June 18, 2009

monk(past)

昔の日記に引用していたそれらのアートな文句memo


NUMBERGIRL
「今日も46度の半透明だった」
「気づいたら俺はなんとなく夏だった」
「俺は1人会議をしていた」
「三毛猫座を探す!」


くるり
「併殺打好きベンチウォーマー」
「針金の兵隊さんが来た 今ですか?」
「昔々の話?」
「I'll go back to China 自転車泥棒」


狗飼恭子
「小人、エルゴ、住む」


椎名林檎
「目に映る良さ 映らぬ善さ」「手にする貴さ できぬ尊さ」
「甲州街道からの渋滞が激化して日本の朝を見ました」


太宰治
「フォスフォレッセンス」
「彼は昔の彼ならず」
「無色透明なるサントリイウイスキイ。」
「金銭もまたわれらに於いて木葉の如く軽い。」
「花きちがいの大工がいる。邪魔だ。」
「みんなばかばかしい冬の花火だ。」


江國香織
「ピンクのひよこ!」
「気の毒だとも。盗られたくないものがそんなにあったら、心配で仕方がないじゃないか」
「しかし、盗られたくないものが一つもないというのも、気の毒といえば気の毒だな」
「音楽は、個人的なものだな。」
「Let's rock a boat.」


その他
「名前ってなに?バラと呼んでいる花を別の名前にしてみても美しい香りはそのまま」
「オチの無い話を聞かされるとずいぶん損した気分になるんだよ、日本人はねえ」
「木のない電飾の夢を見た。」


宮沢賢治のは長かったので省略。

ぬるい眠り

短編集「ぬるい眠り」より引用


「『それに、人生なんて誰のも混乱してるんだぜ、いつだって』」


「『結婚したからって安心しちゃうなんて最低。』」


「そういうときにきちんと遊べる体力がないのなら、さっさと墓に入ればいい。」


「相手が男であれ女であれ、会いたいと思ったときに会いたいし、そのときにしか行かれない場所、見られないもの、のめない酒、起こらないこと、がある。」


「人生は、手に負えないものになりつつあった。」


「単純な女というのはほとんど言語矛盾だが、おどろいたことに彼女にはあてはまるのだ。」


「永遠はおろか、時間という概念も、人為的な架空の観念であるらしい。」「ほんとうに存在するのは瞬間だけなんだ」


「『お葬式って素晴らしいものよ』」「『人間はみんな、そこに向かって生きているわけだから』」


「死は、親しい人にとってだけじゃなく、誰にとっても明らかな事実であり、欠落なのだ。」


考えるとっかかりになりそうなものとか。
然り、と思うものとか。

弱者の糧

「私は、映画を、ばかにしているのかも知れない。芸術だとは思っていない。おしるこだと思っている。けれども人は、芸術よりも、おしるこに感謝したい時がある。そんな時は、ずいぶん多い。」

「観衆たるの資格。第一に無邪気でなければいけない。荒唐無稽を信じなければいけない。」


太宰治「弱者の糧」より

かすかな声

太宰治「かすかな声」より

「信じて敗北する事に於いて、悔いは無い。むしろ永遠の勝利だ。」


「不平を言うな。だまって信じて、ついて行け。オアシスありと、人の言う。ロマンを信じ給え。『共栄』を支持せよ。信ずべき道、他に無し。」


「『生活とは何ですか。』
『わびしさを堪える事です。』」


「自己弁解は、敗北の前兆である。いや、すでに敗北の姿である。」


「議論とは、往々にして妥協したい情熱である。」



『芸術とは何ですか。』
『すみれの花です。』
『つまらない。』
『つまらないものです。』

『芸術家とは何ですか。』
『豚の鼻です。』
『それは、ひどい。』
『鼻は、すみれの匂いを知っています。』

ぼくの小鳥ちゃん

江國香織「ぼくの小鳥ちゃん」より


「―― 一羽の小鳥として、私ががまんならないとおもうあなたの欠点を教えてあげましょうか。」
「―― 欠点?」
「―― あなたはうけいれすぎるのよ。」
「―― いけないことかな。」
「―― ときどきとても淋しくなるの。」

ろまん燈篭

太宰治「ろまん燈篭」より

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王子は、やっぱり、しんからラプンツェルを愛していました。
ラ プンツェルの顔や姿の美しさ、または、ちがう環境に育った花の、もの珍らしさ、或いは、どこやら憐憫を誘うような、あわれな盲目の無智、それらの事がらに のみ魅かれて王子が夢中で愛撫しているだけの話で、精神的な高い共鳴と信頼から生れた愛情でもなし、また、お互い同じ祖先の血筋を感じ合い、同じ宿命に殉 じましょうという深い諦念と理解に結ばれた愛情でもないという理由から、この王子の愛情の本質を矢鱈に狐疑するのも、いけない事です。
王子は、心からラプンツェルを可愛いと思っているのです。
仕様の無いほど好きなのです。
ただ、好きなのです。
それで、いいではありませんか。
純粋な愛情とは、そんなものです。
女性が、心の底で、こっそり求めているものも、そのような、ひたむきな正直な好意以外のものでは無いと思います。
精神的な高い信頼だの、同じ宿命に殉じるだのと言っても、お互い、きらいだったら滅茶滅茶です。
なんにも、なりやしません。
何だか好きなところがあるからこそ、精神的だの、宿命だのという気障な言葉も、本当らしく聞えて来るだけの話です。
そんな言葉は、互いの好意の氾濫を整理する為か、或いは、情熱の行いの反省、弁解の為に用いられているだけなのです。
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一理。



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自分が、まだ、ひとに可愛がられる資格があると自惚れることの出来る間は、生き甲斐もあり、この世も楽しい。
それは当り前の事であります。
けれども、もう自分には、ひとに可愛がられる資格が無いという、はっきりした自覚を持っていながらも、ひとは、生きて行かなければならぬものであります。
ひとに「愛される資格」が無くっても、ひとを「愛する資格」は、永遠に残されている筈であります。
ひとの真の謙虚とは、その、愛するよろこびを知ることだと思います。
愛されるよろこびだけを求めているのは、それこそ野蛮な、無智な仕業だと思います。
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小岩井農場

恋愛関連。

宮沢賢治 詩集 春と修羅「小岩井農場」(パート九)より


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   もう決定した そつちへ行くな
   これらはみんなただしくない
   いま疲れてかたちを更へたおまへの信仰から
   発散して酸えたひかりの澱だ
  ちひさな自分を劃ることのできない
 この不可思議な大きな心象宙宇のなかで
もしも正しいねがひに燃えて
じぶんとひとと万象といつしよに
至上福祉にいたらうとする
それをある宗教情操とするならば
そのねがひから砕けまたは疲れ
じぶんとそれからたつたもひとつのたましひと
完全そして永久にどこまでもいつしよに行かうとする
この変態を恋愛といふ
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SUCCESS BUILT TO LAST―1

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人生では長続きしないことがたくさんある、しかし意義はその例外だ。


自分の大好きなことをしないのは危険なのだ。


「愛情を注がなくても、生き延びていける。ただし、二流で終わる」


「私はタップダンスのように足どりも軽くオフィスに向かう。仰向けに横たわって天井か何かに絵を描かなければというような気分になる。まるでミケランジェロのように。」


「自分のしていることが好きではないという、どうしようもないいらだちは、それに携わっている本人を苦しめ、そしてまた健康を害することも医学的に証明されている。」


人生をかけるにふさわしい夢


この世界にとって正しいことを賛美するのは、このうえなくダサくてカッコ悪い行為なのだ。


「私は楽観主義者だ」「楽観主義以外のものはどれも大して役に立ちそうにない」


誰も相手に向かってその人がどんなリスクをとるべきか言えるはずはない。ここで強調したいのは、自分が大好きな道をその結果の善し悪しにかかわらず選択すべき、ということだ。


