June 19, 2009

週の初めに読むいくつもの

引越しの準備をしている。

近くのスーパーで段ボールをもらって、適当にパックして、郵便局に電話して取りに来てもらう。もう12個くらい送った。


今日は物を処分することも並行してやっていたので、結構物が無くなった。少しすっきりした。もともと可愛げのかけらも無い部屋なので、物が減っても殺風景になったという気はしない。でも、ああ引っ越すんだな、という実感は沸いてきた。


書類やら書籍が多い。当然といえば当然。
小説も、ほとんど読んでないとはいえ、6年も東京にいるとそれなりに買っていたようで。
引越しは実は人生7度目だ。毎度のことながら、写真やら文庫やらを読み返してはその当時を思い出したりして見入ってしまい、我に返る、というまあ誰にでもありがちなのをもう今日だけで4度くらいやっている。これもまた引越しの一部ということで。


圧倒的に江國香織の本が多い。多分、ほとんど買っている。
彼女の書くものが好きというよりは、自分にすごく近くて気づかされることが多いから買ってるのかもしれない、と思う。

作 品を読む限り、性質として彼女と私は似ていると思う、かなり。それは別にファンだからとかそういうことではなく。それも特に嬉しいことではない。たまに自 分と重なりすぎて目もあてられない、ということがある。誰しもあることなのかもしれない、たとえば昔の友人は村上春樹をそういう風にとらえていたし、実際 そういう男の子は多いのかもしれない(推測)。

ともあれ。
私たちは単純で身勝手で曖昧で、それを分析したうえではっきりわかっていて、でも渦中にあるとそうせざるをえないのだと思い込もうとする。それは正当化ともいえる。そして自らがそうしていることもわかっている。その点において、我々は似ている、と思う。


分析したことをほんとうに適切に(ほとんど寸分の狂いもなく)表現する、また、言いたいことを確実に伝える彼女の筆力は、本当に素晴らしいと思う。
彼女は言葉を丁寧にじっくり選んでその語感をも吟味し、ひらがなと漢字を使い分け、表記にもこだわっている。言葉の手ざわりを大事にする。一番伝わりやすい言葉を選ぶ(そういう意味ではすごく合理的だ)。彼女は妥協をしない。
話の筋を追うあまり、表現を軽視している作家はたくさんいると思うのだが。私は彼女の書き方が好きだ。小説の内容とか彼女の考え方とかじゃなく。


で、 彼女と私が似ているのが確信に至ったのは彼女のエッセイを読んでからなのだが、中でも「いくつもの週末」という作品がその当時の自分とかぶりにかぶったと いうか、大いに共感したものだった(しかし痛々しい共感だったと今は思う)。引越しの最中につい読んで、フラッシュバックした。あの頃。


「い くつもの週末」は、彼女と夫についての、または結婚生活についてのエッセイである。私は結婚していないので共感っていってもその程度ではあるのだが、恋愛 をしていた私にとっては結婚への憧れとも相まって、甘やかだが切なく苦しくやきもきする、しかし圧倒的な幸福感で満ちたそのエッセイを何度も読み返したも のだった。
名言がいくつも出てくる。ほんとにいくつも。ぴったりくる。

恋愛をしている最中に読んだとき、「甘やかされることについて」というのを読んで、同じ気持ちになりながらも、絶望的な気持ちにもなった。
「正しさなんて全然問題じゃない」
今はそうは思ってない。元来フェアなのが好きだし。でも恋愛すればまたそう思ってしまうのかもしれない。と思う。


「猫」という文章では、男と女の狡さについて触れてある。
彼女の考察結果は、「女の狡さは積極的でつめたい(あるいはあつい)けれど、男の狡さは消極的でぬるい(あるいはあたたかい)」そうで、「もしもそうだとするならば、消極的でぬるい(あるいはあたたかい)狡さの方が絶対により狡い、と思う。」そうだ。

なんて鋭い考察、かつ表現力だろう、と思う。

「それはたとえば、何かを主張するのに結果がどうなろうと知ったことじゃない、というのが女の身勝手さであるのに対し、結果だけは正確に見据えて、あとはまあ知ったことじゃない、と考えるのが男の身勝手さであるのと似ている。」

なるほど。たしかに。思い当たる。


いつのまにか「いくつもの週末」のレビューになっている。


私は今冷静だし(相対的に)、このエッセイを読んで、「あの頃」なんかを、ばかばかしく幸せだが苦しかった日々として思い出すだけだし、今の状態が正常値というか安定した状態であると把握しているのに。
それでもいつか結婚するんだろうかと思っていて、それがある意味本来であるかのように待ち望んでいるふしがあって、それに気づいた日でもあった。今日。


それは逆に言えば、そんなことはない、と思えるようになったということでもあり。


どちらにしても、江國さんは
「無論結婚は”struggle”だ。」
という。

ふむそうか。

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