つ理系男子だ。会うたびに若さが眩しすぎるため、本当に1つしか違わないのか疑問。彼は意外と真 面目で、PCを持っていたので論文やプレゼン資料を見せてもらいながら研究の話を聞いた。興味深く拝聴。
論文が英語なのはもちろん、書いてある数式とか、そもそもやりたいことがなんなのか一目で分からないところが理系だよなと思う。使用言語がそもそも違うというか。
「自分の研究を説明できないのは頭悪い証拠なんだよなぁ。頑張るからちょっと待って」
と言う彼の誠意ある説明により、やりたいことが何なのか、というところまではわかった。
つ まりデータマイニングがしたくて、膨大なデータを分類したくて、その分類をする方法として点同士の距離によるいくつかの方法(階層と非階層と言っていた気 がする)があって、それを効率化したりしているらしい。直線で切れるといいけどそうでないと難しいという話や、3次元までなら目でその手法の効果を確かめ られるけど5次元とか10次元とかになると無理なので、2次元3次元での効果が適応できるだろうという推測でやっていくという話。
「もし一緒に会社をやるとしたら、マイナス志向で、みんながいけいけな時にも最悪の事態を考えて水を差してくれる奴とやりたい。そいつが一番バイアスがかかっていない奴だと思うから。」
そいつが一番バイアスがかかっていないのかどうかは別として、そういう人が傍にいるのは必要だろうなと共感する。


そういえば、更に前になるが、久々に永い人とも会った。何もかもが相変わらずで、彼も私も雑談がひどいので、結局いつの間にか3時間半も話していたが、彼と話していてすごいところは、長時間話しているのに、話し終わった後何を話したかほとんど覚えていないところだ。
なんだか勝間本の話をしたことは覚えている。
彼女がグーグル化とかでダイヤモンドで特集されたころ、私も実は3冊ほど衝動買いして、結局読了したのは1冊。いや、読むよ。面白いよ。
そ んな中で彼が買った本が、ビジネス脳だかのビルゲイツの面接試験的なあの手のクイズ系の載ってる本で、永い人が案の定3問くらい問題を出してきて1問も解 けず、ビジネス脳ないなあと言われたのであなたは解ったのかと言い返し結局二人とも打ちひしがれるといういつものパターンだった。


長いな。1エントリ1テーマを心がけたいと随分前に思ったが実行できず。連想は止まらず。

言葉のこと

少し前に二つの文章を読んだ。
両方ほぼ日だけれども、言葉のこと。厳密に言うと、言葉以外のこと。
ダーリンコラム「沈黙の発見。」
谷川俊太郎質問箱 質問三

前者は結構大きなテーマというか、壮大に話していると思うのだけど、ことばの功罪、人間らしさとは何か、そういうものについて短いながら語られている。
「ことばをうまくあやつれるものが、力を持ち、ことばをうまく使えないと、生きていくことがとても難しくなる。」
「言葉というのはオマケです。沈黙に言葉という部分がくっついているようなもんだと解釈すれば、僕は納得します。」
「人からは沈黙と見えるけど、外に聞こえずに自分に語りかけて自分なりにやっていく。そういうことが幹であって、人から見える言葉は、「その人プラスなにか違うものがくっついたもの」なんです。いいにしろ悪いにしろ、「その人」とはちがいます。」


関連して、後者の谷川氏の、
「憶えていることは言語化できる意識に属していて
忘れていることは言語化できない意識化に
属しているんじゃないかな。
つまり忘れたことは、憶えていることよりも
深い心のどこかに保存されていて
それも自分をつくってる一つの要素だと考えたい。」
と言う文章。


知り合いのmixi日記で、語るべき言葉を見失い、語りたい言葉を紡ぎ出せないという話があった。彼のことも状況もよくは知らないが、なんとなくリンクした。


言葉の不完全性、未熟性というものについては前にも書いたことがあった。言葉で言い表せない領域が確実に、しかも大きな範囲で存在していることを意識してはいた。
ただ、明確に、言葉はオマケであるという考えや、言葉をうまく使える人が強い力を持つということや、それに対して疑問を投げかけるということを、自分にとって新しいなと思ったのだった。

また、このトピックについて改めて書く機会があれば。
今日の22時のNHK教育を見てから、また考えるかもしれない。

2009.1.1.

しょうがつ。

あらたまったり、のんびりしたり。
年賀状見たり。
お雑煮食べたり。
親戚の家に行ったり。
一年ぶりの従兄弟たちとぽつぽつ話したり。
年下の従兄弟に結婚を心配されたり。
少し桃鉄したり。

そんなしょうがつ。
いつも通りのしょうがつ。


・抱負のこと
一 年の抱負を朝食の前に一人ずつ話すのがうちのきまりなのだが、今年は朝食のあとにそれぞれが紙に書くことに(母が)して、結局それらは壁に貼られてしまっ た。ことあるごとに初心を思い出してしまうようになっている。七夕の短冊にすごく似ているのだけど、願いというよりもうすこし自分で何とかしようという感 じがみられる。


・価値のこととか
前に音楽が現在的だと書いてしまったけど間違っていて、音が現在的なのであって、音楽は 連続性の中に存在するものだよなとあのあと思っていた。音楽は音楽それ自体のよさというか、その人に響く何かがあるゆえに価値をもっていて、そしてミュー ジックコンテンツというものはその価値ある音楽を「いつでもどこでも聴けるということ」に更に価値を乗っけているのだよなぁということ。体験そのものだけ でなく、そのタイミングや場所をコントロールすることに価値を置く、ということを結構やっているのかもなと思う。携帯電話なんかのポータブル機器はその極 みだし。
ある場所でしかできなかったことを家でできるようになって、家でできたことを外でもできるようになって。それってば大衆なんとかから個人なんとかへの変化と比例している気がして。
基本的に個人というのが一つの基本単位だからか。


・関連して不均衡のこと
価値、というのを貨幣で計ることを図らずもやっているわけだけど、その、一方で一生懸命働いて何かを作っている人たちがいて、でも少ない貨幣としか交換してもらえなくて、一方で多くと交換してもらえる人たちがいて。その立場が変動して。
何かを作っている人はその物自体の価値、労働力を売っている人はその労働力の価値(二つとも希少なほど高いんだな)が需給の変化で変わって。さらに相場でのいろいろがあって。
生きていくってことは消費するということで、消費する対象を捻出するために生産して、その生産のために消費するという堂々巡りがシンプルなくせに、その軸を取り巻くとりどりの変化こそが人生であり世界で。

だからなんだってことはないんだけど、ただそうなんだなぁと思った。

そんなしょうがつだ。

芝生

なんか芝生が好きだ。

芝生。
字面も言葉の響きもいい。牧歌的で。
これで「ふ」と読ませるところもいい。


HALCALIの「芝生 feat.谷川俊太郎」を聞いていると、あたかも急に自分が芝生の上に立っていて、なすべきことはすべて私の細胞が記憶していて、だから私は人間のかたちをして幸せについて語りさえした、気分になる。
・芝生/HALCALI feat.谷川俊太郎 試聴
(注:音が出ます)

谷川俊太郎といえば、以前の未来館のプラネタリウムプログラム「暗やみの色」(音楽はハラカミさん)でも、詩「闇は光の母」で参加していて(ちなみに朗読はクラムボンの原田郁子さん)(いいプログラムだった。CDが出ている)。
おじいさんなのに若いなと思う。なんだかHALCALIすごいよなとも思う。


で、芝生。
今の携帯の待受画面は、ほぼ日のSentimental Territoryの「そらとおか」で、これも芝生の黄色に輝く緑が好き。
のんびりした、非日常感というか。
そういえばモエレ沼公園に行ってみたい。
・Sentimental Territory待受


寝転ぶとちくちくする記憶。
最後に芝生に寝転んだのは確か1年半前で、ビアガーデンのバイトで、シーズンを終了したその日、営業時間後真っ暗になった庭に、テーブルや椅子を倉庫まで運んで汗だくになった皆で寝転んだのだった。
その前は恵比寿のビール記念館で、友人と昼間からビールとワインを飲んだあとの散策中見つけた公園だった。こう書くとなんか頽廃的な感じがするけど、きわめて爽やかだったよ。


東京ドームの人工芝もきれいだ。
大 学入学当初、私は何故かジャイアンツ同好会に片足を突っ込んでいて(新歓では自己紹介がわりに好きな選手を言うことになっていて、それを言うとコールの代 わりにその選手の応援歌で一気飲みをするという風になっていた。私は確か桑田と二岡と答え、ジュースを一気飲みした気がする)、
先輩方とジャイアンツの応援をしに行ったのだった。
他大のオリックスファンの友人を誘って(後日、今度はオリックスの試合に付き合え、と言われ西武球場に行くことになる)。
その時巨人が勝ったのか負けたのかはさっぱり覚えていない。ただ外野席から見た芝生の鮮やかさと、松井の後姿を覚えている。

という芝生についての覚え書き。

オトナ語の謎。

そして最近は糸井氏がアイドルなのである。

オトナ語の謎。/監修・糸井重里、著・ほぼ日刊イトイ新聞

たとえば「お世話になっております」とか、「~~感」とか、「さくっと」とか、「ざっくり」とか、「コンセンサス」とか、「取り急ぎ」とか、広く社会人業界語をあつめたラフい定義集。
いわゆるあるある的で、ほんとに心の底から共感できる。だいぶ笑える。お勧め。
「いい感じにしといてよ」とか「悪いんだけど」とか「弱い」とか、上司の顔が浮かびすぎる。

木野子の話

自分があまりTVを見ないこともあってほとんど見かけなかった糸井重里だが、なぜか最近TVをつけると彼の出る番組に何度か出くわして、なんだろう。糸井月間かしら。単純に彼が最近よくでているのかもしれない。

今日見かけたのは、NHKの月刊やさい生活か何かで、きのこについて3人でマニアックなトークをしていた。
「なんだろうこの、憧れ感っていうか。隠されてる感じ」「埋蔵金?」
「きのこって若い時は単に食べるもんだと思ってるんだけど、いろいろわかっちゃった後によさがわかるんだよね」「釣りと似てて、生き物同士が合図し合ってるみたいな」
「知的なんだよなぁ」「推理して、ここにあるだろうと思って、そこにあったとき嬉しいんだよね」
「松茸はあがめられ過ぎだと思う。それって松茸にもほかのきのこにも失礼だと思う」「お金無いころに、あえて飽きるほど松茸を食うっていうのをやって、それから松茸コンプレックスは消えたんだけど」
「仏教的なんだよね」

私 としてはそもそもきのこって野菜なのってところからしっくり来ないんだけど(イメージ的に)、それを吹き飛ばすだけのトークのマニアックさ。NHKの趣味 系の番組かと思いきや深掘る深掘る。なんか好みの番組。というか多分糸井氏だ。そのトークの展開の仕方が友人によく似ている。

※追記:月刊やさい通信でした。

旅について

前エントリの「すきまのおともだちたち」は、「ぼくの小鳥ちゃん」のようなテイストの物語で、言うなれば旅に関する本だった。旅人はいつかは帰らなければならない、そんなの生まれたてのへびの赤ちゃんにだってわかること、なのだそうだ。


旅らしい旅をあまりしてこなかった方だと思うが、それでも旅の思い出というのはある。
旅 と言えるためには、日常を忘却していたことにふと気づき、その日常から離れたことに寂しさに似た戸惑いを感じられることが、少なくとも必要な気がする。だ から、日帰り旅行はあまり旅っぽくないし、近場への旅行もまた旅っぽくない。旅人はいつかは帰るものだというならば、東京生活こそ長い旅だったのかもしれ ない。