その好ましいものが内部からそれ自体を変えるかもしれないからだ。


「バランスなど意味がない」


「平々凡々な生活を送る義理などない。建設的な成果が得られないような生活を送る必要はない」


辺縁思考には、自分の内側で出番を待っている化学反応を触媒となって引き起こすだけの潜在的な力がある。


「あえて言うなら、『世界を変えよう』だ」


「もし、番組を見ていた子どものひとりが、ガンの治療法を見つけたら」「それこそ、本当にクールじゃないか」


「正直になるべきだ。われわれには科学、技術、そして富がある。ないのは意志であり、意志がないから貧困を阻止できないという言い訳は、歴史的には通用しないだろう」


自分にとって非常に個人的な意義に目を向けようとする。


誰か他の人の価値体系は乗っ取れないし、乗っ取るべきではない


自分にとって意義がどんな意味を持つのかを悟ろうとすることほど、個人的な決断はない。その決断ができるのは、自分以外にはないのだ。

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SUCCESS BUILT TO LAST―2

引用メモ2

ジェリー・ポラス他「ビジョナリー・ピープル」より

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「心の底から泣くことができない人は、同じように、笑うこともできない。」


苦しいことに変わりはない。しかし戦うだけの価値はある。


キャリアへの固執


ものに持たれてはいけない


ローリング・ストーンズが絶叫するように、「俺は満足なんかできない」のだ。


人間は合理化が得意な機械でもある。


これは表現しがたい点と点をつなぐような現象なのだ。


AND


「人に与えられた時間は限られている。だから、誰か他人の人生を生きて、その時間を無駄にしてはならない。」


「あらゆることを感じとり、それを活かさなければならない」


「大切なのは、サービスが要求されているときにそのサービスをすることだ。」


「その大義があるからこそ、誰も経験したことのない非合理的な行動が許される」


「私たちは正義がどのようなものか、個々に異なる先入観を持っている。しかし、それでよいと思っている。」


「もし取り組むだけの価値ががあるなら、そのときはなんとしても、取り組むだけの価値があるように扱うべきだ」


「私は仕事上いつも、楽観主義者、あるいは理想主義者でいる必要があります。でなければ、決して前には進めない。」


人生に必要なものは、「情熱、覚悟、能力」だとライスは警告する。


もしどんなことにも貪欲になるべきだとすれば、それは、自分の夢のために知的資本を手に入れることに尽きる。


知識を稼ぐと、その人は、その知的資本を、つまりさまざまな能力を、ビジネスの世界や行政の世界で独創的な仕事をするために投資する、という倫理的な責任を負うことになる。


「それでもあきらめないことだ。感情は人生の中を駆け抜けていく嵐のようなものだ」


「失敗の授業料を払ったら、次はその学習効果を上げる番だ」


うまくいかないことは、そのままにしておく


ある種の生き方として確かに非難することを放棄している。


「私は車椅子に座っている、それが現実だ。それよりも今もっと重要な問題は、誰が責められるべきかというよりも、誰が何に対して責任があるのか、ということだ。私が責任を負っているのは自分自身の人生に対してだ」


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SUCCESS BUILT TO LAST―3

完結。引用メモ。

ジェリー・ポラス他「ビジョナリー・ピープル」より

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目標と計画は両方とも必要不可欠だ。


計画立案が役に立つことを誰よりも早く認めるものだ。ただし、金言が教えてくれるように、計画そのものが役に立つことはほとんどない。


自分の身に起こったことで自分が責められることもあれば、責められないこともある。けれども、そのどちらであっても、そこに関わっていることについては責任がある、ということだ。


「それは必ずしも目標でもなければ、ましてや目的地でもない」


「ふたりの経営者の意見がどんなときにも一致しているというとき、そのうちの一人は必要ない」


論争は、それを看過しないかぎり、有害にはならない。


「輝いている目、それに尽きる」


「安 全安心というものは、たいていが迷信。本来は存在しないものです。人間はいままで本物の安全安心を経験したことはない。長期的に見て、危険を避けるほう が、危険に直接身をさらすよりも安全、ということはまったくない。人生とは、大胆な冒険か無かのどちらかしかないのだから。」


「打ち込む価値のあるもので、ひとりの力だけで成し遂げられるものなんてひとつもない。」


「言葉を信じるな、信じられるのは行動だけだ」


「私にはわからない」


行動は言語を通して初めて、具体的に起こされるのだ。

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ことばの饗宴

昔々のエントリで、「ことばの饗宴」という本を買ったという旨書いた記憶がある。
サブタイトルは、「読者が選んだ岩波文庫の名句365」であって、その名の通り、名句集。


名句集なので、名句しか載っていない。名句だけで構成された書物。すごいね。
よく作品のレビュー代わりに引用をしていたけど、最近読んでるのは太宰とかだし、基本的に最近エントリたちがどんよりしていて、ここで太宰の引用なんかをやってもますます暗くなる一方なので、この名句集から引用することにした。引用の引用というか。孫引きというか。
邪道。本来ならその本自体を読んで引用したいところ。そのうち読むかもしれないし、読まないかもしれない。
太宰を引用するより幾分ましなだけで結局明るくは無いけど、以下引用。
感銘、反対、いろいろ刺さったやつを。


・「蘇東坡詩選」より
人生 離別無くんば
誰か恩愛の重きを知らん


・ゴーリキイ「どん底」より
仕事が楽しみなら、人生は極楽だ!
仕事が義務なら、人生は地獄だ!


・郭沫若「歴史小品」より
善の効用を意識した時には、それは、もはや不善である。


・「ゲーテ詩集(三)」より
世界は粥で造られてはゐない。
君等は怠けてぐづぐづするな、
堅いものは噛まなければならない。
喉がつまるか消化するか、二つに一つだ。


・「三好達治詩集」より
いいえ昨日はありません
今日を打つのは今日の時計
昨日の時計はありません
今日を打つのは今日の時計


・木下尚江「火の柱」より
左様です、人生の不可解が若し自殺の原因たるべき価値あるならば、地球は忽ち自殺者の屍骸を以て蔽われねばなりませんよ、人生の不可解は人間が墓に行く迄、片手に提げてる継続問題じゃありませんか。


・マルクス「経済学・哲学草稿」より
もし君の愛が愛として相手の愛を生みださなければ、もし君が愛しつつある人間としての君の生命発現を通じて、自分を愛されている人間としないならば、そのとき君の愛は無力であり、一つの不幸である。


・伊藤整「変容」より
愛とは何か、本当は私にはわかりません。
愛と言うのは、執着という醜いものにつけた仮りの、美しい嘘の呼び名かと、私はよく思います。


・兼好法師「徒然草」より
死期は序を待たず。
死は、前よりしも来らず、かねて後に迫れり。
人皆死ある事を知りて、待つことしかも急ならざるに、覚えずして来る。


・ゲーテ「ファウスト」より
申しておきますが、思索などやるやつは、悪霊に引きまわされて枯野原のなかを、ぐるぐる空回りしている家畜みたいなもんです、その外側には立派な緑の牧場があるというのに。


・岡倉覚三「茶の本」より
まあ、茶でも一口すすろうではないか。
明るい午後の日は竹林にはえ、泉水はうれしげな音をたて、松籟はわが茶釜に聞こえている。
はかないことを夢に見て、美しいとりとめのないことをあれやこれやと考えようではないか。

詩集「春と修羅」序

宮沢賢治「春と修羅」序より

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  序


わたくしといふ現象は
仮定された有機交流電燈の
ひとつの青い照明です
(あらゆる透明な幽霊の複合体)
風景やみんなといつしよに
せはしくせはしく明滅しながら
いかにもたしかにともりつづける
因果交流電燈の
ひとつの青い照明です
(ひかりはたもち その電燈は失はれ)

これらは二十二箇月の
過去とかんずる方角から
紙と鉱質インクをつらね
(すべてわたくしと明滅し
 みんなが同時に感ずるもの)
ここまでたもちつゞけられた
かげとひかりのひとくさりづつ
そのとほりの心象スケツチです

これらについて人や銀河や修羅や海胆は
宇宙塵をたべ または空気や塩水を呼吸しながら
それぞれ新鮮な本体論もかんがへませうが
それらも畢竟こゝろのひとつの風物です
たゞたしかに記録されたこれらのけしきは
記録されたそのとほりのこのけしきで
それが虚無ならば虚無自身がこのとほりで
ある程度まではみんなに共通いたします
(すべてがわたくしの中のみんなであるやうに
 みんなのおのおののなかのすべてですから)

