June 28, 2009

いい年のとり方が顔に出るということ

BSで宮本武蔵シリーズがやっていて、ちらっと見かける。
若かりし頃の高倉健を見つけるも、高倉健であるかどうか確信が持てないほどに若い。そうして、高倉健はいい年のとり方をしたのだなと思う。

いい年のとり方をした人というのは、顔に出る、らしい。
まあ、顔を見ていい顔をしているから、つまりそこに結果があるから、いい年のとり方をしたね、といっているのかもしれない。多分そうだろう。
い い年のとり方をした、という場合のそう言われる人は、大抵50代とかそれ以上とかの年配の方で、世の中の半分くらいの人はその人より年下なのだからその人 の生き方を逐一観察できたわけでもなく、そもそも年のとり方つまり生き方をどうこう言えるほど他人を逐一観察するなんていう人はそんなにいないのだし、も しいたとしたら好きだから観察しているので文句なしに「いい年のとり方をしている」と言うのだろうし、とまあこんな感じで絡み合う因果関係を絡み合ったま まに眺めては、もう少しかわいく物事を考えたい、と思ったりもしなくもない。いや、しない。

高倉健は、読中の、沢木耕太郎「バーボン・ストリート」に出てくる。粋な出方だと思う。沢木氏の演出。詳しくは読んでみるとよろしいかと。

私は高校生の時分から、高倉健が格好良いと思っていて、何かで好きなタイプを書かなければならないときは大体、高倉健かハリソン・フォードと書いていた。いや、結構本気で書いていた。
高倉健の何がいいって、顔に甘さのないところだ。渡哲也氏などは甘い。甘いおじさまである。おじさまには興味がないのである。

ただ、高倉健のファンというわけではない。映画は「鉄道員」くらいのものだし、CMで「自分、不器用ですから」って言ってるな、くらいのもので。キリンラガーでも飲もうかなと、まあ思わなくもない、みたいな感じで。
でも見ればやっぱり、格好良いなあ、と思う。


で、若い高倉健よりは断然今の高倉健なのである。
同じく、若いハリソン・フォードよりは今のハリソン・フォードなのである。
年 をとったほうが渋みが増し、よい顔になる、というのはやっぱり、いい生き方をしてるんじゃないかしら、と思う。数々の出来事や悩みを咀嚼していい方向に自 分のものにしてきたのではないか、と。いいとか悪いとかは一概には言えないし、時間的にも幅のある話なのでやはり一概には言えないのだけど、いい顔をして いる、というその結果を指摘することはできるし、それが徴表だと言ってもいいと思うのだ。
つまり何かを失って、何かを身につけていく過程で、未熟 さを引きずったり、自分自身に納得のいかないものを諦めて飲み込んだり、何かいろいろとあるんだと思うのだけど、それが結果として顔に出るというのは、あ りそうな気がするのである。優しい気持ちでいれば顔が優しくなるように。

という雑感。

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