早稲田への愛を発揮したにもかかわらず、野球は敗戦で。
背脂いっぱいのラーメンを食し。
そのあとホテルの最上階のバーでの夜景はやけに象徴的で。
ビル群が眼下に見え、そのすぐ上をぼうっとした空気が覆い、その上に澄んだ空が広がり、黄色く赤い大きな月が浮かび。
そういう風景をジャズの生演奏を聴きつつ酒を飲みつつ観るという贅沢より、なんとこの地上が天に比べて小さいのだろうという確信のようなものの方が心を捉え。
これを見ながら、この景色から感ずるものを共有できる誰かと、人生観なり世界観なりあらゆる考察をとことん語れればいいのに、と思うと共に、そんなことは無理なのかもしれないと思い、とても寂しくなる。
私はもっといろいろなものを見るべきで、もっといろいろ考えるべきで。
酒はほんの少し酔うためだけに必要で。
音楽もとことん考えるという場面ではむしろ邪魔で。
もやがかかったビル群の海の上に浮かぶ低い月が、何かを象徴的に表していて。
同じ月が本物の海の上に浮かぶ月や、砂漠の上に浮かぶ月と重なり。
私がここにいる状況と、そこにいる状況を是非比べてみたいと思い。
重要なものを何に置くかということが時に危うさを含むものとして認識され。
今ここにいてバーボンを飲んでいる、つまりリッチな時間を過ごしているという事実よりも、この月が地球上のどこでも今現在認識されており、私がそれを観測しているのがたまたま東京のビル群の上であるという事実の方が遥かに重要だと評価している、と自覚する。
酔いながら、この感覚を覚えておかねばならないと、細かなタスクをこなしながらおぼろげに意識していた。
時 間軸というものを意識しながら、名も知らぬ外国人のトランペット奏者を見る。彼はあのとき私の目前でトランペットを情熱的に吹いていたのに、今この瞬間は きっと眠りについているかもしれないし、あのときトランペットの演奏に聴き入っていた観客の一人は、パソコンの画面に向かい、酔った頭で捉えようのない何 かをなんとか文字に起こそうとしている。
昨日の時計はありません、今日を打つのは今日の時計。
その名言が何を言わんとしているのかがわかるような気がした10月の終わりのこと。
時間軸のことは、改めて書く。
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