けれどもこれら新生代沖積世の
巨大に明るい時間の集積のなかで
正しくうつされた筈のこれらのことばが
わづかその一点にも均しい明暗のうちに
  (あるいは修羅の十億年)
すでにはやくもその組立や質を変じ
しかもわたくしも印刷者も
それを変らないとして感ずることは
傾向としてはあり得ます
けだしわれわれがわれわれの感官や
風景や人物をかんずるやうに
そしてたゞ共通に感ずるだけであるやうに
記録や歴史 あるいは地史といふものも
それのいろいろの論料(データ)といつしよに
(因果の時空的制約のもとに)
われわれがかんじてゐるのに過ぎません
おそらくこれから二千年もたつたころは
それ相当のちがつた地質学が流用され
相当した証拠もまた次次過去から現出し
みんなは二千年ぐらゐ前には
青ぞらいつぱいの無色な孔雀が居たとおもひ
新進の大学士たちは気圏のいちばんの上層
きらびやかな氷窒素のあたりから
すてきな化石を発掘したり
あるいは白堊紀砂岩の層面に
透明な人類の巨大な足跡を
発見するかもしれません

すべてこれらの命題は
心象や時間それ自身の性質として
第四次延長のなかで主張されます


大正十三年一月廿日
宮沢賢治

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ゆふがた



ゆふがた、空の下で、身一点に感じられれば、万事に於て文句はないのだ。

――――――――――中原中也「いのちの声」より

光つて、消えて



空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

―――――――――――――――――中原中也「春日狂想」より

いきの構造

引用。

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生きた哲学は現実を理解し得るものでなくてはならぬ。


媚態の要は、距離を出来得る限り接近せしめつつ、距離の差が極限に達せざることである。


野暮と化物とは箱根より東に住まぬことを「生粋」の江戸児は誇りとした。


「いき」は垢抜がしていなくてはならぬ。あっさり、すっきり、瀟洒たる心持でなくてはならぬ。


要するに、「いき」という存在様態において、「媚態」は、武士道の理想主義に基づく「意気地」と、仏教の非現実性を背景とする「諦め」とによって、存在完成にまで限定されるのである。


派手とは葉が外へ出るのである。「葉出」の義である。地味とは根が地を味わうのである。「地の味」の義である。


「い き」を好むか、野暮を択ぶかは趣味の相違である。絶対的な価値判断は客観的には与えられていない。しかしながら、文化的存在規定を内容とする一対の意味 が、一は肯定的に言表され、他は否定的の言葉を冠している場合には、その成立上における原本性および非原本性に関して断定を下すことができるとともに、そ の意味内容の成立した公共圏内における相対的な価値判断を推知することができる。


渋味は甘味の否定には相違ないが、その否定は忘却とともに回想を可能とする否定である。逆説のようであるが、渋味には艶がある。


「いき」の質量因たる二元性としての媚態は、姿体の一元的平衡を破ることによって、異性へ向う能動性および異性を迎うる受動性を表現する。しかし「いき」の形相因たる非現実的理想性は、一元的平衡の破却に抑制と節度とを加えて、放縦なる二元性の措定を妨止する。


我々はロダンが何故にしばしば手だけを作ったかを考えてみなければならぬ。


現実界の具体的表象に規定されないで、自由に形式を創造する自由芸術の意味は、模様としては、幾何学模様にのみ存している。


鼠色、すなわち灰色は白から黒に推移する無色感覚の段階である。そうして、色彩感覚の全ての色調が飽和の度を減じた究極は灰色になってしまう。


(灰色は)メフィストの言うように「生」に背いた「理論」の色に過ぎないかもしれぬ。


「四十八茶百鼠」


赤、橙、黄は網膜の暗順応に添おうとしない色である。黒味を帯びてゆく心には失われ行く色である。


色に染みつつ色に泥まないのが「いき」である。


「いき」な空間に漂う光は「たそや行灯」の淡い色たるを要する。そうして魂の底に沈んで、ほのかに「たが袖」の薫を嗅がせなければならぬ。


具体性に富んだ意味は厳密には悟得の形で味会されるのである。


いかに色と色とを分割してもなお色と色との間には把握しがたい色合が残る。そうして聴覚や視覚にあって、明瞭な把握に漏れる音色や色合を体験として拾得するのが、感覚上の趣味である。


道徳的および美的評価に際して見られる人格的および民族的色合を趣味というのである。


「媚態」といい、「意気地」といい、「諦め」といい、これらの概念は「いき」の部分ではなくて契機に過ぎない。それ故に概念的契機の集合としての「いき」と、意味体験としての「いき」との間には、越えることのできない間隙がある。


意味体験を概念的自覚に導くところに知的存在者の全意義が懸っている。


意味体験と概念的認識との間に不可通約的な不尽性の存することを明らかに意識しつつ、しかもなお論理的言表の現勢化を「課題」として「無窮」に追跡するところに、まさに学の意義は存するのである。


人間の運命に対して曇らざる眼をもち、魂の自由に向って悩ましい憧憬を懐く民族ならずしては媚態をして「いき」の様態を取らしむることはできない。

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法則

宮沢賢治「疾中」〔そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう〕より

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 〔そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう〕


そしてわたくしはまもなく死ぬのだらう
わたくしといふのはいったい何だ
何べん考へなおし読みあさり
さうともきゝかうも教へられても
結局まだはっきりしてゐない
わたくしといふのは


  (一九二九年二月)


われやがて死なん
  今日又は明日
あたらしくまたわれとは何かを考へる
われとは畢竟法則の外の何でもない
  からだは骨や血や肉や
  それらは結局さまざまの分子で
  幾十種かの原子の結合
  原子は結局真空の一体
  外界もまたしかり
われわが身と外界とをしかく感じ
これらの物質諸種に働く
その法則をわれと云ふ
われ死して真空に帰するや
ふたゝびわれと感ずるや
ともにそこにあるのは一の法則のみ
その本原の法の名を妙法蓮華経と名づくといへり
そのこと人に菩提の心あるを以て菩薩を信ず
菩薩を信ずる事を以て仏を信ず
諸仏無数数億而も仏もまた法なり
諸仏の本原の法これ妙法蓮華経なり
  帰命妙法蓮華経
  生もこれ妙法の生
  死もこれ妙法の死
  今身より仏身に至るまでよく持ち奉る

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告別

宮沢賢治「春と修羅」より『告別』

以下引用。

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告別
一九二五、一〇、二五、

おまへのバスの三連音が
どんなぐあいに鳴ってゐたかを
おそらくおまへはわかってゐまい
その純朴さ希みに充ちたたのしさは
ほとんどおれを草葉のやうに顫はせた
もしもおまへがそれらの音の特性や
立派な無数の順列を
はっきり知って自由にいつでも使へるならば
おまへは辛くてそしてかゞやく天の仕事もするだらう
泰西著名の楽人たちが
幼齢弦や鍵器をとって
すでに一家をなしたがやうに
おまへはそのころ
この国にある皮革の鼓器と
竹でつくった管〔くわん〕とをとった
けれどもちゃうどおまへの年ごろで
おまへの素質と力をもってゐるものは
町と村との一万人のなかになら
おそらく五人はあるだらう
それらのひとのどの人もまたどのひとも
五年のあひだにそれを大抵無くすのだ
生活のためにけづられたり
自分でそれをなくすのだ
すべての才や力や材といふものは
ひとにとゞまるものでない
ひとさへひとにとゞまらぬ
云はなかったが、
おれは四月はもう学校に居ないのだ
恐らく暗くけはしいみちをあるくだらう
そのあとでおまへのいまのちからがにぶり
きれいな音の正しい調子とその明るさを失って
ふたたび回復できないならば
おれはおまへをもう見ない
なぜならおれは
すこしぐらゐの仕事ができて
そいつに腰をかけてるやうな
そんな多数をいちばんいやにおもふのだ
もしもおまへが
よくきいてくれ
ひとりのやさしい娘をおもふやうになるそのとき
おまへに無数の影と光の像があらはれる
おまへはそれを音にするのだ
みんなが町で暮らしたり
一日あそんでゐるときに
おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
多くの侮辱や窮乏の
それらを噛んで歌ふのだ
もしも楽器がなかったら
いゝかおまへはおれの弟子なのだ
ちからのかぎり
そらいっぱいの
光でできたパイプオルガンを弾くがいゝ