思い出深いのは京都。一人で行った、ということも要素なのだと思う。友人の何人かがよくふらりと京都へ行っていた。ある人は寺を巡 ると言ったし、ある人は日がな一日カフェにいると言った。旅ではいろんな過ごしかたができることを知った。それは旅慣れない私にとって新しい視点だった。

夜 行バスを待っていたカフェでの読書。夜行バスに乗り込んだとき、MP3プレーヤーからくるりの「赤い電車」が流れていたこと。結局ほとんど眠れなくて、早 朝の京都駅、漫画喫茶で顔を洗ったこと。早朝の京都タワーがきれいだったこと。朝から人を呼び出してしまったこと。鴨川がすごく長閑で、京都、という気負 いがそこでやっとほぐれた気がしたこと。何をするにも勇気が要って、一人で路上でコロッケを買って食べたり、古い定食屋に入って卵丼を食べたりしたのが精 一杯だったこと。宿が町屋風ドミトリーで、そこのオーナーやスタッフと京都について話したこと(彼は、「京都のカフェで、お冷のおかわりいかがですか、と 言われたらもう出て行けって意味だ」と私に教えた)。絵葉書を書いたこと。橋の上で偶然友人に会ったこと。
いわゆる観光名所にはあまり行っていない。それより関西弁を話す新しい友人と話をすることに没頭していた気がする。
帰りは、よせばいいのに新幹線を使わずにいくつもの電車を乗り継いで帰った。9時間半くらいかかった。ほとんどまどろんでいたが、夢うつつに地方によって変わっていく様子が面白かった。山手線に乗り換えたときの慣れた空気に心から安堵したのを覚えている。


あと、旅とは言いにくいが、東京は中野新橋のゲストハウス(部屋は個室だがキッチンやリビングなんかが共同)に2ヶ月半くらい住んでいた時期がある。住人は頻繁に入れ替わる。2週間以上の長期の滞在用の施設で、普通の宿より割安なのだ。
そ の頃は一人バイトと就職活動をしていて身分も定まらず、狭すぎる部屋と少ない荷物で、今までのコミュニティから外れて(たまに院の友人たちと飲むくらい だった)、よく、私はここで何をしているんだと思った。共用のキッチンがすぐ隣だったので部屋でもあまり落ち着けなくて、よく外へ出ていた。そこで一番居 心地が良かったのは近くにあった「ジニアス」で、よく夕食を食べがてら「ジニアス」で紅茶とハーパーを飲んだ。そうしてジャズに聞き入ってぼんやりしてい るとき、今までの人生からぽつりと離れてしまったような、旅に似た心細さを感じたものだった。


果たして、それらを含んだ東京生活 を終えて沖縄に帰ってきたわけだが、ここが帰る場所だということがはっきりした一方で、またああいう旅に出たいという気持ちが沸く。東京生活が長い旅だっ たと考えることはなんだか納得のいくことで、たくさんの旅人たちを応援したいと思いつつ、少し羨望も覚える今日この頃。

法学について

※追記:2008.11.22

最近法律の浅瀬を泳いでいる感じなのだが、なんというか、浅瀬は楽しい。浅瀬だからね。
す ごく根本からやっている。一番初めから。入門。いろいろな法律の分野がそれぞれ入口を用意してくれている。藤田宙靖最高裁判事の「行政法入門」は秀逸であ る。あと、所研(裁判所職員総合研修所)の「刑法総論講義案」もまた、いい本だと思う。入門として。(入門書と銘打ちながらわかりにくい本なんかたくさん ある。)
手順というのはすごく大事だ。
友人は言っていた、「飛び越えることはできないんだ、飛び越えてもどうせ戻ってしまうんだよ」。言い得ている。


法律を勉強していていいところは、法律そのものがきちんとしているから、気持ちがいいところだ。
きちんとしているというのは、論理的、という意味でも、範囲をきっちりカバーできている、という意味でもない。人格とでも言おうか、良心的な、という感じの意味である。


法というのは一つの思想で、それが生まれたストーリーがある。そこから派生してくるいくつもの考え方があり、それらが正当で理性的で合理的だと思う。

も ちろん論点(論争)はたくさんあるし学説は多岐にわたる。しかし同じ法という土俵でやっている以上根本の根本部分は同じで、ただロジックの構造が何通りか あって(というか先人達が考え出して)、もしくは価値観の微妙な差で、それらの学説は分かれている気がする。そのロジックの構造論なんかが法学の醍醐味と いえば醍醐味だし、多くのウェイトを占めているのも事実なのだが。
つまり法を論じる者は、いくら争おうとも、法という思想に立脚している。
私はそういう人たちの前提に、好感を持つのだと思う。
こう思うのは私が日本人であることや、君主の専制政治から法を勝ち取った世代でないことが理由としてあるのだと思う。その勝ち取った人々は生きるか死ぬかの話だったのだ。
そして、法は結構恐ろしい力をもったものである。


法学と、自然科学とかとの相違点は、出発点にある気がする。
後 者が現象から出発するのに対して、法学は思想発なのではないか。帰納と演繹の違い、というか。法学は、思想から出発して具体的な現象にたどり着くその過程 を理論で構造化したもの、というか。だから現実の現象との間で折り合いをつける作業が必要になる。それが解釈なり適用なりの場面。そういった割り切れなさ は、自然科学にはないのではないか。
仮説先行のやり方というのは他の学問でもある。けれど、そこでは実態と理論(仮説)が食い違っていれば仮説を 考え直す。違うのは、法学はまず当為(~するべき)であり、実学だから(実際社会がそれを使って成り立っているし、裁判所はわかりませんとは言えない)、 どうしても折り合いをつけなくてはならないという点にある気がする。


そんなようなことを漠と感じながら、千里の道を一歩ずつ、歩を進めているところ。

動物園のライオン何見て食べる

ここ最近の状況を一言で言い表すならば、リハビリテーションである。
そ れは体そのものにもいえるし(ごく基本的なこと、つまりご飯を胃で消化し腸で吸収するとか、睡眠をとって疲労を回復するとか、ができなくなっていたのをで きるようにするということ)、生活のリズムにもいえるし(つまりご飯を三食ちゃんと食べるとか眠るとか)、物事への向かい方にもいえる(勉強への姿勢とか 環境づくりとか方法とか)。それらのほぼ全ては昔できていたはずのもので、どうしてこういう風になってしまったのかはよく覚えていない。ゆるやかにできな くなっていったのだろう。

自然にできていたことを意識することによってできなくなる、ということはよくあって、卑近な例でいえば呼吸とか歩行とか。そういうことなのかもしれない。習慣化の大切さ。
よく膨大なタスクを目の前にしているように感じるけど、それは明確にするから。そして数え上げるからだ。タスク管理としてよくその必要に迫られるけれど、そういうのって萎える。


あ まり漫画は読まない方だけど、好きな漫画の一つに「泣かせやがってこのやろう」というのがある。そこでは小学生までは神童と呼ばれたほど勉強ができたけど 中学からドロップアウトして不良になった高校生の兄ちゃんと、小学生でこれも天才と呼ばれ勉強しつつもいろんな疑問に悩みつつ、兄ちゃんとのぶつかり合い のようなコミュニケーションの中で自分なりに暫定の解を出していく弟、という本当は仲睦まじく愛らしい兄弟が主人公である。
私は不良にはならなかったが、この兄ちゃんの気持ちというか、経験に共感することがある。動物園のライオンはあるとき急にエサを食べなくなるという話。

今までの何かが間違っていて、それを改善するのが正しいという単純な話ではない気がする。
ただ、振り返るならば、大学と院での6年間は課題はこなしていても習得はしていなかった気がする。どこかにひっかかりや、やり残しを感じながら結局それらと折り合いをつけられずに押し出されたような気がする。
それは法律の思考ルートの多義性によるところが大きく、またかの職業に就こうとしたときに結局ここまでやればいいという線引きが無い大海原へ放り出されることと、その覚悟がつかないということにもあった。
勉強はつまらないものになりつつあった。動物園のライオンがエサを食べなくなるみたいに。それはとても寂しい。加えて、生死にかかわる。

兄ちゃんは言った。
「そういうときどうするかっていうと、ほっとくんだってさ」


言葉の基になるものが経験というのは先日書いた話だが、人格の基になるのも経験だと思っていて、それである経験主義者に共感し尊敬している。その人は可能なかぎりの経験を集めているように見える。知ること、体得することへの欲求。共感はするけれど、タフだ。
今自分にできる経験は何なのか、それを経験として体得するために、気づくための感覚をできるだけ持ちたい。そして記録していたいと願う。

創作について

創作について

少し近い過去に、近所のサイトである企画があった。自前の文章を持ち寄るというもので、そのようなテキストサイトのコミュニティに属したことがないので、新鮮だった。

そこでは作者は実部と虚部のいずれかの部門を選択して、ある程度のまとまった文章を差し出すことになっていた。
これだけブログで日常を綴っているのだから、それは実部で参加するのに決まっていると思っていたのだが、なんだか改まってしまいどうしても書けない。そのうち実と虚の区別をどこですればよいのか、判断がつきかねるようになった。いつものことだ。

結局かなり断片的な文章を書いて見切り発車的に出してしまったのだが、いくつかその前に書きはじめていた話があった。
それはさっきテキストファイルの整理をしていて出てきたのだけど、私にはまったくの創作というものができないのだと思い知る。言葉は確信から、確信は経験から来るのだ。私の場合。
小説を書いている人々というのは、どうやってあの世界を紡ぎだしているのだろうと思う。前に友人が言っていた、本当に頭のいい人は体験せずに真理にたどり着くと。そういう人々なのだろうか。
成果しかしらない。過程が知りたい。


少しアングルがずれるが、江國香織が、なぜ書くか、という質問に答えているエッセイがある。「泣かない子供」に収録されている。
どうしてもそこに行ってみたくて、というのが彼女の答えだ。行ってみたら行ってみたで前後左右もわからず後悔する、と。それでも自分で歩いて自分で見て、自分で触ったものだけを書いていたいと。
想 像だが、彼女にとって書くことは見えるようにすることなのではないかと思う。表現していくことによって輪郭をはっきりさせていき、視界をどんどん広げてい く行為。それがエッセイでは実生活を、小説では頭の中の世界を、視界をクリアにしながら歩いて行っているのではないか。彼女が実生活と頭の中との区別を はっきりしているわけではなさそうなのだけど。

同書の中の「虚と実のこと」というエッセイで彼女はこう書いていて、私は納得した。
「受 賞後のインタビューのとき、お父様の影響は?とおなじくらいしばしば、どこまでがフィクションでどこまでがノンフィクションか、という質問をされた。そん なこと、作者にわかるわけがない。小説というのはまるごと全てフィクションである、と私は信じているし、それでいて、どんなに嘘八百をならべてみても、書 くという行為自体、作家の内部通過の時点で内的ノンフィクションになることはまぬがれない。そんなの、わかりきったことだと思う。」
「意識と無意識のはざま、現実と非現実の倒錯が、小説のエナジーだと思うのだ。」
私が上述の企画にあたり、文章を書こうとして立ち止まってしまったのはそういうことだったのかと思った。結局、虚部で出したのは正解だったのだと思う。


彼 女にとっては思い出もすでにフィクションで、ふと目を離すと思い出の中の彼女が動き出してしまうのだという。彼女はそうやって作品を生みだしているのだ。 行き当たりばったりに。そういえば彼女はあとがきで言っていた。正直なところ、生きていくのにいきあたりばったり以外に一体どんな方法があるのかわかりま せん。


綿密に計画を立てて、詳細な地図を作ってから出かける人もいるだろう。そういう風にしか書けないジャンルというのもある気がする。そういう風にして書く人の作業現場を見てみたい。フローチャートのようなものがあるのだろうか。

