June 19, 2009

最近天気が悪くて、少し過ごしやすくなった。
秋の気配すら感じる9月のはじまりである。


日中でも光の量が少なくて、電気をつけていないと部屋の中が薄暗い。


夏の終わりに全力で抵抗しているという人を見かけた。
夏は嫌いではないけれど、私は秋という季節が好きで。夏そろそろ終わればいいのに、と30度を超した次の日には思っている。


昔ミクシの日記に書いた気もするけど、私の夏に対するイメージは、所謂ビールや日焼け止めのCMのような、底抜けに明るいようなものではない。


夏は忍耐の季節であり、抵抗を断念する季節である。
暑さに対し。日焼けに対し。汗に対し。まぶしさに対し。
あきらめる。
流れる汗やじりじりする肌の熱に、されるがままになっている。なすすべなし。人間の無力さを感じる。


加えて、沖縄では夏、陽射しが強い時間帯に、外を好んで出歩く酔狂はいない。
海も、陽射しが衰える時間帯、しかも時間を短くして入る。
長時間泳ぐと全身火傷を負うことになるので、沖縄で夏海に入る際はご注意いただきたい。


で、沖縄の住宅街には夏、人影が無いことが多い。


子供の頃、夏休みは家の中にいても暇で、放課後はいつもそこらじゅうに遊んでいるはずの子供たちは、昼間はいない。
歩いてみても人がいない。蝉だけがうるさい。
けだるい午後。



そういうわけで、どうしたって夏のイメージは明るくない。
景色だって美しいというよりもまぶしすぎて白とびしているし。
布の色は日光で褪せてしまう。

海に行けばきれいなんだろうけど、沖縄(本島)の人は一部を除いてそんなに海に行かない。
年1,2回くらいだろう。

海だってそんなに明るいイメージの場所ではないと私は思っている。



今だって夏は忍耐の季節であることに変わりは無い。
それで、夏が好きだという人がもし、その忍耐を好きであるということなのであれば、間違いなくマゾだろうと思ったりする。




どんな風景でもどんな状況でも、ありのままを見ようとすると、何かしらのかなしみを見てしまう気がする。
夏の住宅街でも、夜の花火でも、祭りでも。夏に限らず。春の川辺でもいい。

少し距離を置いて見ると。
決して滑稽という意味のかなしみではなく。

そこにそういう景色があるということや、その状況になっているということが、圧倒的な事実としてそこにあって。
でもそれってどうしてそうなってるのかとか、誰がそうしたのかとか、どう変えられるのかとかどうしようもなく、今現在そうなっている、ということが、なんか諦めをもって受け入れるべき事実のような。
ああ、世界がそこにあるんだな、と思う。全く手に負えないものとして。



秋は自然とニュートラルに戻る感じがしていい。
といっても沖縄では冬くらいの気候。
デフォルト独りであるということを、一人で歩くだけで感じられる季節だと思う。

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