June 28, 2009

春樹を出でて春樹に向かう心理状況

村上春樹を読んだといえるほど読んではいなくて。好きとか嫌いとか言うほどのこともなくて。それで、以下の質問とその答えを興味深く読んだ。

はてな:作家の村上春樹の良さがわかりません、教えてください。

こ ういうのを語り合うというのは一見無粋だとか、邪道だとか、思う人もあるのかもしれない。ちょっと攻略本を見るっぽい感じとかある気もするし。でも私なん かはその辺にこだわりもないので、なるほど、そんな楽しみ方が、とか、そうかそういうところが魅力なわけだね、なんて嬉しくなったりする。
少しこれから読むのが楽しみになってきた。

ノ ルウェイとか風の歌とかスプートニクとか羊をめぐったりとか中国行きとか、結構実は読んだ記憶はあるけど未熟すぎてわからなかったはずだし、更に言えば内 容を覚えていないので再読しなければならないと思っている(まあ大概の本はそうなのだけど)。しなければならないというよりは、したいが正しいな。
大学に入って付き合った男の子が春樹が好きで、なんだか勧められて何冊か貸してもらったはいいがさっぱり良さがわからない、という経験は、した。それを某氏に言ったら更に5冊ほど貸してくれた。
そんな親切な人々によってかどうか、今は好んで読もうと思う。


ちゃんと最近読んだのは、「カンガルー日和」「パン屋再襲撃」「東京奇譚集」「夢で会いましょう」あたりだな、と思ったところで、



全部短編!

とはたと気づく。

私は根気がないので、短編集が好きだ。
最近とみに持久力がなくて、その傾向が強まっている。ねじまき鳥にとりかかったりする気力がない。暗夜行路が積読になってるのもそのせいだ。東野圭吾の「手紙」もそのせいな気がする。まああれは重いからっていうのもある。

短編のキレというか、短くまとまってる感じもすきなのだと思う。
いろいろとだらだらと書いてあると、冗長にすぎる、とつぶやき本を閉じる。本ならまだいいが、挨拶なんかだと閉じるわけにもいかず、つぶやいてその人に念を送る、ということになる云々、というのはまた別の話。


長くても読みやすいやさしいのは好んで読む。江國香織とかまさにそれだ。文字と感覚の距離が短いというか、すぐピンと来るというのがいい。目に入ったのとほとんど同時にわかる、という明快さが楽々なのである。

余 談になるが、その点、法律書ときたら。古い権威のものであればあるほど、解読した時の喜びが大きいという仕様になっている。多分。最近の本でも何やら難し い言葉が出てくる。隔靴掻痒、読めなかった。(かっかそうよう。かゆい所に手が届かない様。)これは法律とは全く別のところで難しかった例なので適当では ない。
古い優れた本ほど、ミニマム!っていう感じなのだ。つまり最小限の説明でまとめ上げている。これは単に読者の力量が問題で読むのが難しいの だけど、そのまとめ方は素敵だったりする。格好いいから、好きではある。けどラフな気持ちで手にとると、数秒後に閉じる流れに、なる。母なる自然の法則に 従ってそうなる。そういうものだ。


こう書いてくると、いかに自分が怠け者かというのがわかる。楽ばかりしようとしている。
でも、開き直る。好きな本を好きなときに読むのが、一番いい。そういうときこそ吸い込まれるものだという持論。何でも旬というものがある。


そんなこんなで1Q84を読もうかなと思う次第。

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