そういうわけで、私は創作ができる人を尊敬している。

ある友人と

最近友人のサイトでボウモアの話題が出た。
悲しいことに父が飲めなくなってしまったこともあり、帰郷してからはコップに半分ビールを飲んだ程度でほとんど酒を口にしていない。しかしキリンの一番搾りはなかなか美味しかった。

ボウモアといえば馬場のコットンクラブで、金曜の夜に12時を過ぎてから飲み始めるのがよかった。週末の人々を傍に見ながら、学生街のカフェで気の置けない友人と酌み交わす酒としてはベストで。
結局そこへ行くまでに大分飲んでいたりするのでそんなに飲めないのだけど。
同じ銘柄のお酒でも、そのシチュエーションや酔いの程度やなんかによって、大分味が違う。
アイラは特に、良いときと良くないときがある、個人的に。香りが舌になじむこともあれば薬っぽすぎると感じることもある。


今日そんな友人から久しぶりに、来月から九州の某県で生活を始める旨連絡があった。いい奴だと思う。他の数人の友人と同じように、個別的な、他と差別化された関係だ。そういう友人たちの多くに共通することは、私から踏み込んでいる点だと思う。

彼はマッカランを頼むこともあれば、一緒にボウモアを飲むこともあった。
タバコを吸う。銘柄は忘れた。
一人称が「僕」で二人称は「君」。
なんだか育ちがよく、真っ直ぐに育っている。よくイメージとの逆をつかれる。
彼が酔っている、と感じたことは無い。
彼とは抽象的な話をよくした。真っ当だよ、と言ったのは彼である。
決して似ていないしわかりあってもいないが、関係性についての認識はそんなにずれが無いと思う。

この機会になんとなくメモ。
分類項目の中にまたエントリが放り込まれる。
たくさんの文章群にはそれぞれ名前がついていて。
先日少し読み返したら、こんなもの今や書けない、というものが会社に在籍していた平日に多く、さもありなんと思う。あの頃が美しく、見えないこともない。
そんな日々に酌み交わした友人は、覚えていてもいなくても一人の目撃者であり、その時間を共有したやはり大切な人なのだろう。 最近友人のサイトでボウモアの話題が出た。
悲しいことに父が飲めなくなってしまったこともあり、帰郷してからはコップに半分ビールを飲んだ程度でほとんど酒を口にしていない。しかしキリンの一番搾りはなかなか美味しかった。

ボウモアといえば馬場のコットンクラブで、金曜の夜に12時を過ぎてから飲み始めるのがよかった。週末の人々を傍に見ながら、学生街のカフェで気の置けない友人と酌み交わす酒としてはベストで。
結局そこへ行くまでに大分飲んでいたりするのでそんなに飲めないのだけど。
同じ銘柄のお酒でも、そのシチュエーションや酔いの程度やなんかによって、大分味が違う。
アイラは特に、良いときと良くないときがある、個人的に。香りが舌になじむこともあれば薬っぽすぎると感じることもある。


今日そんな友人から久しぶりに、来月から九州の某県で生活を始める旨連絡があった。いい奴だと思う。他の数人の友人と同じように、個別的な、他と差別化された関係だ。そういう友人たちの多くに共通することは、私から踏み込んでいる点だと思う。

彼はマッカランを頼むこともあれば、一緒にボウモアを飲むこともあった。
タバコを吸う。銘柄は忘れた。
一人称が「僕」で二人称は「君」。
なんだか育ちがよく、真っ直ぐに育っている。よくイメージとの逆をつかれる。
彼が酔っている、と感じたことは無い。
彼とは抽象的な話をよくした。真っ当だよ、と言ったのは彼である。
決して似ていないしわかりあってもいないが、関係性についての認識はそんなにずれが無いと思う。

この機会になんとなくメモ。
分類項目の中にまたエントリが放り込まれる。
たくさんの文章群にはそれぞれ名前がついていて。
先日少し読み返したら、こんなもの今や書けない、というものが会社に在籍していた平日に多く、さもありなんと思う。あの頃が美しく、見えないこともない。
そんな日々に酌み交わした友人は、覚えていてもいなくても一人の目撃者であり、その時間を共有したやはり大切な人なのだろう。

人を見ず

人間には様々な欲というものがある。
全くないと生命を維持できないが、これを持ちすぎると悪しきものとする傾向にある。食欲、金銭欲、愛情を欲すること等々。

その中に人に認められたいという欲がある。これもある程度はないと社会的に生活ができないが、度を過ぎると自分も周りも苦しくなる。
過ぎたるは及ばざるが如し。

欲にも、よく断罪されるものとそうでないものとがあるように思う。認められたいという欲は後者で、むしろその欲求は向上心として肯定的に受け取られることが多い。それがよいか悪いかはわからないが、私を苦しめたのは事実であるし、また多くの人をも苦しめているように思う。


少 し前のエントリで書いた、何者かであることとそれによる自信のことについて考えていて違和感があったのは、私は自信についても今特に欲していない、という ことだった。一年前は自信が欲しくて就職活動をした、という側面も大いにあった。自分がそうして誰かに必要とされている証明が欲しかったしそうしないと無 価値だと焦っていた。今はきれいに消えている。

自信というのはそういうことなのかもしれないと思う。
常に人に認められて得るものではなく(その手助けは借りるかもしれないが)、終局的には自分で立つということ。人の評価は一定ではない。人も様々である。
と、頭では前から分かっていたことなのかもしれないが、すんなり受け入れられるようになったのはここ最近。

というスタイルについての変化があった。


母によく言われていたのは、人を見てはいけません、という言葉。

そのあとに、神様を見なさい、と続くこともあれば、自分は自分である、と続くこともあるし、実を見なさい、と続くこともある。
彼女自身が、人を見すぎることによって、本質を見誤ったり、混乱・失望した経験を通して学んだのだと。

私はそもそも人をそんなに信用したり尊敬しすぎない方だが、評価は割と気にしてしまう方で。
そんなとき芥川の河童を読むと、評価などどうでもよくなる。

参考:「河童」/芥川龍之介

報道不信

年に二回ほどだが訳もなく苛々することがあって、そういうときは自分で分かるのでカルシウムの錠剤を飲んでじっと神妙にしているのだが、その際に沢木耕太郎の「バーボン・ストリート」を読んでいて更に苛々する結果になった。

そ の短編では、友人である井上陽水氏が作曲をする際に沢木氏に宮沢賢治の「アメニモマケズ」の詞を聞いてきたというもので、結局よくは読んだことのない沢木 氏は本屋へ行ってその詩の載った本を買い求め、何食わぬ顔をして電話口で教えてあげた結果、井上氏が本歌取りをし、現代の問題を提示するような曲に仕上げ たという話。沢木氏はその歌に軽い衝撃を受けたのだと。いい歌だったと。
井上氏は歌でこう締めくくる。
----------------
君の言葉は誰にもワカンナイ
君の静かな願いもワカンナイ
望むかたちが決まればつまんない
君の時代が今ではワカンナイ
----------------
参考:「ワカンナイ」/井上陽水

落 ち着いた今なら問題を提起する井上氏の意図やその表現力をいくらか評価することもできる気がする。ただ、私は宮沢賢治のあの詩を大変敬愛しているし、心か ら共感している。それで、なんだか腹立たしく思ってしまったのである。ただ、なぜ腹を立てたかを腹を立てながら考えていたら、それはそれだけのことではな いのだと気づいた。
それはここ10年ほど私の中で積み重なってきたジャーナリズムへの不信である。
彼らがある事実をそのままの重さで(つまり彼彼女自身が感じたそのままの重さということだが)本当に正確に伝えようとしているのか、またその力量が備わっているのかということに対する不信である。


詩がわかんないならそれでよろしい。そういう時代だという表現もありだと思う。
私はおそらく沢木氏の見方に何か穿ったものを見たのだと思う。
沢 木氏は「アメニモマケズ」へのアンサーソングだと表現する。私にはそうは思えない。それは「アメニモマケズ」がアンサーを全く必要としていないと思うから である。それは彼の生き方である。独立している。言葉上でも彼は「ソウイフモノニワタシハナリタイ」と言っているのである。問いかけてなどいない。
また彼は言う、これはラブ・ソングともとれるのではないかと。
とれるか?断片的にすぎるだろう。

本当に沢木氏はそう受け取ったのか?
私は彼があるトピックから無理やりにいろんな解釈をひねり出していかにも美しく豊かに見せようとしているように見えた。過剰、だと思う。彼が非常にロマンチストであるということを差し引いても。
小 説ならばいい。それは小説の作者が決められることだからだ。自分のことに関しても半歩譲ってよしとしよう、事実でなくても。しかし何かの対象を表現しよう とするのなら、そのままに表現すればいいのであり、華美な装飾などいらない。彼の生業とするルポ・報道などというものはその正確さに価値があるのではな かったか。


私は少し前まで報道番組と言うものを見続けることができなかった。あたかも本当のように使い古された言葉を使い、感情を煽る様がとても嫌だった。今でもあまり見たくない。比較的すんなり見ることができるのは、テレ東のビジネスニュース。彼らはあまり煽らないから。
前に、感情を仕向けられるのがきらいだと書かれたブログエントリを見た。
もしかするとそういうことなのかもしれない。


何にせよ、当の宮沢賢治がそれを見たとしてもさらりと受け流したに違いない。彼はそう願って生きていた、ただそれだけのことだからだ。誰の承諾を得る必要もない。
彼 の時代にその価値観が支配的だったわけでは勿論ないだろうし、今も昔もワカンナイ人はワカンナイのだろう。もう一つ、現代は現代はと言いすぎる人々がいる が、今も昔も本質は多分変わってない。その時代その時代で現代人は、不埒だし課題に直面しているし混沌の中にいるのだ。


とここまで書いてはきたものの、これも結局は趣味の問題かもしれない、と考える。
私の趣味ではないということに尽きてしまうのかもしれない。なんでも大きく捉える人というのはいるのかもしれないし、それが好きな人もいるかもしれない。
ただ私はその影になっている作品を敬愛していたが故にそれに過剰反応したのかもしれない。

他の沢木氏の著作には優れたものも多いと思われる、念のため。

何者かであること

たとえば、私の何度か用いている「何者かである」ということについて考える。
それは広義において他からの評価である。狭義では肩書きや社会的地位である。

院 をでてから就職活動をした際に強く感じたことだが、人は全く知らない人を見るときに、属している組織、それまでの学歴、職歴、資格、そういった目に見える 社会的地位などでとりあえずの判断をする。それはそうすることが一応の基準になると考えられているからで、もちろんその人となりを知れば知るほどその人に とって彼は何者かになっていくのだろうと思う。ただそれまでは、肩書きなどというのは結局無いと不便なものではある。入り口のようなもの。そういえば社会 が納得するようなもの。


そこで、私は何を求めていたのだろうと考える。おそらくそれは何者かであることなのではなくて、自信だろうと思う。ちょうど去年の試験の終わった頃に、君に足りないものは自信と覚悟だと言われたことが思い出される。

何 者かでないと困ることというのはどちらかというと、社会的に認められていないことというよりは、社会的に認められていないと思うこと、それが自信のなさに 繋がってしまうこと。逆を言うならば、何者かになることは自信を得るための一つのルートになるわけで。というのもその友人の示唆。
自信をある程度 得ることができたという意味で会社に入る前と入ってしばらくした後とでは随分違った。ただ、会社に属していた頃と辞めた今とでは違わない。それはもはや何 かに属していることが問題なのではない。何者かであるということを離れ、単純な自信の問題に回帰しつつあるということだ。
そしてその何者かであるルートによる自信の回復は奏功した。