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Everyman sings his own song and follows lonely path

言葉と沈黙に関連し、引用メモ。

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若し私が私の欠陥から脱却し得たならば――私が私自身を超越し得たならば、私は最早何にも書かないであろう。何も書かないで、安んじて生きてゆくことが出来るであろう。何となれば沈黙の福音は全き人にのみ許されるからである。
 Everyman sings his own song and follows lonely path――お前はお前の歌をうとうてお前の道を歩め、私は私の歌をうとうて私の道を歩むばかりだ。驢馬は驢馬の足を曳きずって、驢馬の鳴声を鳴くより外はない。
 お前と私とは長いこと手を握り合って、同じ歌をうたいながら同じ道を進んで来た。しかも今や、二人は別々の歌をうとうて別々の道を歩まなければならなくなった。
 私達は別れなければならなくなったことを悲しむ前に、理解なくして結んでいるよりも、理解して離れることの幸福を考えなければならない。

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種田山頭火「砕けた瓦 (或る男の手帳から) 」より引用

こころ

「こころ」読了。以下引用メモ。


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「恋は罪悪ですか」と私がその時突然聞いた。
「罪悪です。たしかに」と答えた時の先生の語気は前と同じように強かった。
「なぜですか」
「なぜだか今に解ります。今にじゃない、もう解っているはずです。あなたの心はとっくの昔からすでに恋で動いているじゃありませんか」
 私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。
「私の胸の中にこれという目的物は一つもありません。私は先生に何も隠してはいないつもりです」
「目的物がないから動くのです。あれば落ち付けるだろうと思って動きたくなるのです」
「今それほど動いちゃいません」
「あなたは物足りない結果私の所に動いて来たじゃありませんか」
「それはそうかも知れません。しかしそれは恋とは違います」
「恋に上る楷段なんです。異性と抱き合う順序として、まず同性の私の所へ動いて来たのです」
「私には二つのものが全く性質を異にしているように思われます」
「い や同じです。私は男としてどうしてもあなたに満足を与えられない人間なのです。それから、ある特別の事情があって、なおさらあなたに満足を与えられないで いるのです。私は実際お気の毒に思っています。あなたが私からよそへ動いて行くのは仕方がない。私はむしろそれを希望しているのです。しかし……」
 私は変に悲しくなった。
「私が先生から離れて行くようにお思いになれば仕方がありませんが、私にそんな気の起った事はまだありません」
 先生は私の言葉に耳を貸さなかった。
「しかし気を付けないといけない。恋は罪悪なんだから。私の所では満足が得られない代りに危険もないが、――君、黒い長い髪で縛られた時の心持を知っていますか」

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「よくころりと死ぬ人があるじゃありませんか。自然に。それからあっと思う間に死ぬ人もあるでしょう。不自然な暴力で」
「不自然な暴力って何ですか」
「何だかそれは私にも解らないが、自殺する人はみんな不自然な暴力を使うんでしょう」

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「あ なたは私の思想とか意見とかいうものと、私の過去とを、ごちゃごちゃに考えているんじゃありませんか。私は貧弱な思想家ですけれども、自分の頭で纏め上げ た考えをむやみに人に隠しやしません。隠す必要がないんだから。けれども私の過去を悉くあなたの前に物語らなくてはならないとなると、それはまた別問題に なります」
「別問題とは思われません。先生の過去が生み出した思想だから、私は重きを置くのです。二つのものを切り離したら、私にはほとんど価値のないものになります。私は魂の吹き込まれていない人形を与えられただけで、満足はできないのです」
 先生はあきれたといった風に、私の顔を見た。巻烟草を持っていたその手が少し顫えた。
「あなたは大胆だ」
「ただ真面目なんです。真面目に人生から教訓を受けたいのです」
「私の過去を訐(あば)いてもですか」
 訐くという言葉が、突然恐ろしい響きをもって、私の耳を打った。私は今私の前に坐っているのが、一人の罪人であって、不断から尊敬している先生でないような気がした。先生の顔は蒼かった。
「あ なたは本当に真面目なんですか」と先生が念を押した。「私は過去の因果で、人を疑りつけている。だから実はあなたも疑っている。しかしどうもあなただけは 疑りたくない。あなたは疑るにはあまりに単純すぎるようだ。私は死ぬ前にたった一人で好いから、他を信用して死にたいと思っている。あなたはそのたった一 人になれますか。なってくれますか。あなたははらの底から真面目ですか」

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それでも私はついに私を忘れる事ができませんでした。

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夏目漱石「こころ」より

三月の




三月の 甘納豆の うふふふふ
---------------坪内稔典

桃の節句。
昔 から子ども用白酒が好きで、大人になって大人買いができるようになってからは5本くらい買いこんで飲んでいた。言い訳をすると、一本の内容量が少ないの だ。多分300あるかないか。栓抜きを使うのは年にこの時期だけである。他にもひなあられに菱餅に桜餅と、米米しい。米好きには嬉しい時期である。

こ の時期には、なぜか金平糖も一緒に売られている気がする。金平糖は実際魅惑的なお菓子である。形状といい小ささといい色といい、やたらかわいくて甘い。あ の形になるまでに随分と時間がかかることは、小学生くらいの時「おーいコンペイトウ」(だったと思う)という本で知った。舶来のお菓子で、イラストに白い 紙の上に盛られた金平糖があったことをおぼろげに思い出せる。なぜそんな本を読むことになったのかは不明である。しかし何かしらの思い入れが、このお菓子 にはある。

それにしても、三月三日。ゾロ目ってのはいい。何人かの友人はゾロ目の日に誕生日を迎えるけれど、うらやましい。なんといっても覚えやすいし、揃っているというのはそれだけで気持ちがいい。

そんなゾロ目な友人の一人、高校時代からの親友が入籍した。
大変喜ばしい。相手の方にも会わせてもらって、ついデートをお邪魔してしまったが、なんというか、しっくりくる二人で。
これからも何かと変わらないんだろうけど、一つの節目だよなと思う。あ、苗字が、変わる。まあ苗字で呼んでなかったからいいんだけど。

mixiのトップ画面がドコモのPRIMEの広告なのだけど、あのドット絵にやられてついクリックし、一回playしてしまったのが不覚でならない。意識の半分くらいでは冷めているのに、もう半分が自動的に反応してしまっている感じ。あの絵の、懐かしさがいけない。

そうこうしてるうちにもう三月か。

あゝいゝな せいせいするな 風が吹くし 農具はぴかぴか光つてゐるし




みんな時間のないころのゆめをみてゐるのだ
----------宮沢賢治「雲の信号」より

一切の事象は内部化されなければならない

一切の事象は内部化されなければならない。内部化されて初めて価値を持つ。
生命ある作品とは必然性を有する作品である。必然性は人間性のどん底にある。
詩人は自発的でなければならない。価値の創造者でなければならない。
新らしい俳人はまず人間として苦しまなければならない。苦しみ、苦しみ、苦しみぬいた人間のみが詩人である。

----------------種田山頭火「最近の感想」より

かくて夜は更け夜は深まつて



かくて夜は更け夜は深まつて
犬のみ覚めたる冬の夜は
影と煙草と僕と犬
えもいはれないカクテールです

---------------中原中也「冬の夜」より

The last day of my life

So you have to trust that the dots will somehow connect in your future.


I had been rejected,but I was still in love.


If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?


Stay Hungry. Stay Foolish.


