June 19, 2009

披露宴に出て思うこと

昨日、小学校来の友人の結婚披露宴に出席した。
私は中学に上がるときに引っ越したので、そこでほとんど小学校の友人とは縁が切れているのだが、その子とは高校くらいまでたまに連絡をとりあった。
最近互いに東京にいることがわかり、この前5年ぶりくらいに中目黒で会って、それで今回の結婚披露宴に呼ばれたという経緯。


月並みではあるが、披露宴の最中には、結婚か、とやはり考えた。知ってる子が一人しかいなくて(しかも小学校卒業以来会ってない子)、黙々と料理を食べるか余興を見ているだけだったので、考える時間があったのもある。
披露宴とかってやるんだろうか、自分なら誰を呼ぶんだろうか、誰に挨拶を頼むんだろうか。

結婚か。するのか?

彼らはなんで結婚しようと思ったのだろう。世の人はなぜ当然のように結婚するのだろう。永続的な幸せの保障のためだろうか。子供のためだろうか。なぜ私は結婚したいと思っているのか。



制度としての結婚と、人間的関係としての結婚とは多分分けて考えたほうが良くて(もちろん相互に干渉しあうけど)。

制度として結婚をしているとメリットとしては(反面、デメリットともいえるけど)扶養をうけることができるとか、慰謝料云々とか、同居義務で一緒にいられるとかそういう感じだろうか。
そこ重視するのもありだとは思うけど、やっぱりどちらかといえば人間関係としての結婚とは何ぞやと。思うわけです。


そ もそも人間関係なんて本当に多種多様で、相対的に見たときに(つまりAさんとBさんの関係と、CさんとDさんの関係とか、EさんとFさんとか、AさんとD さんとか、を比べたときに)、結婚してるということが何らかのカテゴリになるかといえば全くそんなことはない、と思う。ある共通点ではありうる。直線とか で考えれば、ある一点で交差してるんだろうと思う。
けどそれって日本に住んでるとかそういうレベルの共通点というか。うまく表現できないけど、そんなに絞りをかけられるファクターじゃない気がしている。
人間関係っていうのはすごく個別的で、深い浅いのグラデーションですらない、と思う。多層構造で。2次元とかじゃなくて。カオス。


そこで結婚って、どういう事象なんだろうと思うわけです。
点 なんじゃないかなっていう認識。その結婚という時点である一定の愛情の合意というか、そういうのを確認できる。その事象を経験した関係であるという事実。 それをどういう風に位置づけるかっていうのはそれぞれで、そこを重く見てより深く人間関係を構築していく場合もあれば、それは過去のある時点にすぎないと 見る場合もあるかもしれなくて。逆に結婚の弊害ってあると思うんですよ。ケースによっては。結婚したから二人の人間関係がおろそかになるとか。


本質的に人間関係は(結婚のみならず)、二人の認識につきるとは思う。
二人の関係に対する各々の認識と、互いの認識のずれの発見と、修正と。もしくは修正ではなくずれたままでの受容と。発見すらできないときもあるけど。

この人とはこういう関係なのだと認識することによって感情が生まれることも結構あると思っていて、独占欲なんかには結構それが当てはまる。打ち解け具合とか。態度とか。
結婚もその関係性の認識のためのファクターになっているとすれば、結婚しているからこういう感情が生まれるとか、こういう態度になるとかっていうことはありそうな気がする。



個人的には結婚を手放しでしたいものだって決めてかかるのもどうかと思って、一応の検討を加えるべき事柄なのかなとか思うのでこうして書いてみたわけだけど。

そうはいっても結婚というのは制度上もそうだけど、やはり不可逆的で重要な何かではある。少なくとも社会一般の共通認識として。
この社会の認識っていうのは結構厄介だと思う。気にしない、と言うことはできても、気にしないことは滅多にできない。私の場合は。
だからあらかじめ考えておくのは選択をする際に楽になるんじゃないかと思う。
慎重すぎる。


こういうことを披露宴の最中考えていたわけではもちろんないけど。


帰宅して、母に「何か思うところがありましたか」と聞かれた。
はい。


追記(7.10)
追記しようとして途中で保存したら、エントリまるごと下書きに落とされていた。

結 婚がカテゴリとして機能しない的なことを書いたけど、それって程度問題だと後で思って。そんなこといったらカテゴリとして何が機能するのかという話になっ て。多分人間関係をカテゴライズするのはナンセンスで、しかしそれをあえてするとするならば、単なる共通点レベル(そんなに絞れないもの)でもそれはカテ ゴライズといえるのだろうと。思って追記した。結婚をしていないからこその片面的な考察になっていることを自覚していることをも付言したい。結婚をしてい ればなんらかの共通点が生まれることはぼんやりとわかるが、私が思っているよりも多くの共通点がうまれているかもしれない。

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