ただ周りの評価というものを私は把握しきれない。評価を評価と受け取らないこともある。結局は何を信頼するのかに行き着く。つまり私が、評価した人、シチュエーション、内容等を総合して「評価されているかどうか」を評価するのである。無意識下で皆やっていることとは思う。


そしてもう一つ言われた覚悟という話。ここへ来てそれが迫ってくるのを感じる。覚悟を決めるにはそれに懸けるだけの何か大切なものが必要で、その大切なものとは何であるのかをよく考える昨今になっている。全ての道はローマに通ずるのかもしれない。

atmosphere

最近ひたすら眠れない。何をかき分けても辿りつかない。
眠れないまま暗い中でぼんやりしたり、思いだしたり、シミュレートしたり、そうやって3時を回る。
くるりの「LV30」という曲がついと浮かぶ。「今何時だろう何時代だろう眠れないんだろう」。実際今何時なのか、何時代なのか、わかったものではない。

暗い中でいくら目をこらしたって世界は白黒にしか見えず、窓から見えるうす赤い空のみが色らしい色をしている、と思う。色つきの世界と隔てられている感じがする。それで、思いだそうとしてしまう。

で、ブログを書いてしまったりもする。

頑張らなきゃと思っているのを気取られるのは少し格好悪いと思うのだが、周りにはばればれらしく、あまり長女ぶるな、とは今日の友人の言。ゆっくり焦るなも割と言われる、けど私自身はこのブログの名前に見合うようには、初心のようには加速しようとしていない気がする。


森 美術館でのアネット・メサジェの展示は体のいろいろな部分をアップで撮った写真をざくざく貼り付けた展示や、それらをぬいぐるみでモディファイしたような 展示が結構あった気がした。それはその作者の視点を何らかの形で抽象化というか、芸術の体をとったというか、そういうものだったのだと思う。ああいう風に 断片化すると気持ちのいいものではないが、その視点は勿論私も持っているものだし、神は細部に宿るわけで。
私は人の手を見たりするのが好きなのだ が、手の持つ雰囲気というのがあって、それはブレイクダウンすれば指の細さだとか、骨の形だとか、質感だとか理由は見つけられるのだと思うが、「理由はあ る、けれど本質ではない」という友人の言葉がここでも当てはまるのかもしれない、と思う。その手の持つ雰囲気、というのは、説明しがたいいくつもの理由の 絶妙なバランスを含めた総体、ということなのだろう。事象全般において、それは当てはまる気もする。

一抹の寂しさと

おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
-----------------宮沢賢治「告別」より


寂しいな、と思う。東京を、仕事を、友人たちを離れることが。
友人が言った、何かを実らせるには孤独が必要だ、と。
彼は人間を愛し、同じくらい孤独を愛しているのだなと思う。犀の角。


自分を商品として見ている、と言ったのは別の友人で。
それは主に対親で、そういう見方は私にとって新しかったし、とても真面目な感じがする、と思った。
彼は言った。「なんで会社やめたの?って聞いた方がいいのかな。」
僕が旅に出る理由は大体百個くらいあって(くるり「ハイウェイ」)、といいたいところを三つくらいにして、話した。
彼は言った。自分なら今までの投資を考えてしまうし、いつまでも魅力的な商品であり続けていたい、と。つまり投資対効果が一定以上ということと、ありきたりなことをして(彼または彼の親にとって)面白くないレールの上を歩きたくはないということ。
私は今まで彼のそういう姿勢を、若さからくる何かだとおもっていたのだけど、よくよく聞けばそういう親孝行のあり方なのだった。それが彼にも親にもwin-winになればいいなと思う。

私 は自分を商品だと思ったことはなくて、両親が私に注いだものは金というより愛であり、それに報いるのはやはり愛をもって、と思っている。両親も幸い投資対 効果には頓着していないようなので(とはいえそういう面でも報いたいけど)、多分本質はそこじゃない。うちの場合。で、こういう決断ができたりもするわけ だ。というか、いつもは帰ってこなくていいと言う親が結構な度合で帰ってきてほしいというなら帰るのは当然なのだ、うちの場合。


直感を大事にすべきだ、と違う友人は言った。
「そういうのって直感だよ。理由はあるにはあるんだけど、本質ではなかったりするんだよ。
で、理由積み上げて合理的に出した解でうまくいかなくなっちゃうと、なんでだ、ってなるけど、直感で決めてれば、ああちょっと勘がおかしかったんだね、で済ませられるじゃん。」
屈託なく笑う。
僕には旅に出る理由なんて何一つ無い、のかもしれない。


被害者意識みたいのは無いんだね、と違う友人は言う。
なんで私だけ犠牲に、とか、なんで他の人はすんなり進んでいるのに、とかいう意識って無いんだね。
まあ、あるわけない。犠牲ではなく機会だと思っているくらいだし、こうでもしないと私は実家に帰らなかった気がする。少し前まで、親の死に目に会えないというのも仕方ないとか思っていた人間である。
試験を一旦やめると決めた時から私はそのレールから外れているのだし、違う方面で得難い経験もしたと思うし、それが私には必要な工程だったし、そして今回のこともそうなのだろうと思う。
何がよかったか、悪かったかなんてわからなくて、問題は限りある人生の時間をどう過ごすかだ。それを考えるのもまた一興。何も諦めていない生意気な若人ゆえ。


今後は、地元で仕事を探し、家を見つつ、空いた時間を試験勉強に充てる予定である。


会社を辞めるにあたり、様々な反応をいただいた。
コンサルとしてのポテンシャルを語ってくれた上司、今後のキャリアを心配してくれた人、試験を受けることを歓迎してくれた人、家を心配してくれた人、また一緒に働こうと言ってくれた人、壮行会だ!と飲みたがる先輩。
そういった人々の言葉に支えられて積み上げていくものなら人生は素敵だなと思う。

「在る」について

メモ
問題点の整理

1.真値とは何か
真の値。数値で表すことを前提とする。
真値があるということと表現できるかということは別→exactly
面積2の正方形の辺長を√2としたように、究極的にはリンゴA1個の質量は1リンゴA、でもいいことになる?それ真値?意味ある?真値がある、というのは統一基準の単位のもと数値で表せる、ということなのではないか。
仮にグラムを単位として真値を導くとしよう。


2.真値を「観測しえない」とはどういうことか
リンゴAを手に持つ。手に持って質量を感じるという方法により観測はできていることになる。あますところなく。それをグラム単位の数値で表すとどこまでも先で見えない、つまり表現しきれないという意味ではないか。


3.真値を観測できないとき、それは「在る」といえるのか/「在る」とは何か
・「在る」の定義
「在る」とは「その状態である」ということを指すと考える。これは、「その状態を物質的に観測できる」という意味と「その状態を観念できる」という意味がありえ、またその都度「その状態」定義の内容は変わりうる。

・リンゴAの真値は「在る」か
「グラム数で定義した真値を観念できる」という定義ならば、観念できると思えば「在る」。「真値それ自体を観測できる」という定義ならば、真値を知りえない以上「在り」得ない。

・リンゴAは「在る」か
「リンゴAというものを観念できる」という定義ならば、「在る」。
「赤くて大きさがこぶし大で質量が200グラムぐらいのものを観測できる」のような定義の仕方だと、それを観測できれば「在る」しできなければ「無い」。※「目の前のものを観測できる」という定義の仕方だと、「在る」。(トートロジー的だがこれが割と多い気がする)

・正方形は「在る」か
この場合、定義がすでにある。「観念できる」という定義ならば観念できるので「在る」。
もし正方形を「観測できる」か、という意味であれば、「無い」。


4.リンゴA/世界の真値の出し方?
リンゴAの質量の真値を知るためには真値の定義(「リンゴAのグラムでの数値」)と、その観測時刻の固定が必要(時間軸をも含めてリンゴAを観測するなら時点ごとの観測が必要)。
そうすると、世界にも真値はある(値で表せるものに関して)。定義と時刻の固定(または観測期間における時点ごとの観測)により。ただし、時間の流れが各所で変化しないという前提のもと?時間の流れ方すら含めて真値としてもよい?


5.時間軸との関係
「その状態」の定義の際に、ある経験をもとにすることが多く、その場合その経験時点の状態を「その状態」とすることになる。なので、「その状態」との比較である状態を観測/観念するという意味で、「在る」は相対的なものである。
そしてその都度「在る」定義は更新されていく。


6.文法
無意識に使っている言葉の法則を探ること。

挑戦と共有への情熱について

友人の掲示板にやたらと長くわかりにくい文章を書いてしまって後悔。
そこでは「在る」とは何かの話をしていて、端的にいうと、全部主観、という主張。「在る」と思えば「在る」、みたいな。
これって結局単なる諦めで。ただ、今時点で一番正確に言うならそう言うしかないと思う。
しかし人間の能力的にどう考えても把握できない世界を把握しようとする人間の挑戦や情熱は好きだ。


たとえば観測という話。
これは数値で世界をとらえようとする試みで、おそらくはその単位の設定が難しいのだと思う。
その一番精度の高い、つまり一番小さい単位を見つけるのがポイントなのかもしれない。ほんとに挑戦しようと思ったら。

もうひとつは、共通のものさしをつくる、という試み。これは便益のためだ。ある王の胸から指先までの長さが1メートル、なんていうアバウトなやつはそういうこと。(今のメートルはもう少し厳密ですが用途はまあ同じこと)
ある価値を共有する、ということ。
人と人が、同じものを見て、ねえ同じものが見えてるよね、という確認をしたいがために、文化は発達してきたのだと思う。
共有するということへの情熱。
言語なんかその最たるものだし、もう少し精度が落ちると絵や音楽もそうだと思う。
そして結局、わかりあえない、と思うのだ。

で、先の単位への挑戦にしたって、結局、測り知れない、と思うのだ。多分。
しかしチャレンジは人間の幸福だと思う。

080726

書こうか。

天王洲アイルから永田町へ。永田町から八丁堀へ。八丁堀から赤坂へ。赤坂から台場へ。
今日はよく移動した。
それらの場所で、採血や閲覧や訪問や会食や散歩をした。

初めて会う人が二人いた。一人は紺の浴衣を着ていた。

台 場の空は都会の反射で赤く明るく、そこには黒い木々の葉やその梢がよく映えた。光を減ずると色が減ることを我々は経験的に知っていて、赤い空に黒い木とい うような、黒と何かの色の組み合わせは脳にとって刺激的なのかもしれない。プレミアムモルツのCMやシン・シティの映像が印象的なのもそのせいな気がす る。
色が減ると言ったのは、黒も色に含めているからだけど、光との関係でいえば黒は色ではないのかもしれない。非色。吸色。

帰り道にはくるりが歌っていた。




天王洲アイルは空いていて、カフェでお昼を食べながら、さけチーはモッツァレラに似ているから、代用にしていつかトマトパスタに入れてみようと思いついたのはそもそも食しているパスタがモッツァレラチーズの部分以外不味かったからだった。

会った感想を初対面の人にその場で言われることの久々。ちなみに感想は「息子の嫁に」で、言った彼女は27だった。光栄だ。


鎌倉の仏像の話から派生して、人の形をした造形に存在する何かしらと、それを求める心理について。キリスト教やイスラム教は偶像崇拝を禁じている。
ともすれば、人間は像をつくる。形にすることで信仰や意識の対象を選択し集中させているのだろうか。目的を明確にわかりやすく、つまり目に見え手でさわれるようなものに具現化したいのか。
カトリックのマリア像はOKなのか、プロテスタントの十字架はどうなのか。象徴はどこから象徴なのか。メタファーとしてのあしか。

