June 28, 2009

格好良いについて

先日飲んだ時に、どういう時に惚れるか、という話になった。

で、私は「面白い話をされた時」と、答えた。

咄 嗟に浮かんだのがそれだったし、実際それは本質をついていたのかもしれないと思う。「面白い」というのは、おもしろおかしいという意味ではなくて興味深い というかinterestingの方、という付言までしたところで、ああじゃあ頭の良い人がいいんだ、と言われた。そういうことになるのだろうか。まあ、 なるのかもしれない。これは「頭の良い人」の定義問題になる。

格好良いということ、とか、魅力的であること、というのを一度考えてみたいと思っていた。
結論から言うと、
この人には敵わない、ということなのじゃあないか、
と思う。

さっきの話をもう少し抽象化すると、話が面白い時というのは、感心している時なのだ。
面白い話をされ続けると、その感心が積み重なっていって、凄い、敵わない、というのが確信になっていく。これが私にとっての「格好良い」の正体だと思う。

人によって、もしくは場合によって感心するポイントが違っていて、立居振舞を基準にする場合も、見た目を基準にする場合も、地位を基準にする場合も、スキルを基準にする場合も、あるわけだ。
例えば小雪のささ、とお茶を淹れる仕草に感心するとか、顔の整っていることに感心するとか、エグゼクティブっていう響きに感心するとか、この上司の技術力に感心するとか。
で、私は、格好良いと思う場合の中でも、惚れる、ということに関しては、話の面白さとか垣間見える考え方を基準にしがちだということ。これはまあ良し悪しある。口では何とでも言える、ということも忘れてはならない。
私の場合は話だったけれど、人によって様々で、それが格好良いのバリエーションなのだと思う。いろんな人がいるからいろんなニーズが生まれてそれに対応したいろんな人が必要とされるのだなあと思う。

で、その人が、「よく女性って尊敬できる人がいい、って言うけどあれ何なの」とお聞きになったので、「尊敬できない人は嫌だってことじゃないですか」と答えたが、あれは適当すぎたなと思う。
話や考え方を基準にして格好良いと思いがちな私の場合は、格好良いと尊敬がものすごくかぶるのか、という気づき。逆に、感心ってのは尊敬に似た感情だから、それがないと格好良いと思わない、ということもあるのか。トートロジー。
まあ、もうちょっとラフに使う時もある。
例:マクラーレンのカラーリング、メタリックでかっこいいよね。


感心することと格好良いと思うことと惚れることがごちゃ混ぜになっている気がするが、それぞれ後者が前者の集積の結果ということで整理しておきたい。

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