June 19, 2009

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 前回のエントリと関連して。
人間関係をカテゴライズすることについて。

たとえば私たちはよく「友人」というカテゴリを使う。「親友」というカテゴリがあったりするし、「知り合い」というカテゴリがあるかもしれない。
それらって多分、親しさや信頼の深さの程度を基準に分けている。

ここで、「高校の同級生」や「サークルの先輩」や「取引先」っていうのは程度の問題ではなく、知り合ったきっかけとか所属した場所とかいう明確なものを基準としていて、それは別次元のカテゴライズといえるんだろうと思う。属性といってもいい。この種類のものは置いておく。


で、前者のカテゴライズ、つまりは親しさの程度とかによって分けることが、やっぱり難しい。私はこの人とどれだけ親しいのだろうか、というのは結構わからない。ので、そのファクターについて考えてみた。多分きりがないとは思うけど。


人間関係は、その関係それ自体についての相互の認識に尽きると、言ってみたばかりだが、相手の認識というのもやっぱり親しさの程度には影響する。
何 をどれだけ話せるかという基準もあろうが、自分の弱さを見せることにその基準を置けばいいのか、感情的な問題について吐露することがそれなのか、素直にな れることがそれなのか、とか考える。それらは総合的に、ひっくるめてどれだけ話せるかという基準でもいいのかもしれない。
どれくらい互いの情報を知っているか、というのも基準になりうるかと思う。どういう話が好きだとか、どういう反応をするかとか、物の考えかただとか、果ては食べ物や酒の好みまで。
一緒にどこへ行けるか、というのもあるかもしれない。どういう時間を共有できるか。
黙ってても苦にならないとか。つまりそれくらい気を遣わずに済むとか。

やっぱりきりがなかった。



で、その人間関係をカテゴライズするのにどれだけ意味があるのかという話。
つまりは他人にその関係を説明する便宜上、そのような名称を使う必要があるというだけの話なんじゃないかと思う。(当たり前の話なのかもしれないが、意外と我々はそれ以上の意味を名称に与えている気がする。以下考察。)

「友人」という名称をつけられてる関係たちは、各々個別に全く違うわけで、それは誰しも認識していることで、それをあえて「友人」、と一緒くたにしてしまうのは、その関係をいちいち説明するのが難儀だからである。
それだけの話なんじゃないかと思う。
「恋 人」とか「付き合ってる」とかいう名称も、それを対外的に説明する際に便宜的に用いるワードであって、その名称がつけられているこの世にあまたある関係た ちはやっぱり個々に全く違っている。と思う。恋愛感情という共通点でくくられているという意味で、「友人」とは差別化できるのかもしれないが、「友達以上 恋人未満」とかいうカテゴリがあったりするし、「恋人」でも恋愛感情が無い場合だってあるかもしれなくて、そもそも恋愛感情って何かという話にもなり(こ れがまた最近わからない)。
だから「恋人」って言ったって、それもまたそれぞれ違う。
もっといえば、それは他の人から見れば「恋人」ではないかもしれないわけで。


そう考えることによって、私はその名称の有する意味を減少させようとし、その名称とその人間関係とのつながりを弱めようとしている。

た とえば「恋人」という名称を付した関係にある場合、おそらくほとんどの場合、私たちは「恋人」だ、という相互認識があって、それにしたがって「恋人」らし く考え、振る舞うということが要求され、行動の範囲が拡張されたり縮小されたりとかする気がしているのだが、それってその名称に認識や行動を縛られてるこ とになる。それが本末転倒に感じるというか。
本来、名称が先にくるのではなくて、関係が先にくるんだろうと。それに単に名称を便宜的に付しただけだろうと。
だから、自分の認識と他者に説明するときの名称は、乖離していても構わないんじゃないかと思う。そう説明するのが便宜だからその名称を使うという以上の意味がないのであれば。

「名前ってなに?」である。



一応私も社会生活を営んでいるので、名称を使って関係を説明してきているし、少なからずその名称に縛られて考えたりつきあったりしてきている。
けど最近、特に院に入ってからだけど、結構そういうカテゴライズに意味を見出せなくなって。つまり、その名称でその人との関係性を全然表現できてないって思うことがよくあって。それは言葉や時間の限界として受容されなければならない。



もちろん、名称にしたがって、関係を認識し、行動することもまた一興かもしれない。それを信念にする人もいるかもしれなくて、それはそれで美しい何かであると思う。

「恋人」や「友人」や「親友」の定義をきっちりできる人もいる。
けど自分にはどんな定義もしっくりこなくて、それは個人個人の感覚や経験だと思う。
定義できないものは無理して定義を考えずにそのまま置いといていろんな面を発見していくほうが、しっくりくる。し、今は多分その段階なんだろうと思う。もしかしたらいつか定義できる日がくるのかもしれない。

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