そ もそも、なぜ偶像崇拝を禁じたのか、というのは、私の理解では、像を崇拝することによって像それ自体を独自の神として作り上げてしまい本来の神のことを歪 曲したりそむくようになるから、という理由かと思っている。それに像が神のように扱われることによる不都合(たとえば継承・所有の争いとか傷をつけたら何 だとか)もあるのかもしれない。

個人的な意見としては、何かを通して神を見る、というのはありなのだと思う。人間が使える手段は限られているから、目に見え耳に聞こえ手でさわれるものを通して神を見るというのは至って当然だとも思う。
ただ殊に人の形を模ったものは概して感情移入しやすいし、それ自身を神と信じこんでしまいやすいのかもしれない。人や像を信じるのではなくその先にいる神を信じるのだ、と強く思っていないと難しい。
私は割とアニミズムぽい考え方をもっていると思う(かといって虫も殺さないというわけではない)(人間が虫を殺すのは生態系の一部だと思う)。ので台場の木々の梢にもそれを見出すことはある。けど像を拝もうとはまだ思わない。
先日仏像に圧倒された経験は大事にしたいけど、多分あれを通して神を見るとするならば、ああいうものを作り上げた人間の情熱や、その人間を生み出し生かしているという点において神をみるのだと思う。あれに何かが込められているのは本当だと思う。


人間がつくった一流の物たちについて。
マッカラン18年の上質なストーリー性。ロードスターの「ワクワク感」ZOOM ZOOM。
こういうことが真のホスピタリティなのだと思う。し、黙っていいものをつくる、というのが格好いい。
最高の体験価値。


期待していないつもりなのに、少し傷つくことがある。
価値を出せないことに悩んだりするのは何も対仕事だけではない。

我に返るということ

また、時間は高さだとかエネルギーだとかそんな話を読んだから、いろいろ読みたくなった。

と きに執着し、ときにどうでもよくなり、何かが見えたと思ったり、詮無いことと気づいたり、その繰り返しで、そこで思うのはアウフヘーベン的な何かであった り、キルケゴール先生のあれかこれかであったり、死に至る病であったりする。それでもLife goes onなのであり、Going my wayであって、というかそれらは割とあらがえない事実を確認する言葉だなと思う。ひとつには諦めで、ひとつには意志。

時間がなんでもなぎたおすという表現はたいへん相応しく思われる。
ベ ルリンの壁を壊したのも、ローマ帝国を滅ぼしたのも、時間だと言われたら、その時歴史が動いたっていうか、つはものどもが夢のあとで、国破れて山河があっ たりなかったり、諸行無常な響きは時間の音だったのかもしれなくて、地球温暖化とかまさにそれじゃないかとか思うわけで。何にせよ、べつに誰が責められる べきとも思わない。
人はパンのみで生きるのではないけれども、パンなしでは生きられないのであって、WFPの活動は素晴らしいと思う。そういった 何か慈善活動的なものについて、それはポジティブにやればいいのであって、誰かを責めながらやるのは筋でないと思うのだ。募金活動は拠出しない人を非難し ながらやるべきではない。
と結構強く思うのは、歪んだ正義感なのかもしれないと思う。強いられることに対する抵抗。


ぢっと手を見る、というのをよくやってしまう。正気に戻ってしまい、形而上学的世界へ誘う行為である。勉強やら仕事やらというのはやってる最中は正気じゃないと思う。集中というのはそういうことだ。

memo_080705

上野
てんや
てんやのない場所
東京芸大
奏楽堂
チェンバロ
シャンデリア
シャングリラ
こども図書館
アンドゥ
モモ
レアチーズケーキの箱
島○君
ゆりかもめ
香港
きりん
石油
海苔
環境
百人一首
袖振ったり振らなかったり
足が小さかったり
宗教
垣根
定義
ルール
善悪
潮風
グリーンタワー
中華
センス
伸びしろ
便利士
物怖じしないこと
沖縄の男
香港の手
クラシック

後日京都で

旧友、その友さらに友。

高校時代の友人が東京に来ているというので、有楽町で逢いましょう的な。
曰く、ブログを見てると元気なさそうなのに実際会うと元気そうだとのこと。
Exactly.よく言われるけどそんなにひどそうなのか。大丈夫です。

イタリアンにカフェにベトナム。なんだよペニンシュラかよ的な話もありつつ。頑張った感の評価。結婚式があったらしい。
ベトナムは人数が増えていて、関西オンステージで、テンションの違いと喋んなくてもいいポジショニングにまったりしてしまい、全く積極性に欠けるかたちになったけど、それもまあいいか的な。名刺ある分交換。先刻あらゆる面で友人には消極性をアピールしていた。


なんだか久々に知らない人たちに会ったので、というかすこし違う世界の人たちと会ったので、興味深かった。皆京大だった。そういえば。気を遣って、結局コアの話をしないのが大人なのだろうけど、それってば楽しくない。
沖縄の話を熱く語ってくれる京都の人がいたりもして、それってすごくありがたいというかその人の傍にいる沖縄人の人徳なのかしらとか。
な んだかそういう人って結構いて、いわゆる沖縄フリークというか。そういう人たちの気持ちってすごく嬉しいし、自分としても当事者というよりその目線で最近 は沖縄を見ようとしつつあるなと思う。客観的に見えていてそれでいて好きだと言ってくれるのがいい。沖縄人が沖縄を好きなのはある意味当然なのだ、自分が 自分をなんだかんだいって庇うように。

なんとかしなきゃいけない、問題を解決しなきゃいけない、沖縄を変えなきゃいけない、そんな議論はたくさん聞いてきた。変えるにはどうすればいいか、何が必要で今何をすべきなのか、そればかり話してきた。
でも実際、私は、沖縄の何を大切に思っているのだろうと思った。何を大切に思うから、変えなきゃいけないのか。

基地の用地になっている土地じゃない。経済発展でもない。反骨の風土でもない。
私は多分、あの人々の決して裕福ではないが満ち足りた生活、血の騒ぐような伝統文化、言わなくてもわかるような根底に流れる絆、みんなが当たり前に助け合えること、人生に対する鷹揚さ、広い海に臨んで世界を感じられる心、そんなものを大切に思っているんじゃないだろうか。

そういう出発点を分析することを怠っていた気がして、なんだか気付きを与えられた。
それを確認したうえで動かなければ、よかれと思ってしたことで、大切なものを失うことになる。


というわけで、通勤で通るいつもの道で小一時間立ち話してしまった。
皇居の黒々とした緑は実際魅力的だった。


賢い人はたくさんいるし、それぞれがいろんなことを考えてて、そういうのを共有できていないのはなんだか惜しくて、というかそれを吸収したくて、つまりもっといろんな人と話したいなと、そう思う。
京都でも思ったのだけど、少し話すだけでも頭のよさとか考えてることの深さとかって見せてもらえることがある。それはその人が黙ってて隠そうとすれば隠れてしまうものなんだけど。
大人になるとそんなことがある。学生くらい自己主張をした方がもっと日本は良くなると思う。
ああ勉強しよう。

Whiskey and Freedom go hand in hand.

熟撰と竹鶴の翌日。
麻布では焼肉やワインで、麻布なモンスーンの次はコットンクラブでボウモア。
そんな週末。飲みすぎ。

コットンでは大学からの友人すぎてあまりにリラークスで、沈黙は悠久のような。
ボウモアってこんなに華やかだったっけと少し感動し、竹鶴のシンプルさを思う。

酔うということが感性を変える、という実感を話した。友人はあまり酔わないらしく。
どういうことかというと、ひたすら物が生き生きして見えてくる。溶けゆく氷も、友人の煙草の灰も、街燈の下の木々も、あえていえばマンホールの蓋も、植込みの花も、何かを主張してくる。
つまりは人以外、(厳密にいえば人のパーツというか物質としての人は生き生きしてくるけど、)何かその人格的な人間的な思惑的なものがひたすら薄れてくる。
自分が世界に一番近づける時だと思う。まあ単なる酔っ払いなのだが。


土曜は出勤で、その前に先輩とランチへ行き、まったりと休日であることを確かめてから、出社した。数時間ですんだので、お台場を散歩しに行った。
もうさすがに酔ってはいなかったのだが、風の強さとか、椰子的な木の風に吹かれているのとか、久々に聞く葉の戦ぎとか、稼働しているクレーンだとか、何より潮の匂いとか、茫々とした原っぱとか、曇り空の中で輪郭のはっきりした雲だとかを見るにつけ。
そういうのが戻ってきたというか、その状態に戻ったということが安心したというか。

最近沖縄に帰っていた時、前に受験時代にあった感性でなくなってしまっていること、つまりゴーヤーの棚だったり植物のいちいちのディテイルや空の雲に感動しなくなってしまったことをとても残念に思っていたのだった。
それは精神状態が上向きだから、そういったものに感傷的にならないのだろうと結論していた。
それも一つあるかもしれないが(そもそも精神状態は上向いたり下向いたりという一次元では到底結論づけられるものではない)、煩雑な人間関係を整理したというのが大きい気はする。ともあれ凪だなと思う。ベースとして一人は気が楽。幸いにして、好きな友人は多くいるし。

何かを強いることも強いられることも嫌いだ。

日曜は雨。散歩には行けない。

書くことについて

昨日mixiのメッセージで結婚の報告を受けて、その子は日記でも対友人にそうやって報告をしていて、そういう時代なのだよなあと思う。ブログ然り。

人間関係について、とか、文章について、とか、人生について、とかいろいろなことを思考して残してきたし、それで私の思考していることのコア(とはいえせいぜい2割程度だとは思うけれど)を、このブログでは勝手ながら開示してきた。

2割というのは、開示してすぐに後悔する文章は書きたくない(または置いておきたくない)という方針があるからである。
ブ ログや日記を公開することに羞恥の感情は無いのかと問われたことがある(それは何度も同じ人に問われている気がするけど)が、羞恥の感情が無いのではな く、許容できる範囲のものを書いているというまでで、さらに記録しておく必要性や、コミュニケーションの基礎・意見を求める際の契機としての開示の必要性 がそれを上回ると思われるものについて書いているというのがおそらく書いている理由だろうと思う。
要は自身の記録と、自身を知ってほしいという自己顕示欲の現れだと思う。
文 章を書くのが自慰行為だというのは言い方の適否は置いておいて、当然ある程度そういう性質を持っているものだと思っていて。ある文学部出身の友人が(退学 したが)教授に皆の前で「君の文章は自慰行為なんだよ」と罵倒されたというエピソードは結構強烈に印象に残っていて、それを思い出す度に、そういう性質を 持たない文章はないとは思う。その教授の言わんとするところは、「専ら」ということなのだろうけど。
文章を書くという行為に限ったことではなく、人間のほぼ全ての行動に当てはまってしまうのかもしれない。
文章においてこのようなことが殊更に言われるのは、文章は人様に見せるものであるというのを前提にしていて、そのようなものである以上読み手に配慮して然るべきということなのだろう。

まあ読み手を意識しない文章というのはありえない気もしていて、そういう批判を加えるのはいつも読み手なのであり、「意味は読み手が持ち寄るもの」ということや、「価値は周りが決めるもの」という友人たちの箴言も思い出されるところではある。

mixi日記もブログも、その位置づけというのはこういった読み手の評価とそれをどれだけ書き手が気にするかという点に尽きる。

つまりはmixiにしろブログにしろ、結婚を報告できるのはうらやましいという話。

酒の話でも

酒を飲むといっても、割と好き嫌いのある方で、酒を飲んで帰ってきたとかいうエントリのときは大概ウイスキーであって、それでウイスキイだのウヰスキーだ のという字面につられて引用してしまったりもする、それはよくする。バーのマスターはtwice upを勧めたけれど、ロックがいい。常温の酒というのはあまり好きでない。死ぬほど種類がある中のごく一部しか知らないけれど、結局今時点一番好きなのは スキャパだったりする。