---------------------スティーブ・ジョブズ スタンフォード大学卒業祝賀スピーチより

思いわずらうことなく愉しく生きよ

思いわずらうことなく愉しく生きよ/江國香織 より引用

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男のひとというのは物がわからないようにできているのだ。


どうすればうっとうしいことが起こるんだろう。


「だめ?どうして?人生を考え抜いたみたいな日記を書いたっていいじゃないか」
「わかってないのね」
「人生は考え抜くものじゃなく、生きるものなのよ」


「そりゃああるよ。物事にはすべて段階があるんだ」


「意志が大事なんだ」
「恋愛は感情で始まるものかもしれないけれど、意志がなくちゃ続けられない」


「でも意志の動機づけは恋愛でしかあり得ないことが、いつかあの子にもわかるわね」


たぶんあともうすこしでヘンゼルとグレーテルになれる。

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異途への出発

引用。


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「異途への出発」


月の惑みと
巨きな雪の盤とのなかに
あてなくひとり下り立てば
あしもとは軋り
寒冷でまっくろな空虚は
がらんと額に臨んでいる
  ・・・・・楽手たちは蒼ざめて死に
       嬰児は水いろのもやにうまれた・・・・・
尖った青い燐光が
いちめんそこらの雪を縫って
せはしく浮いたり沈んだり
しんしんと風を集積する
  ・・・・・ああアカシヤの黒い列・・・・・
みんなに義理をかいてまで
こんや旅だつこのみちも
じつはたゞしいものでなく
誰にためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ
  ・・・・・底びかりする水晶天の
       一ひら白い裂罅のあと・・・・・
雪が一そうまたたいて
そこらを海よりさびしくする

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宮沢賢治「春と修羅 第二集」中「異途への出発」より

鬼言(幻聴)

引用。


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鬼言(幻聴)



三十六号!
左の眼は三!
右の眼は六!
斑〔ぶち〕石をつかってやれ



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宮沢賢治「春と修羅 第二集」より「鬼言(幻聴)」

或る話

引用

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或る話
(辞書を引く男が疲れてゐる)




「サ」の字が沢山列らんでゐた
サ・サ・サ・サ・サ・・・・・・と

そこへ
黄色の服を着た男が
路を尋ねに来たのです

でも
どの「サ」も知つてゐません
黄色の服はいつまでも立つてゐました

ああ――
どうしたことか
黄色い服には一つもボタンがついてゐないのです

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尾形亀之助「色ガラスの街」より「或る話」

色ガラスの街

これは知ってるフレーズだ、と思ったら、江國香織「ホリーガーデン」に出てきたものだった。
それも含めいくつかのフレーズを引用。
尾形亀之助「色ガラスの街」より。



「明るい夜」より
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これは――
カステーラのように
明るい夜だ
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「寂しすぎる」より
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私は薔薇を見かけて微笑する暗示をもつてゐない

正しい迷信もない
そして 寝床の中でうまい話ばかり考へてゐる
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「犬の影が私の心に写つてゐる」より
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おゝ これは砂糖のかたまりがぬるま湯の中でとけるやうに涙ぐましい
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「一日」より
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待つてゐても
とうとう君は来なかつた
君と一緒に話しながら食はふと思つた葡萄や梨は
妻と二人で君のことを話しながら食べてしまつた
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「白い手」より
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レモンの汁を少し部屋にはじいて下さい
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「昼の部屋」より
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昼の
部屋の中は
ガラス窓の中にゼリーのやうにかたまつてゐる
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「九月の詩」より
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昼寝

かうばしい本のにほひ
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「年のくれの街」
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左側を通つて下さい
左側を――
左側を通らない人にはチヨウクでしるしをつけます
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歩いてゐる



私は歩いてゐる自分の足の小さすぎるのに気がついた
電車位の大きさがなければ醜いのであつた

――――――――――尾形亀之助「雨になる朝」より

冬は過ぎぬ 冬は過ぎぬ



君とふとかよひなれにしあけくれをいくたびふみし落椿ぞも


芥川龍之介 「桐 (To Signorina Y. Y.)」より

静かに健やかに遠くまで

引用。今響いたものは響いているうちに書き留めた方がいい気がする。土曜になると感性の状態も変化している。


人間には、慣れというものがある。慣れによって救われる場合もあるが、慣れによってスポイルされることの方が、はるかに多い。慣れを防ぐには、つとめて初心に返ること、自らを空しくして、事にとり組むことである。

――――城山三郎全集/第1巻/男子の本懐「随筆(五月病を逃れて)」



経営者の世界に休みはない。豺狼は食い合い、一瞬の隙も油断も許されない。

――――「役員室午後三時」



<人生も事業も、長丁場だ。焦って攻めこまんことだ。>

――――「男たちの好日」



”One thing,once.”

――――「男子の本懐」



「大人が一年間ムキになってやれば、たいていのことは、りっぱな専門家になれます」

――――「打たれづよく生きる」



「はたらくといってね、働くのも、楽のうちなんだよ」

――――「打出小槌町一番地」



男 にとって大切なことは愚直さですよね。もう明らかにそういうことしたら損だということが分かってても、そういうことをしなくちゃいけないという使命感なり 理想があって、愚直に生きていく。その愚直さということを、もう少し言いかえると、けじめの問題ですね。つまり、男らしい男は、けじめをつけるっていうこ とです。

――――「失われた志」



人間の能力とは努力のことでしかない。

――――「価格破壊」



その時間が、一番愉しいんだよ、一日で。仕事終わって、ベッドに自分の好きな本持って飛び込んでいくというときが、一番愉しい。

――――「失われた志」



「ねばることだ。物事を成すには、最後の五分間が、かんじんだ。詰めに成否がかかっている。あと、ひとふんばりしてみることだ」

――――「外食王の飢え」



(英国の将軍)ウェリントンでいいなと思うのは、「自分はいつも自分のそばに『おまえはタダの人間だ』ということを言ってくれる友達をつけておきたい」という言葉ですね。

――――「人間を読む旅」



「天使は、必要なとき、やってくる」

――――「男たちの好日」



「名声は高くても失敗した人の助言や援助は受けるな。著名でなくても成功者の助言や援助を求めよ」

――――「野生のひとびと」


以上、城山三郎「静かに 健やかに 遠くまで」より

ふるさとは遠きにありて

飲み会の後の帰り道、月だとか路傍の草木だとか街燈の反射するマンホールのふただとかを見るにつけ、そのディテイルに気づき、あたりまえのように自然法則に従っている様を見て、本当に文字通り泣けてくるのはいったいどういう心理状況なのだろうかと思う。毎回。

しっ くりくる表現がない。寂しさのようなもの。郷愁にも近い。後悔にも似ている。ずいぶん遠いところまで来てしまっていた愚かさというか。私は何をしているの だろう、ということ。生活を営むというのはしかし多かれ少なかれそういうことなのかもしれない。霞を食って生きていけるわけではない。ただ、酒を飲んで帰 るというのはある意味非生産的だから、より強くそう思うのかもしれない。


いろんなことを忘れている。

いつもその場所で必要とされる人になってください

とは、高校の恩師の言葉。


金曜の夜。銀座。
質問し、打ち返され、それを拾い、棚にしまう。
安心と安定と根底。芯からの温かさ。人間への興味。
その棚を見せるということを、たまにする。これは六本木。
リアクションをこねてラベルにし、棚に貼る。はがしたり、棚を統合したり分割したりもする。


以下無断掲載。

自分自身の世界に、間違いや無駄は存在しえない。間違いにしたり無駄にしたりするだけだ。

一般に、正しいか正しくないかは数の原理。

責任感など周囲が僕をコントロールするためのツールにすぎない。

自立している人など一人もいない。自立できるものでもないし、自立しないことに意味がある。

価値は周りが決めるもの。君に決められるものではない。

人間は、必要とされるところに身を投じるものだ。

貢献したいと思うかどうか。

本当に頭のいい人は、経験せずに真理に辿りつける。

真理なんて全然関係なく幸せに生きてる人もいるしそれはそれでいいんだけどね。

イノベーションというのは結果論だ。イノベーションを起こそうと思って起こした人なんていない。信念なんだよ。

以上無断掲載。


話は変わるけれど。
必要とされるということを必要とするという意味において誰かを必要としているというのは、おそろしくエゴイスティックなことだ、私のはおそらくそれだったのだ、という気づき。
今までの恋人だった人々との関係性につき、純然たる好意ではなくてエゴ的なものがいつもあるような気がしていたのはつまりそういうことだ。

