June 19, 2009

取捨選択について

卒業のときある人に言われたのは、

心が折れやすいのは個性として受け入れなよ

ってことだった。

受け入れた上で折れそうになったときの対処法を決めておくといい、と。
折れそうなときに食べるべきもの、話すべき人、やってみること。


そんなに親しくない(会わない)人だけど、そして不思議な(胡散臭い)人だけど、その人は結構的確なことを言う。
その人にとって私は、心配になる子だそうで。得なキャラだねといわれた。
この人はこういうので金とってたこともあるような人(だったと思う)で、話がうまいのはわかってるんだけど、まあお金払ってないし。


その人に影響されるのもされないのも自分の選択次第だけど、自分に有利なものは取り入れていくのがいいと思っている。まあそれが宗教がかっててもね。気をつけるけど。

宗教の何が危ないかって、信じ込んで他の考えをシャットアウトしてしまうこととか、それにあらゆるものを捧げてしまうことだと思うんだけど、でもこういう人生における考え方とか思想とか信念とかっていうのは、多かれ少なかれそういうものになってくるとは思う。

信じた生き方、それに対する投資。
自己啓発の本を買うことだって、ファッション雑誌や服を買うことだって、あるライフスタイルを実現するための投資で、それってその人にとってはいいと思うからやってるだけなんだけど、それをちょっと精神論にもってくと宗教がかるっていう。


それを食い物にする人間がいると、「だまされている」感があるだけで、本質的にやってることは同じな気がする。
何を信じようが、信じまいが、自由。

人のそういう真剣な思い悩みとかを食い物にする人間はほんと最低だと思うけど。

聞く耳を持ち軌道修正できる柔軟性と危険を察知する注意深さがあれば、何をとりいれるにせよ、大丈夫だとは思う。


ともあれ。
心が折れそうになったときの対処法を考えておくことは有益であると私も思うので、それは取り入れようと思う。

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