果 実酒も好きで、梅酒をはじめとしてメジャーに杏とかライチとかいろいろ出ているかと思うけど、イタリアの食後酒でレモンチェッロというのがあり、それがも のによるけれども美味しい。ドイツの食後酒シュナップスはいつか連れて行っていただいたドイツ料理店での一度きりでどれを飲んだのか覚えていないのだが、 美味しかったような記憶。

ワインは普通。つきあいで飲むもの。またはウイスキーが無いときに飲むもの。焼酎も同じく。
何気に泡盛もそんなに飲まない。これもあれば飲むもの。

日本酒は熱燗のみ。生感がどうも苦手である。

カ クテルもつきあい。適当に言って作ってもらったのを飲むくらい。これこそものによるのでなんとも言えないが、酒気の程度は置いておいて、美味いのは奇跡的 に美味い気がする。このジャンルはその場限りで生まれる料理のような、アートの域である。カクテルやバーの魅力にとりつかれる人が多いのもわかる。


そしてビール。実は本題。
仕 事柄、最近のプレミアムブームを調査したりしている。その隆盛を極めているらしいのがプレミアムビールという分野である。定義ははっきりしていないけど、 いわば高価格帯のビール。サッポロのエビスや、サントリーのプレミアムモルツがその代表で、アサヒ(熟撰等)、キリン(ブラウマイスター等)など他社も追 随している。
ビールはお酒の中でもあまり好きではなくて、それは過去炭酸を嫌いだったり、苦味を苦手としていたりしたことによるのだが
そもそもプレミアムビールを飲まずしてプレミアムビールは語れまい
と思い、最近機会を見て飲むようにしている。何事も経験だし、手軽にできるタイプの経験だし。

そんなには飲んでいないけど、中でも美味しかったのが、お台場の日航ホテルの鉄板焼の店で飲んだCOEDOの白。サイトが凝っている。
酵母が独特で甘酒のような味がする。小麦だからか甘味があり苦味が抑えられとても飲みやすく仕上げてある。あの舌に残る苦味が好きな人には物足りないかもしれない。
ほかの種類も飲んでみたいではあるのだが、なかなかその辺では売っていないし、何気に高い。父の日にでも贈って少し横で飲もうかとは思っている。

そんなこんなで、今日は家でヱビス<ザ・ホップ>。香り高く、と黒木さんの言うように、ホップの香り高い。少しだけ酸味が強い気がする。他はよくあるビール、という感じか。
夕食に店で琥珀ヱビスを飲んだばかり。どちらも後味はすっきり。

それにしてもサントリーはマーケティングがうまいというのが定説で。
伊右衛門にしろ、烏龍茶にしろ、BOSSにしろ、なっちゃんにしろ。ハーゲンダッツも実は共同出資している。
いいな。

いつもその場所で必要とされる人になってください

とは、高校の恩師の言葉。


金曜の夜。銀座。
質問し、打ち返され、それを拾い、棚にしまう。
安心と安定と根底。芯からの温かさ。人間への興味。
その棚を見せるということを、たまにする。これは六本木。
リアクションをこねてラベルにし、棚に貼る。はがしたり、棚を統合したり分割したりもする。


以下無断掲載。

自分自身の世界に、間違いや無駄は存在しえない。間違いにしたり無駄にしたりするだけだ。

一般に、正しいか正しくないかは数の原理。

責任感など周囲が僕をコントロールするためのツールにすぎない。

自立している人など一人もいない。自立できるものでもないし、自立しないことに意味がある。

価値は周りが決めるもの。君に決められるものではない。

人間は、必要とされるところに身を投じるものだ。

貢献したいと思うかどうか。

本当に頭のいい人は、経験せずに真理に辿りつける。

真理なんて全然関係なく幸せに生きてる人もいるしそれはそれでいいんだけどね。

イノベーションというのは結果論だ。イノベーションを起こそうと思って起こした人なんていない。信念なんだよ。

以上無断掲載。


話は変わるけれど。
必要とされるということを必要とするという意味において誰かを必要としているというのは、おそろしくエゴイスティックなことだ、私のはおそらくそれだったのだ、という気づき。
今までの恋人だった人々との関係性につき、純然たる好意ではなくてエゴ的なものがいつもあるような気がしていたのはつまりそういうことだ。

必要としてもらえるかどうかは相手に依存する。
自 分には完全にアンコントローラブルだと捉えて割り切る、というのが一つの解であり、コントローラブルだと捉えて努力をするというのも一つの解なのだろうけ ど、おそらくどちらにしても言えるのは、決定権は相手方にあり、そのことについてつべこべ言う権利も考えるメリットもないということだ。


詮無いことをゆるゆると考えることの優雅さ。
金曜の夜はそういう時間と得たり。

窓の外

4月も終わる。5月病の季節。
葉桜が散って、細い銀杏の枝に薄い色の葉がどんどん増す。欅が爽やか。就業中のささやかな楽しみ。

さて、つい先刻、窓が好きなのだということに気づいた。
夜中に帰宅して、電気をつけずにカーテンを開けると外の灯りでほのかに明るく、窓をあけてぼんやり窓の外を見ていて、というのも、厳密には窓の「外」ではなくて、「窓の外」を見ていて。窓込みで。
ああ、これは沖縄にいたときに、よく眺めていた光景ではないかと気づいた。

沖 縄にいた数か月、勉強ができなくて、リビングの窓から、空や庭のパキラやクロキやらばかり見ていた。そのまま数時間過ごすこともよくあった。それはとても 穏やかでやるせなくて幸福だった、気がする。どこにも行けない感じ。行きたいところはあるのにそこはすごく遠くて決して行かれない。宇宙の彼方の遠い空間 に思いを馳せるのと似ていると、個人的には思う。リルケの一節に惹かれることがあるのもそういうことだろうと思う。

そう考えると、沖縄にニライカナイという言葉があるのを、よくわかる気がする。ニライカナイとは遠い理想郷であり、違う世界であり、なんだか懐かしさを伴う場所、なイメージ。沖縄に古くから伝わる概念である。
あ の場所に生まれ育つこと、広い青い海に臨み、強い日射しと共に生き、風に吹かれたそがれることが、何かを育むのだと思う。沖縄の人はコアの部分に、何か固 有の信仰めいたものをもっている気がする。沖縄にいると感じられる何かに対する信仰、もしくは沖縄という概念に対する信仰。
例にもれず。

窓の外を見ると、そういう気持ちを思い出すのだと思う。

何にせよ、窓。
窓の記憶はいくつもある。
大学の語学の教室の窓。歩いてくる遅刻するクラスメイト。
高校の教室の窓。中庭の木。芸術科のピアノ。バイオリン。
お台場の窓。きりん。
8号館の研究室階の窓。大隈講堂。銀杏。
東京モノレールの窓。水面。柳。高速。
等々。
こういうのは思いきり主観に依存する、と書いていて思う。背景が個人的すぎて表現しきれない。もっと時間があれば。物書きになるというのは、すごくいいな、と最近思う。有閑的に。そうそうなろうと思ってなれるものではないけれど。

がりがり働ける性質ではそもそもないのかもしれない。
価値の出し方は多様にある、ということには気づいている。出し方にこだわっていたことにも。

ふるさとは遠きにありて

飲み会の後の帰り道、月だとか路傍の草木だとか街燈の反射するマンホールのふただとかを見るにつけ、そのディテイルに気づき、あたりまえのように自然法則に従っている様を見て、本当に文字通り泣けてくるのはいったいどういう心理状況なのだろうかと思う。毎回。

しっ くりくる表現がない。寂しさのようなもの。郷愁にも近い。後悔にも似ている。ずいぶん遠いところまで来てしまっていた愚かさというか。私は何をしているの だろう、ということ。生活を営むというのはしかし多かれ少なかれそういうことなのかもしれない。霞を食って生きていけるわけではない。ただ、酒を飲んで帰 るというのはある意味非生産的だから、より強くそう思うのかもしれない。


いろんなことを忘れている。

居所

まあ比較的便利な街だとは思うのだけど、まだ好きまでいかない。
ホーム、という感覚でもない。


致命的なのは、ゆっくりできるカフェがないということだ。駅前のチェーン店のカフェは嫌いじゃないけど大抵混んでいる。

前は中野新橋に仮の宿として2か月ほど住んだのだが、あれはよかった。
いいジャズ喫茶があったのだった。ジニアスという喫茶店。昼は普通の喫茶店だが、夜は大きなスピーカーでジャズを流す。初老のマスターはとてもいい感じで、その奥さんが作るご飯も実は美味しい。インスタントなのかもしれないけど。

よ くそこで面接対策とか、ライフプランをまじめに考えるとか、今ジャズ喫茶で寛いでいることについて冷静に見つめてみるとか、とめどなくジャズに聴き入ると か、ハーパーの良さについて考えるとか(ウイスキーは2種類しかなかった)、「いきの構造」という本に感銘を受けるとかしていた。雨の日が特に良かった。 秋も深まる頃で、秋と夜と雨とジャズはなんて合うのだろうと感心した。全部影のある情緒にあふれている。

ああいう丁度いい喫茶店ないしはバーが、ここにはない。


妹が今日寮へ戻って、また一人になった。
社長から、会社の近くに引越せばと何度目かの勧告を受けた。

そういったことからこういう日記になっているのだろうけど、そう考えたら引っ越してもいい気がしてきた。喫茶店やバーに限らず、好きな場所、落ち着く場所というのがあまりない街で、それはやっぱり引っ越すべきなのかもしれない。いずれにしろいつかは引っ越すのだろうけど。


人 生でやりたいこと50というのを前書いた。というエントリは多分どこかに残っているはずで、それはまさしくジニアスで書いたものなんだけど、その一つに 「港区に住む」というのがあって。お台場は3つくらいの区からなる地域で、その中に港区もある。ゆりかもめの入ってくるあたりが多分港区。

まあいつか叶えたいことではある。
しかし今は引っ越す時間もお金も体力も都合できない気がする。

思い出したので、たまにはジニアスまで足をのばすのもいいかなとか思う。

平成十九年度末に思うこと

仕事には締切というのがあって、これがあるために直前はかなりタイトになるのだが、しかしこれがないとすごく嫌な気がする、と思う。
とか、仕事をしてみての自分についての発見はいくつかある。


昨日、先輩が退職した。やはりさびしい。その人の席にその人がいないというのは。
やさしかったし、わからないことは割となんでも聞いていた。旧チームでも一緒だった。住む場所はむしろ近くなるらしいのだけど、でも一日のほぼすべてを会社ですごしていることを考えれば、やはり遠くなる。


チームの皆で送別会をした。
大いに飲み、会社で話さないことをたくさん話した。
一 緒の案件にはいないあるマネジャーの話をよく聞いていた気がする。今まで周りにいなかった感じの人だ。彼自身も30歳と十分若いのに、いまどきの若い人 は、という話をよくする。仮説をもって質問してくるので、その仮説に沿うような答えでないと多少不満なのだろうが、私は正直に答える。相手との関係を大切 にするほど、そうすることが誠実だと思う。
開示によると、私は彼にプライドが高いと思われている。それは私が何も諦めていないのではないかということとリンクしそうな気もする。

二次会では、きりんの話をしてしまう。

近い人はタクシーで帰り、私とマネジャーはファーストフードで始発を待つ。
お互い、ヒアリングしているように質問をする。理解できることもあるしできないこともある。経験を持ちだされるとそれは想像するしかないけど、そこは仮置きで進めるしかない。