必要としてもらえるかどうかは相手に依存する。
自 分には完全にアンコントローラブルだと捉えて割り切る、というのが一つの解であり、コントローラブルだと捉えて努力をするというのも一つの解なのだろうけ ど、おそらくどちらにしても言えるのは、決定権は相手方にあり、そのことについてつべこべ言う権利も考えるメリットもないということだ。


詮無いことをゆるゆると考えることの優雅さ。
金曜の夜はそういう時間と得たり。

someday

天の下では、何事にも定まった時期があり、すべての営みには時がある。
生まれるのに時があり、死ぬのに時がある。
植えるのに時があり、
植えた物を引き抜くのに時がある。
殺すのに時があり、いやすのに時がある。
くずすのに時があり、建てるのに時がある。
泣くのに時があり、ほほえむのに時がある。
嘆くのに時があり、踊るのに時がある。
石を投げ捨てるのに時があり、
石を集めるのに時がある。
抱擁するのに時があり、
抱擁をやめるのに時がある。
捜すのに時があり、失うのに時がある。
保つのに時があり、投げ捨てるのに時がある。
引き裂くのに時があり、
縫い合わせるのに時がある。
黙っているのに時があり、話をするのに時がある。
愛するのに時があり、憎むのに時がある。
戦うのに時があり、和睦するのに時がある。


聖書 伝道者の書3章1~8節より引用

侏儒の言葉 1/2

芥川を今まで読んでいなかったことに対するあまりの遅ればせ感と灯台もと暗し感を感じたのが今年に入ってからで、そういえば母にお勧めを聞いた際に彼女が 太宰とともに芥川と答えていたのには遺伝的要素をいまさら感じつつも早く気づけばよかったなと、そんなら現代小説家に何かを求めるより早く手をつけるべき 作家であったと中学生くらいで気づくべきところ恥ずかしながらに今思うも、最初の印象が「羅生門」であまりに生々しいイメージがついていて少し抵抗があっ たのも否めず、これもまた時の問題であろうと納得するに至るわけで。
いずれにせよちゃんと読もうと思う。それにしても実家に芥川の本があった印象がないのはいったいどうしたことだろうか。
やはり夏目漱石的ではある。余談だが、どうしたって夏目漱石については評価どうこうの前に絶対的にかつ勝手に親しみを感じてしまう。誕生日が同じなだけなのに(かつ旧暦と新暦で違うのに)。

ああ、芥川はすごいんだな、と思ったのは(羅生門もそうだけどそれは高校生の時分の感性)、彼の短歌に触れてからで。
鬼才という単語のよく似合う表現物と風貌。

手はじめに、またアフォリズム。読みかけだが引用。
引用は私の手でなされているため鈍るが、彼の文・文章には鬼のように切れ味がある。
よくわからん文もまた鬼的。俳号は我鬼とのこと。

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道徳は便宜の異名である。「左側通行」と似たものである。

良心とは厳粛なる趣味である。

古典の作者の幸福なる所以は兎に角彼らの死んでいることである。

我我の――或は諸君の幸福なる所以も兎に角彼らの死んでいることである。

さあ、君はウイスキイを傾け給え。僕は長椅子に寐ころんだままチョコレエトの棒でも噛ることにしよう。

スウィフトは発狂する少し前に、梢だけ枯れた木を見ながら、「おれはあの木とよく似ている。頭から先に参るのだ」と呟いたことがあるそうである。

わたしはスウィフトほど頭の好い鬼才に生まれなかったことをひそかに幸福に思っている。

椎の葉の椎の葉たるを歎ずるのは椎の葉の笥たるを主張するよりも確かに尊敬に価している。しかし椎の葉の椎の葉たるを一笑し去るよりも退屈であろう。

天才の一面は明らかに醜聞を起し得る才能である。

危険思想とは常識を実行に移そうとする思想である。

弁証法の功績。――所詮何ものも莫迦げていると云う結論に到達せしめたこと。

人生を幸福にする為には、日常の瑣事を愛さなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に無上の甘露味を感じなければならぬ。

人生を幸福にする為には、日常の瑣事に苦しまなければならぬ。雲の光り、竹の戦ぎ、群雀の声、行人の顔、――あらゆる日常の瑣事の中に堕地獄の苦痛を感じなければならぬ。

もし火星の住民も我我の五感を超越した存在を保っているとすれば、彼等の一群は今夜も亦篠懸を黄ばませる秋風と共に銀座へ来ているかも知れないのである。

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芥川龍之介「侏儒の言葉」より引用



「わたしはアルファであり、オメガである。」

―――――――――――――聖書 ヨハネの黙示録1章8節 より引用

或休日を過ごしたこと

日がな一日音楽をかけて、窓を開けて部屋に自然光と空気を取り入れ、寝っころがっていた。

ブログになにか書こうとしてはやめて、というのを2回くらいした。

すべて葉が落ちてしまったガジュマル(一ヶ月の留守で監督不行届のため)が根ぐされのためとみられるので植え換えた。今は細い枝が二本土から突き出ているといった体。ここから復活するのかはわからないけど、ガジュマルの生命力にかける。
緊急だったので、向日葵(留守中に増えていた)の鉢を横取りしたため、向日葵は今黒のビニールカップのまま。明日鉢を買ってきてやる。
植物が全体的にひどい状態にあったので、謝った(割と植物には話しかける方だ)。

そんなんでいつの間にかうつらうつらして、夕方になってしまったので散歩を諦めた。
昨日ころんだことによる脚の青いのがなんとなく怪我人のような気分にさせる。

PC内の音楽をシャッフルにして聞いていて、音楽っていいなあと思う。
ヘッドフォンは実家に置いてきてしまったのだが、ヘッドフォンで聞くと、音の作り方(及び録り方)の丁寧さがはっきりわかる。
聞いた中ではtelefon tel aviv、くるりや椎名林檎・東京事変は音の作りこみやきめが細かい。
telefon tel avivは、グリッチノイズが結構楽しめるようになった。

気ままな休日。


寺山修司の「ポケットに名言を」をぱらぱら読む。
引用。

女性というものは愛されるためにあるのであって、理解されるためにあるのではない。
―――――――オスカー・ワイルド「語録」


ふるさとは遠きにありて想ふもの
そしてかなしく歌ふもの
かへるところにあるまじや
―――――――室生犀星


悲劇的ではなく、
        やけつくようなやつさ
革命に
   必要な
      リズムとは!
―――――――E・A・エフトゥシェンコ「革命とパチャンガ」


必要はもっとも確実なる理想である。
―――――――石川啄木「時代閉塞の現代」


歴史認識とは――しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶えだ。
―――――――小林秀雄


Jazz and Freedom go hand in hand.
―――――――セロニアス・モンク


ナタナエルよ、さあ、今度はいよいよ僕の本を捨て給え。そこから脱け出し給え。僕と別れ給え。
―――――――アンドレ・ジイド「地上の糧」


国破れて山河あり
城春にして草木深し
―――――――杜甫「春望詩」


「・・・したい」などという心はみな捨てる。その代りに、「・・・すべきだ」ということを自分の基本原理にする。そうだ、ほんとうにそうすべきだ。
―――――――三島由紀夫「剣」


「いまぼくがひたすら望んでいることは――存在すること(to be)なのだ。どうか忘れないでほしいが、この不定詞は中国語では<他動詞>なんだよ」
―――――――ヘンリー・ミラー「南回帰線」


花に嵐の例えもあるさ
さよならだけが人生だ
―――――――井伏鱒二「詩集」


人びとは、いわばひとつのことばをスクラップすることによって、それを処理しおえたと信じこむ。しかし、ある真理をかたづけることはある商品をかたづけることほどに、たやすくない。
―――――――エンツェンスベルガー「政治と犯罪」

浮かんでは



これが夜空に浮かんでは
消えることはなくなるって事かい

―――――――――くるり「マーチ」より

止まって見えるのは



真黒な冷たい海で 真黒な石油のような海で
僕らは旅を続けています

点描画は風景に 世界は新世界へ

―――――――――くるり「ガロン」より

地面の上の空気に



なぜまたあのホテルは巻煙草のエエア・シップばかり売っていたのであろう?

