June 19, 2009

前恋愛的なもの

最近ブログに影響を受けるとすればだいたいこの人のブログに影響を受けている。
「またいつか会う日までという言葉の。」
関連するのは冒頭部分のみ。


魅力的な友達がいて、その人は異性で、というときに、恋人にはなりたくないなと思う。という話。



江國さんがエッセイで、男友達の事を書いていたのを昔読んだ。昔なので記憶がおぼろげだけど、彼女曰く。

彼と恋人同士になるという可能性が、私達二人にとってはどうでもいいことなのだ。
大切なのは、同じ瞬間に生きていて、同時に世界を目撃できることだ。

多分こんな感じ。
同感である。


大切なのはそのことだ。
同じ瞬間に生き、目撃し、語り合うこと。時間や感情や体験を共有すること。
恋人になるか否かというのは「ついで」である。


何も恋愛関係を軽く見ているのではない。恋愛は素晴らしいと思う。
恋人同士という関係になれば、友人よりも更にその人を知ることができる(と思う)。し、関係としても素晴らしい。何はばかることなく愛情を注ぎあえるから。

問題は、恋人になることではなく、恋人関係を解消することにある。
友人に戻ることが出来る場合もある。でも出来ない場合もある。
少なくとも恋人になる前の関係には戻れない。何かがそこなわれる。


この人と恋人同士にならなければ、今でも友人として楽しく語り、笑いあえたのに、と思うことが実体験としてあるのでこういうことを書くわけだけど。

もし友人のままだったら、と考える。
たまにメールをするだろう。飲みにも行き熱く語る。ブログだって教えるだろう。

残念ながら彼らとはそういう関係にはない。なぜかはよくわからない。多分傷が残っているんだと思う。関係に。残念なことだ。
いずれまた語り合うことができるようになるかもしれない。けど多分それは何かの留保がついた友情になるんだろう。



江國さんは、恋人同士になる可能性がとるにたらないものであるというけど、その意図は多分、その人との関係が、恋愛関係という絞りがかかったものになる以前に在るものである、ということなんじゃないかと思う。
ある大切な人との友情は、前恋愛的なものである。
恋愛という絞りをかけて破綻させるのにはもったいないものである。
むしろそのように破綻するような軟弱なものではない、といいたいのかもしれない。


こうやってみると、恋愛関係というのはかなり脆いものだと思う。排他的であるが故だろう。
友情はいくつも立つけど、恋愛は一つしか立たない(原則。例外あり。例外な人あり。)。両立しない。人間の気持ちの浮動性を考えれば、脆いのは当たり前だ。あと、恋愛関係というのは距離が近すぎるのかもしれない。


気が合って好意があると迂闊に恋愛関係に陥りがちだけど、あとあとその人との人間関係を考えたら、慎重に友人関係を継続することが必要な場合もあると思う。
と、後悔と共に思う次第。


刹那的に判断するのではなく。長い目で見ておつきあいする。クールダウンを学習。

そんな感じで。リンク先の引用の人は賢明であると思う。

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