古典について。辛いか辛くないかという切り口。影響を受けた人。動物がしゃべらないということ。キャリアについて。
新卒の人がこの会社でキャリアを積むことについての心配を語られる。

その心配にお礼を言った上で、今の状況をハッピーだと言っていた。本当にそうなのだろうと思う。のびのびやっている。


質の向上という課題はあるにせよ、今欲しいものはある環境にあると思う。仕事とか、居場所とか、一人の時間とか、好きな人やものとか。
それらがあるために入り込んでこれない何か、たとえば心愉しい雑事とか、旧交をあたためることであるとか、お洒落的な何かとか、平日をのんびり過ごすこととか、恋愛的な何かとかは、多分今時点プライオリティが低いのだろうと思う。
無論、それらがとても大切なときもあったしこれからそうなることもある。
そうして人生はカスタマイズされ続ける。


私 は少し前に、ポジティブでバイタリティあふれる若い事業家のような人たちに憧れたのだけど、まあ今もそういう人が好きではあるけど、自分という人間がそれ を最高位に位置づける性質ではないことも仕事をしたり本を読んだりしてわかってきていて、自分にとっての解がどういうものなのかをケースを学びつつ構築し ようと思っている。思っているだけだけど。


先週末に、加速しているのか、と聞かれた。このブログはそういう意図があったらしい、最初。
でも加速というよりは、もっと落ち着いた何かだなと最近は思う。
何かを放り込んでは練りこんでいくような作業。
加速という意味では、放り込んだり練ったりするスピードは増している気はする。
それらは環境に依存するところが大きいけど、感性や思考力としても。それは自分にとって充実だなと思う。

旅の後半

京都の朝。京都タワーはそのシンプルな形に朝がよく似合って清々しい。前回夜行バス明けに見た京都タワーを思い出す。

そんな京都タワーのほとりで友人の友人とお会いする。
見 たようなカフェに入って妙なかけひきめいたこともあるが、結局はエチレンガスやSN比の話に収束している。学会帰りとのこと。文系学生にはなじみの薄い会 である。興味深く拝聴。こんな女の子珍しいとか言われるが、本当はプレゼンまで見たかったくらいだ。エチレンには親近感がある。大概のビニールはCとHで できている、らしい。ガラスはSiO2。
理系の人は他にも友人にいるけど、皆やってることがそれぞれ違っていて、専門性というのはこういうことか、と思う。文系科目に比べて切り分けがくっきりしている。気がする。


何を思ったか博多へ行くことにしていて、新幹線で博多へ。京都で買った土産物や本が重い。
新幹線は西へひた走る。西へ西へ。
山の中にいくつかの家や集落を見る。1,2秒で切り替わる生活たち。のどかな農村といった体の風景がほとんどで、日本のほとんどの部分はこういう土地なんだと実感する。農村というのは私の人生の中でほとんど接点がない。中国の秘境の渓谷や北欧の風車と同じくらい遠い。

博多に着く。院時代の友人と再会。
太宰府はいい場所だった。なぜか京都の小物を売る店や太宰府と関係ない焼き栗を売る店。突っ込みどころが多いのはどの観光地でも同じだ。
遅めの昼食を取りにうどんやへ入る。テレビではソフトバンクと楽天のオープン戦をやっていて、野球中継の音というのはこんなにも落ち着く、と思う。うどんを打っていた主人が箱のティッシュを持ってきてくれる。親戚の家のようだ。人々に京都のような警戒感はない。

太宰府には中学の修学旅行で来たことがあった。梅が枝餅と甘酒を飲んだ記憶とかその場所とかに再会。
御籤を3つも引く。わかったのは、縁談がいずれも芳しくないということであった。
白の飛梅はもう散っていた。紅の方は少し残っている。
包丁塚。筆塚。牛の像が多い。鹿も麒麟もうそもいる。

焼きたての梅が枝餅は美味しい。今回の旅二回目の甘酒。
気づけば餅類ばかり食べている。茶団子、八つ橋、梅が枝餅。
日本人は餅が好きだと思う。最近では餡子に飽き足らずチョコすら包む。


天神に戻って散策。
天神は複合型の大きな商業ビルが多いのにほぼすべてがお洒落感漂う。巨大な地下街があって、それらも東京とは違い洒落ている。天井は黒いし照明もちゃんとしている。歩いている人もテイストが違う。
緑を見に行きましょう、という友人の提案で、緑を売っている店に行く。苔玉とか売っている。そこはペットも取り扱っていて、ものすごくかわいい猫とかもいる。
で、ウーパールーパーを見ることができた。存在はうっすら知っていて、いつかお目にかかりたいと思っていたが、ついに会えた。あれはすごい。流行るのもわかる。
生理的に受け付けない、と、かわいい、の挟間に漂っている生物。
CD屋でビル・エヴァンスを買う。朝ラジオで聞いて聞きたくなったのだった。

とてもいいところだなと思う。友人がここにいたがる理由もわかった。
その地で育つ、というのは本当に基礎なんだなと思う。


新幹線で東京まで帰るのは時間がかかって仕方がないので、飛行機にする。
飛行機は停車駅がないから地元感は希薄だけど、景色が圧倒的に美しい。
夜の便で博多を飛び立つ。沖縄から東京へのフライトとはコースが違うし、高度も違うのかもしれないが、見える景色が違う。
銀河みたいにぼんやり光が流れている。目を凝らすと明石大橋が見える。大阪湾などは人々の点す灯りで陸の形がくっきり見える。京都はどこだろうと思う。


東京に着く。見慣れた羽田空港。モノレール。ビルの赤い光。光る海水。浮いた道路。
それで、東京を好きだなと思う。東京の臨海の部分を。郷愁にも似て。そういったことを感じる感覚が発達してきている気がする。いいことなのかはわからないけど。


いい旅だった。
この旅をエスコートしてくれた各位に感謝したい。

今日の収穫メモ:積極的逃避の疑いと諦念への疑い

たとえば社会人というのはこういったことが出来ないと思っていたとか、こんな状態にあるなんて考えられないとかいうことは口で言ってみることにすら。
何もかも現実ではないし何もかも現実ではある。何もかも日常ではないし日常ではある。
すべては定義の問題に帰着する、真なり。


何でも起こっているその最中ではその状態を評価しえない。
というのは共通認識。
情報の処理時間不足と現在進行であるゆえか。


端的に言うと、今小旅行というか旅行をしていて、それが思い立ったが吉日的ないつもの感じで行動に移された。
今の心境と一年ほど前の旅行とでは心境が違っていて、と説明をしていた。
そ れはたとえば試験からのネガティブというか厭世観みなぎる逃避とは違うという意味だったのだけど、今回のはこのまま部屋にいてはダメな気がして、飛び出し てしまった感があって、その原動力は何かのエネルギーだったとは思うのだけど、ある意味積極的な逃避で、むしろ積極的な逃避の方が重度の何かなのではない かとか思った。


青春が終わるって、諦めるときだって誰かが書いてたよ。
と言ったあとに続けて、もうすでに諦めてるけどね、と言ったときの、
本当に?という返しに思わず、その問いかけいいね。と感動した。
諦めている思っているけれど、本当は何も諦めていないのかもしれないという気づき。


誉め言葉を聞き流すのが度量だという森博嗣の言葉へのうなずき。


そんな収穫のあった日。
明日は博多。おそらく。

memo:080321

桂川
trace of
大集合の予感
草団子なわがまま
ジュンク堂
2度レジ
アオゾラ
ピーナッツカレー
ココナッツアイスの魅力
タヒチ80
ノンビリズム
無理しなくていい駱駝

生協チャレンジ
どこも同じ
ベンチマーク
小鳥ちゃん
諦めることと

鴨川

白鳥さん

機械的な飛翔そして急降下
犬が疲れてゐる

おかさん
カフェ

ゴーヤーリズム

音楽
90
深海
マキさん
Let's rock a boat.のrock
共有世代

文句の受け渡し

review

朋自遠方来

高校時代のいわゆるマブダチが遊びにきた。昨日。

ミッドタウンへ行きたいという彼女の要望に応えて、ミッドタウンで散策。
歩くのが速いとかゆっくりだとか言われる。東京の人は、と感想を言う。我々は沖縄人であった。
ミッドタウンは空き時間に少し立ち寄ったことがあるだけで、ほとんど知らなかったんだけど、なかなかよい場所だった。土曜の割に空いていた。その建造物は巨大で、風が吹き、水があり、竹が生えている。gut
芝に入ってはいけません。地下からは有料です。きれいな庭。洒落た名前の植物。アートなブランコ。休日の昼。家族連れ。主に外国人。どこでも無線LAN。


CD屋だの本屋だの、インドアなカルチャーの店も3つほど行く。六本木の本屋。めくるめくアートの世界。そして消費。ああ消費者だ。
カフェる。でかい犬。けやき坂ツタヤのスタバでオープンエアーにお茶していると、ひたすら犬。犬。外国人と犬。

宮島達男の数字を横目に日は暮れかかる。見る景色を交換するために席を交換。

いちごはあります。
ほうれん草は炒めます。

風邪薬を飲もうと病院の紙袋から出すと、too muchだと怒られかける。
これが日本の医療費を圧迫しているのだと憤る彼女は医学生である。問題意識。
これだけでいいよ。そ、そうなの?


寝る前にじゃがいもの話。美術の時間に観た映像だった。夢か何かだと思っていた。
強烈に二人とも覚えていた。くるりのthe world is mineが流れ続ける。


何にせよ短すぎるな。
老人になったら時間はありあまるのかなー。

きりん考

空を見ては台場へ行きたいと思い、春の匂いを嗅いでは台場へ行きたいと思い、ダイバーシティという単語を見るにつけても台場へ行きたくなる始末。ひどい。

そんなこんなで結局今週末も行ってしまった。
未来館は目の前まで行ってやめた。
友人との約束の時間が迫っていたことと、きりんたちが私を呼んでいたことが原因だ。友人との約束に間に合うためには20分後に駅にいなければならない。20分というのは、未来館ときりんを両方得られない時間である。

きりんは横並びにたくさんいて、首を高く伸ばしているものも、低くしているものもある。赤と白の格子状である。広い青空の下にぽつぽつと立っている。

なぜこんなにきりんにときめくのかは不明だし、そもそも本物のきりんを動物園に見に行きたいとはそんなに思わないということは、きりんがそのときめきの本質ではないのだろう。
分 析するに、台場という空の広い場所で、生き物のような形をして、孤独に立っている姿がたまらないのだと思われる。おそらく。なので、きりんでなくても、た とえば象を彷彿とさせる形をした何かが広い場所にあったとしても、ぐっとくるのだろうと思う。そしてその場に人の気配があってはならない。
よくそ れは変態であると言われるけれど、そんなもの知ったことではない。アンテナに、きりんファンクラブというブログが入っているけど、あれは主に都心でビルを 建てるときに使われている、しっかりとした脚のないきりんたちで、それもまあいいんだけど、やはりきりんなら港に限る。
結局、友人と会った後、一人でまたゆりかもめた。有明で夜きりんも眺めた。潮の匂いがして、若布がもどるような感覚。