―――――――――芥川龍之介「歯車」より

ハイウェイ




僕が旅に出る理由はだいたい百個くらいあって

――――――――――――――くるり「ハイウェイ」より

所感

実は秘密にしていたけど、格好いいブログがあって。そこの言葉達はかなりアートなわけだけど。その中で最初に格好いいなあと思った文章がある。
無断引用。出所は下記。
http://sensuzu.jugem.jp/?eid=28

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すべてを引き受ける覚悟を決めてさあ逃げよう。

逃げて逃げて。。逃げまくった先には青い空。
とりあえず熱いコーヒーでも飲んで、
明日の朝の目覚ましでもかけようか。

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すべてを引き受ける覚悟を決めて。


江國香織の「落下する夕方」で、華子はこう言った。
「まわりもの全部から、ただ逃げてるの。はやくゲームオーバーにならないかなあって、いつも思ってた」


友人へのメールの中で、私はこう書いたことがある。

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「何 故に芥川君は自殺したか?自分はもはや、これ以上のことを語りえない。しかしながらただ、一つの明白なる事実を断定しうる。即ち彼の自殺は、勝利によって の自殺で、敗北によっての自殺ではないということである。実に彼は、死によってその『芸術』を完成し、合わせて彼の中の『詩人』を実証した。」
という萩原朔太郎の「芥川龍之介の死」での言及によれば、たしかにそのようにも解釈できる、しかしそれは芸術としての完成であって、生き物としては逃亡に他ならないと思うのです。

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宮沢賢治は詩の中で言っている。
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みんなに義理をかいてまで
こんや旅だつこのみちも
じつはたゞしいものでなく
誰のためにもならないのだと
いままでにしろわかってゐて
それでどうにもならないのだ

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一抹の寂しさと

おまへはひとりであの石原の草を刈る
そのさびしさでおまへは音をつくるのだ
-----------------宮沢賢治「告別」より


寂しいな、と思う。東京を、仕事を、友人たちを離れることが。
友人が言った、何かを実らせるには孤独が必要だ、と。
彼は人間を愛し、同じくらい孤独を愛しているのだなと思う。犀の角。


自分を商品として見ている、と言ったのは別の友人で。
それは主に対親で、そういう見方は私にとって新しかったし、とても真面目な感じがする、と思った。
彼は言った。「なんで会社やめたの?って聞いた方がいいのかな。」
僕が旅に出る理由は大体百個くらいあって(くるり「ハイウェイ」)、といいたいところを三つくらいにして、話した。
彼は言った。自分なら今までの投資を考えてしまうし、いつまでも魅力的な商品であり続けていたい、と。つまり投資対効果が一定以上ということと、ありきたりなことをして(彼または彼の親にとって)面白くないレールの上を歩きたくはないということ。
私は今まで彼のそういう姿勢を、若さからくる何かだとおもっていたのだけど、よくよく聞けばそういう親孝行のあり方なのだった。それが彼にも親にもwin-winになればいいなと思う。

私 は自分を商品だと思ったことはなくて、両親が私に注いだものは金というより愛であり、それに報いるのはやはり愛をもって、と思っている。両親も幸い投資対 効果には頓着していないようなので(とはいえそういう面でも報いたいけど)、多分本質はそこじゃない。うちの場合。で、こういう決断ができたりもするわけ だ。というか、いつもは帰ってこなくていいと言う親が結構な度合で帰ってきてほしいというなら帰るのは当然なのだ、うちの場合。


直感を大事にすべきだ、と違う友人は言った。
「そういうのって直感だよ。理由はあるにはあるんだけど、本質ではなかったりするんだよ。
で、理由積み上げて合理的に出した解でうまくいかなくなっちゃうと、なんでだ、ってなるけど、直感で決めてれば、ああちょっと勘がおかしかったんだね、で済ませられるじゃん。」
屈託なく笑う。
僕には旅に出る理由なんて何一つ無い、のかもしれない。


被害者意識みたいのは無いんだね、と違う友人は言う。
なんで私だけ犠牲に、とか、なんで他の人はすんなり進んでいるのに、とかいう意識って無いんだね。
まあ、あるわけない。犠牲ではなく機会だと思っているくらいだし、こうでもしないと私は実家に帰らなかった気がする。少し前まで、親の死に目に会えないというのも仕方ないとか思っていた人間である。
試験を一旦やめると決めた時から私はそのレールから外れているのだし、違う方面で得難い経験もしたと思うし、それが私には必要な工程だったし、そして今回のこともそうなのだろうと思う。
何がよかったか、悪かったかなんてわからなくて、問題は限りある人生の時間をどう過ごすかだ。それを考えるのもまた一興。何も諦めていない生意気な若人ゆえ。


今後は、地元で仕事を探し、家を見つつ、空いた時間を試験勉強に充てる予定である。


会社を辞めるにあたり、様々な反応をいただいた。
コンサルとしてのポテンシャルを語ってくれた上司、今後のキャリアを心配してくれた人、試験を受けることを歓迎してくれた人、家を心配してくれた人、また一緒に働こうと言ってくれた人、壮行会だ!と飲みたがる先輩。
そういった人々の言葉に支えられて積み上げていくものなら人生は素敵だなと思う。

殊儒の言葉 2/2

遅くなったが、芥川龍之介「侏儒の言葉」引用後編。

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忍従はロマンティックな卑屈である。


自由は山巓(さんてん)の空気に似ている。どちらも弱い者には堪えることは出来ない。


文を作るのに欠くべからざるものは何よりも創作的情熱である。その又創作的情熱を燃え立たせるのに欠くべからざるものは何よりも或程度の健康である。瑞典(スエーデン)式体操、菜食主義、複方ジアスタアゼ等を軽んずるのは文を作らんとするものの志ではない。


最も困難な芸術は自由に人生を送ることである。


自由思想家の弱点は自由思想家であることである。彼は到底狂信者のように獰猛(どうもう)に戦うことは出来ない。


或物質主義者の信条
「わたしは神を信じていない。しかし神経を信じている。」


革命の上に革命を加えよ。然らば我等は今日よりも合理的に娑婆苦を嘗むることを得べし。


人間的な、あまりに人間的なものは大抵は確かに動物的である。

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偏狭な天才、といった感がある。

you know,

孤独が降ってきた時は、じっと身を固くしてやり過ごす
というのは江國香織の書いていたやり方で、落ちている時のやり過ごし方はもはやそれ以外にないとも思えたのだが、
家では何かしらの音楽をかけているのが常で、その曲に偶然助けられるということがままある。


・SING A SONG~NO MUSIC,NO LIFE/Cocco
lyric
何度聞いたかわからないのに歌詞に今頃気がついた。
高校生の頃、No kiddingとかNO MUSIC,NO LIFEに格好よさを感じていたし、なんだか中国語みたいな部分があって可愛い、と思っていた。

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Baby,give me a break!
I wanna go out.
And I shout,year!
'cause that's my life
You know,I love you.

(略)

I want everything,
I need everything,
And I sing a song,
'cause that's my life
You know,that's my way.

If you leave me alone.

(略)

Just remember
I love you so.