今日も空はアートだった。
そのうちFlickrにUP。

もう月曜である。早く寝ろという話である。今1時半。

天寿と最適化について

今は冷静になってしまったが、帰りは酔っていて、基本的に金曜の夜のエントリは酔っ払いのたわごとととらえていただいて構わない。以下の文章も例にもれない。


これは酔っていてもいなくても毎日のことだが、帰り道は少しの充実感があって、そしてひどく疲弊していて、中学校の部活の後とかに少し似ているのだけど、そのころと今とで違うのは、この疲弊が金銭をリターンとして返してくるという点で。
夜も夜中に割と暗い道を帰るのだが、もう慣れてきて今は怖くない。
たとえば今通り魔か何かに刺されても、ある程度の心残りはあるかもしれないが(残していく人へのアカウンタビリティという意味で)天寿を全うしたのだな、と受け入れてしまいそうな気がする。
今 25で、周りの人は大概年上なので、若いという意識を植え付けられているけど、もう十分に生きた、と思ってもいい気もする。経験してないこともたくさんあ るし、これからの年月でできることもいろいろあるのだろうけど。それはわかるけどハングリーさが無い。これから生きてさらに何かを得たとしても、それは望 んでそうしたというより結果論な気がする。


最適化、という言葉が適切かどうかは知らないが、そんな感じがする。
今この状 態が自分の人生のこの時点においての最適、という感覚がある。これ以上ゆるくもきつくもなく、テリトリーが広くもなく狭くもなく、依存度も高くもなく低く もなく。今の状態がジャストというか。今までの経験や志向がすべて反映されているというか。市場効率仮説みたいな。そう考えて自足してしまう。

先輩が会社を辞めると聞く少し前から、いろいろ見えてきていて、つまり社会におけるこの会社の位置や、会社の中での社員の位置、その中での自分の位置、各々のプレイヤーの気持ちや能力等々だけど、それでそこで自分の振舞い方というかスタンスを考えてみようかと思っていた。
先輩は会社を辞めて、もといた畑に戻るのだという。私もいずれ会社を辞めるのだろうけど、学べることは学んで、もしくは学び方を見てから、辞めようと思う。先輩は1年いたが、それを見たのだろうと思う。とても頭の切れる人だ。

それにしても疲れた。


院の飲み会に参加した。
懐かしかった。まだあの空気があった。
疎外感は感じないけど、温度差や趣向の差異は感じる。
最近何もかもが自分と関係ないように思える。無関心は悪な気がする。無関心は悪か否かにさえ関心を示さない。非情だ。

野菜が燦然と蛍光灯を浴び

会社ではたくさん雑誌を定期購読している。

事業部ごとに回覧されて、最後まで回ると棚へ収納される。
自分では絶対買わない、「財界」とか「宣伝会議」だとか「環境ビジネス」だとかの10数種類くらいが、中には「ダイヤモンド」とか「東洋経済」みたいな週刊のものもあるので、毎日のように回ってくる。
全部は読み切れるはずがないので、最初に担当者が重要記事のページに付箋をつけて回覧することになっている。FYI。最初何の略かわからなかった。
でも私は貧乏性なので、ただで読める雑誌がたくさん回っていて、しかも知らない情報や興味深い記事ばかりなのだから、せっかくならちゃんと読みたいと思ってしまう。それで、先に人に回してしまってあとで来たら時間を見つけて読む。まあそれでも読めてないのだが。

で、印象に残ったものを一つ。
日経エレクトロニクスの2月号に、野菜工場の特集があった。
その光景はまさに手塚治虫の世界というか。未来の世界のイメージで。
白い光を照射された銀色の棚に並ぶ葉っぱたち。土は使わない。詳しくは読めていないが、いろいろな技術が説明されていた。もちろん無農薬。ほぼ無菌状態で栽培される。
これから成長が期待できる市場だと、関係者は語る。

も ちろん、無農薬で栄養のある野菜が食卓に並ぶのもいいのだが、どっちかというと大きなガラス窓越しの栽培室の様子が、視覚的に印象深かった。写しているこ ちら側は暗い一方で、ガラスの向こうで映える緑。小洒落た水族館みたいで。光を当てられた葉というものが好きなのかもしれない。
これから農業が来る、らしい。CSK。


今皆が必死で競争をしている。競合に、リスクに、負けないように。
毎日必死で知恵を出して競争力を高め、またその効率化のためにこぞってビジネス書を読む。皆が読むのだから、そうそう差別化できないと思うのだが、それでも読まなければ置いて行かれる。
誰もが考えたことがあるのだろうけど、皆でこの競争をせーのでやめたら、皆がゆっくりできる。

それをしないのは、いくつか理由があると思う。今思いついたのは2つ。積極と消極。
消極の方は、リスクや競合に対する恐怖。
積極の方は、競争・発展への興奮。

何気に後者は、人間にとって本質的なものなのじゃないかと思う。
成長したい、認められたい、優れていたい、新しいものを見たい、作りたい。そういう欲求というのはやはりある。誰かが新しい技術やスキームを作りだしたとき、すげーと思うし、自分もやってみよう、と思う。それは人間に本質的なものなのではないか。
それが今日の状況を生み出している?
仮説。


しかしせっかくスキル上げるために会社に入ったのに、全然ブログのエントリは構造化されない。

昨日の夜は東京ドームにいました

ひょんなことから、Backstreet Boysのコンサートに、会社の女子数名で行ってきた。
昨日決まった。
彼らの曲は有名なのしか知らなくて、というか高校時代に友人からCDを一枚借りたことがあるくらい。


思えば小さなハコでやるライブや、クラシックのコンサートには行ったことがあるけど、今日のは東京ドームで、初大規模コンサートといってよい。

東 京ドームのきれいな人工芝はシートと座席に覆われていて、スタンドもアリーナも人で埋め尽くされている。ライトが落ちて、皆の持っているペンライト?が光 る。あの数は圧巻である。とてもきれい。ある程度の規則をもって、赤や緑や白の光がさわさわと揺れている。草原のようで、銀河鉄道の夜に出てくる景色みた いだと思った。


たまに知っている曲。
彼らは王道のアメリカンなポップスを、完璧に歌いこなしている。完璧。
決まったビートに、類似したメロディライン。切ないが儚くはなく、力強い。前へ進む曲。変化はあっても冒険はしすぎない。
アヴリルなんかもそんな感じ。
久々に落ち着く。
私のアメリカに対するイメージは、「すこやか」だ。

途 中から曲というより、その企画運営自体について観察していた。たとえばライトの使い方だとか、MCの配分だとか、演出だとか、スクリーンの使い方だとか。 おそらくモノがモノなので、そんなに考えなくても人は入るし満足度も高いとは思うので、そこまで凝っていなかった。というかすごく普通だった。もっと凝っ たコンサートに行ってみたい。
これでどのくらい黒が出るんだろう。


割とあっさり終わって、夕飯を食べに行った。
韓国料理を食べた。うまいが、やはり早稲田のママキムチが一番だと思う。ああ行きたい。キムチとかマッコリとかまじうまい。キムチをおいしいと思ったのは後にも先にもあそこだけ。
会社の話で盛り上がる。注文を1秒で決める話。その理由を3秒で5つ考える話。病気に近い。
帰宅。


今度東京ドームへは是非野球を観に行こう、と思う。巨人―ヤクルト戦がいい。なんとなく。
野球の応援のぺこぺこしたトランペットが聞きたい。

本を読むこと

眠い。眠いけどメモ。


本は読みたくなければ読んでもだめだということ。

ビジネス書を、あるいは英語教材を、あるいは法律の基本書を、読まなければ、と思うことは多々、本当に多々ある。ここ数年。
そうして読んだ本のうちはたしてどれだけが私の内に残ったであろうか。

そうやって費やした時間が無駄である。
というかこのことをわかるために費やしたにしては代償が高い。


幼少の頃どれだけ本をわくわくして読んだかを今一度思い出すべきである。
気 も進まないのに、読まなければと思って読んだ本など一冊もなかった。教科書も魅力的な知の箱だった。学期の最初に配布された道徳や国語の教科書の作品を次 の日には読了しているのは普通だったし、そのせいで国語の時間が多少つまらなくなるので、その癖を直そうとしたくらいだった。そのような覚えがある人も多 かろう。

母親が妹に本を読みなさいと言っていたことがあった。妹は私ほど本が好きではないようだった(紙は好きだったし今でも好きなようだ。私には理解しがたい情熱をもっている。)。
私もそのように妹たちに言ったことがある。
しかし、私のは読もうと努めて読んでいたわけではなく、好きで読んでいたら結果よいことが起こったというような結果論であって、たまたまなのだった。しかも、幼少の頃までという留保付で。
もし私が昔本を読みなさいと言われてしぶしぶ読んでいたら。
今春樹を手に取りはしなかったかもしれないし、賢治に心打たれることもなかったかもしれない。
とにかくすんなり本を手に取ることはしなかったかもしれない、と思う。


読書は義務ではない。
読書は喜びである。
心を熱くしたり、ほがらかにしたり、強めたり、透き通らせたりする、非常に文化的で魅惑的な行為である。

と正当化にもとれるこのような思いつきをメモしておこうと思ったのだった。

好きなときに好きなことをやる。
何を好きになるかは、ある程度マネジメントできるのかもしれないけど、そこと義務との兼ね合いはまた微妙なところがある。
大事なのは自分に素直になることだ、多分。

雪と美と

朝ドアを開けたら廊下越しに見える雪。
寒さに嫌気がさしながらもなぜか心躍る朝であった。
会社は高いビルの一室にあるため、雪の降る地上を上から眺められた。圧巻であった。

なぜ水の粒よりも小さな氷の粒のかたまりのほうに心ときめくのだろうと考えて、文学作品や歌や写真や絵などからのイメージと、珍しいものという憧れと、色がついていることの3つくらいの理由を思いついた。


帰る頃にはもう雨すらあがっていた。
いつもの帰り道を歩く。仕事帰りの人や飲み会帰りの人が行き交う街。
いままでの生活圏ではなかった場所だが、もう大分慣れてきていて、慣れてきたなと思いだすように思って、それで沖縄と対比してみる。沖縄の道にはこういう人たちはいないし、こんなに数もいない。こんなに明るくないし、店もない。ビルも。
学部や院の友達もいないし、会社の人たちも、会社のビルの守衛さんも、同じ階の外人たちも、朝行くカフェや本屋の店員さんも、いない。
そしてこの街を行く見知らぬ人々もいない。

街を歩いていて思うのは、みんな知らない人なのだが、この人たちが好きだなということだ。この人たちがいて賑やかにしているだけで、多分私も楽しいのだ。ニョロニョロ。
人間は多分美しいのだ。人間だけでなく何もかもにあてはまるが。いや人間は醜いと言う者もある。しかし、美しいと醜いは相反しないと思う。美は醜を包含している概念であるように思う。私見。

会社の人が、
「認識されないまでも存在はしていたんだよ」
と 何かのタイミングで言ったのだが、認識されていないのに存在するということがありうるのだろうか、といつもの存在とは何か思考に入りかけた(結局そのト ピックはいつもつめられたことがない)のだが、美も認識(価値観)の問題である以上、常にその人の主観に依存している。美かどうかということも、美の存在 すらも。イデアなどむかしむかしの話なのかもしれないが、高校の倫理の時間にはわかっていなかったその発明の動機が今ならわかる気がするのである。

私が美が醜を包含すると思うのは、私が美しいと感じる感性がそのようなものであるというだけのことであって、それは私でなく誰がそれを論じてもあくまで私見にしかならないのかもしれない。


と、 行き交う人々を見てそう思っていたわけである。楽しく醜くも美しいなと。自分を客観的に見てもそう思う。自然にまかせて何かを思うときも、マネジメントで きない矛盾したいろいろな感情や感覚を発見するときも、自律が成功するときも。熱心なときも、無関心なときも。自分を美しいと思うというのは表現がよくな い。自分の感情変化が一番わかりやすいというだけのことで、おそらくは人間一般ということだ。逆に外部への表現行為に関しては自分ではよくわからないので 人を見て思う。


雪、または雪にまつわる何かは楽しく醜くも美しいものの一つかもしれないと思う。

美を感じる心と愛情は似ている。