------------------------------

君が素敵だったこと 忘れてしまったこと

telefon tel avivの曲は、東京でのとりあえずの最後の夜に聴くには嵌り過ぎる。


東京を離れるのはとてもかなしい。
いろいろなものを残していく感じがしている。
思い出が所属している場所が東京に多すぎる。


TOMOVSKYは「忘却toハピネス」でこう言った。
-------------------------
昔は1000のリンゴしょってた 1000個全部食べるつもりで
(略)
少しづつ忘れてくおかげで 少しづつわかりやすくなってくよ
忘却toハピネス yeah
-------------------------

yeahと言うほどには割り切れないけれど。
思い出は大切にしている。懐古趣味の何が悪い、と思っている。

長い人生また東京に住む機会くらいあるかもしれない。

荷造りが済んでいない。東京は夜の2時。

いつか記憶からこぼれ落ちるとしても

江國香織「いつか記憶からこぼれおちるとしても」
引用。

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この人はいったい、「みんな」って誰のことだと思ってるんだろう。「みんな」なんてどこにも存在しないのだ。誰かをハブにするとき以外は。


ママはお金をつかうのが大好きだ。お金をつかうのは、ママの復讐なのだと思う。幸せじゃないから。


あたしは、ママの喉のうすい皮膚が好きだ。大人の女っていうかんじがする。それからすこし、不幸の匂いも。


フラニーはママを幸せにしてくれたから、だからいなくなってしまってかなしいのだと、あのときママは説明してくれた。


べつにきらいというわけじゃない。世の中は好きな人ときらいな人でできているわけじゃなく、好きな人と、どうでもいい人とでできているのだ。


マ マの考えることはときどきよくわからない。これはあたしが子供すぎるのではなくて、ママが年をとりすぎているのだと思う。この二つはおなじじゃない。全然 ちがうことだ。だって、もしなにかをわかるのに子供すぎるのなら、いつかわかるときがくる。でも、なにかをわかるのに年をとりすぎているのだったら、その 人はもう、永遠にそれがわからないのだ。これはとてもかなしいことだ。


「意味ってなに」
「正しいこと」「それをするのがゼッタイにたしかで、ちゃんと安心していられること」

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袖にとゞめて



運動場にて、落花を拾ひて、袖に収めけるを看守の見て咎めければ、二首。
香をだにも、袖にとゞめて、あかず散る、花の夕の、思ひ出にせん。
またも来て、訪ふ宿ならぬ花なれば、散り行く影の、なほぞ恋しき。

---------------------------木下尚江「鉄窓の歌」より

野ざらしの風颯々と



露のいのち


待ちやれ待ちやれ、その手は元へもどしやんせ。無殘な事をなされまい。その手の指の先にても、これこの露にさはるなら、たちまち零(お)ちて消えますぞえ。


吹けば散る、散るこそ花の生命とは悟つたやうな人の言ひごと。この露は何とせう。咲きもせず散りもせず。ゆふべむすんでけさは消る。


草の葉末に唯だひとよ。かりのふしどをたのみても。さて美(あま)い夢一つ、見るでもなし。野ざらしの風颯々と。吹きわたるなかに何がたのしくて。


結びし前はいかなりし。消えての後はいかならむ。ゆふべとけさのこの間(ひま)も。うれひの種となりしかや。待ちやれと言つたはあやまち。とく/\消してたまはれや。


---------------------------------------北村透谷「露のいのち」より

一輪花の咲けかしと



古藤菴に遠寄す


一輪花の咲けかしと、
   願ふ心は君の爲め。
薄雲月を蔽ふなと、
   祈るこゝろは君の爲め。
吉野の山の奧深く、
   よろづの花に言傳(ことづて)て、
君を待ちつゝ且つ咲かせむ。

------------------------------------北村透谷「古藤菴に遠寄す」より

絽の夏帯の水あさぎ



ときすてし絽の夏帯の水あさぎなまめくまゝに夏や往にけむ

-------------------------芥川龍之介「客中恋」より

冬中暖かい言葉たち

何故か実家にあった「カーネギー名言集」ドロシー・カーネギー編より引用。
デール・カーネギーのスクラップブック。
何故か家の誰も読んだことがない。



luck(幸運)にPが加わってpluck(勇気)となれば、鬼に金棒である。
---------------作者不明


人生において重要なことは、大きな目標を持つと共に、それを達成できる能力と体力を持つことである。
---------------ゲーテ


人生もフットボールも原則は同じだ。ラインに向かって突っ込め、ファウルするな。ボールから身をかわすな。ラインに向かって突っ込め。
---------------セオドア・ルーズヴェルト


A弦が切れたら残りの三本で演奏する、これが人生である。
---------------ハリー・エマソン・フォスディック


私は何か問題を考えたい時、心の引き出しを一つ開ける。問題が解決するとその引き出しを閉め、また次には別のを開ける。眠りたい時には全部の引き出しを閉める。
---------------ナポレオン


問題を手際よく表現することによって、問題は半ば解決されている。
---------------チャールズ・F・ケタリング


人を憎むのは、ネズミ一匹追い出すために、家全体を焼き払うようなものだ。
---------------ハリー・エマソン・フォスディック


遂に起こらなかった害悪のために、われわれはいかに多くの時間を費やしたことだろうか!
---------------トーマス・ジェファーソン


私は未来のことを考えない。あっという間にやってくるからだ。
---------------アルバート・アインシュタイン


常に現在の時間にしっかりしがみつけ。刻一刻過ぎて行く時間には、無限の価値がある。
---------------ゲーテ


ありていに言えば、現在に生きる者はごく少ない。だれもかれも現在以外の時に生きるつもりなのだ。
---------------ジョナサン・スウィフト


祈りはまさに宗教の魂であり、精髄である。だから祈りは人生の核心である。宗教心を持たずしては、何人も生きられないからだ。
---------------マハトマ・ガンディー


ある種の思考は祈りである。
---------------ヴィクトル・ユーゴー


たとえ疑いをいっぱい持っていても落胆する必要はありません。健やかな質問はその人の信念を力強いものにします。はっきり言って、疑いの心から出発しなければ深く根ざした信念は得られません。
---------------ヘレン・ケラー


やさしい言葉一つで冬中暖かい。
---------------日本のことわざ


幸福は香水のごときものである。人に降りかけると自分にも必ずかかる。
---------------エマーソン


友情の目標は、最もきびしく最も素朴な交際を行うことである。われわれの体験したどんな交際よりも厳粛な交際を行なうことである。・・・
友情は晴れた日にふさわしく、美しい贈物としてふさわしく、田舎のそぞろ歩きにふさわしい。だが一方、友情は険しい山道を越える時、不運に見舞われた時、船が難破した時、貧窮や迫害にあえぐ時にもふさわしい。
友 情には常に気の利いた警句や宗教に近い恍惚状態がつきまとっている。友人としてのわれわれは、互いに人生の日常の要求と持ち場を権威あらしめ、人生を勇気 と知恵と一致によって磨かねばならぬ。友情は決して平凡な、型どおりのものに落ち込んではならない。生き生きした創造性を発揮し、泥沼のような人生に美し い調べと理性を与えねばならない。
---------------エマーソン


愛はお互いを見つめあうことではなく、ともに同じ方向を見つめることである。
---------------サンテグジュペリ


「手」は人間の仕事の力強さとすばらしさの象徴です。・・・
いくら人間の眼がすばらしくても、手がなければ何にもなりません。
---------------ヘレン・ケラー


徳は孤ならず、必ず隣あり。
---------------孔子


最大のあやまちは、どんなあやまちを見ても少しも気づかぬことである。
---------------トーマス・カーライル

春日狂想

そこで以前(せん)より、本なら熟読。
そこで以前より、人には丁寧。

テムポ正しき散歩をなして
麦稈真田(ばくかんさなだ)を敬虔に編み――

まるでこれでは、玩具の兵隊、
まるでこれでは、毎日、日曜。

神社の日向を、ゆるゆる歩み、
知人に遇へば、につこり致し、

飴売爺々と、仲よしになり、
鳩に豆なぞ、パラパラ撒いて、

まぶしくなつたら、日蔭に這入り、
そこで地面や草木を見直す。

苔はまことに、ひんやりいたし、
いはうやうなき、今日の麗日。

参詣人等もぞろぞろ歩き、
わたしは、なんにも腹が立たない。

    (まことに人生、一瞬の夢、
    ゴム風船の、美しさかな。)

空に昇つて、光つて、消えて――
やあ、今日は、御機嫌いかが。

(中略)

ではみなさん、
喜び過ぎず悲しみ過ぎず、
テムポ正しく、握手をしませう。

つまり、我等に欠けてるものは、
実直なんぞと、心得まして。

ハイ、ではみなさん、ハイ、御一緒に――
テムポ正しく、握手をしませう。

------------------------------中原中也 詩集「在りし日の歌」より「春日狂想」から引用