June 28, 2009

甘やかした

何か書くことがあっただろうか。

私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。思いあたるようなものは何にもなかった。

という「こころ」の言い回しはいつも、エントリの作成画面に向かうと浮かぶ、もはや反射のような、まあそんな感じだ。


書 きたい時に書くというのが一番いい、と信じて疑わない今日この頃だが、書きたいのに書くことが見当たらない、どこを探しても、いやあったはず、ここに置い といたんだけど、おっかしいなあ、まあいいや、携帯くらいなくても死なないでしょ、と出かけるみたいな気分で書き始めてしまった、いつだって見切り発車で ある。


見切り発車は得意だ。得意であってもうまくいくわけではない。見切るのが早いというだけで、見切った結果がついてくるわけ ではない。ここでも自身の根気の無さがうかがい知れる一つのエピソード、短編好きが思い起こされるところではある。根気ないなあとわかったのは結構最近 で、というか、年々根気が失われていっている。根気は婚期に通ずる。いや通じない。

長編を読むのが億劫になったというのもその一つだし、見切り発車もそれだ。
論 文試験の記述の際も、ろくに答案構成をしないで書き始めてしまう癖というのが学部の頃からあって、学部の頃というのはそれですんなり単位がとれてしまって いたし(相対的にまわりが勉強していなかったため)、院でもなんとかなってしまった(しかし惨憺たる成績)。それで、答案構成に時間をかけるよりはある程 度固めたらあとは書きながら考えればいいやなんて思ってしまっているのである。まあ書くのが遅いから、構成に時間をかけていられないってのは一応ある。で も、多分に根気の問題がある。

ブログのエントリも、何書こうかなんて全然考えてない。全然。なんだかワードが一個転がって、書き始めだけ 浮かんだらあとは筆の向くまま気の向くままで、まあそんなことは読んでいればわかる。ちゃんと構成して書けないのである。そういう性格というか、自分の甘 やかしがこういう感じで発露。書くことをずいぶん考えてから書いたんだろうなという文章に出会うと、頭が下がる。そうかそれで、創作とか超不得手なのか。 ああいうのは構成が必要だから(多分)。
で、タイトルは、書いたものをざっと読み返して適当につけている。


甘やかしというのはここ最近の自分についての発見である。
根気がないのも、タイムマネジメントが壊滅的に下手なのも、見切り発車癖も、断る力のなさも、ブログの文章のクオリティを上げる努力のなさも、全てここ数年の甘やかしのせいである。
厳しくしなければならない。(あ、でも、ブログのクオリティは上がらないと思う、あしからず。)

外からのプレッシャーが無い今、内からのプレッシャーというかコントロールが必要で、そんなものは26にして気づくべきところではないのである。未熟すぎて力が出ない。顔もふやけるわけだ。
最 近はあまり無いけど、たまに鬱鬱とするとき、決まってスキルの無さと一緒に思い浮かぶのが意志薄弱であるという点。意志薄弱にして俗物、碌々として瓦に伍 する、とか思っている。そろそろ虎になるのではないか、いやむしろ今虎になっているのではないか、虎になれたらいいのに、しかしいも虫は嫌だな、いも虫も 漢詩を詠んだら格好いい、なんて思ったりする。
まああくまで、超ダウナーな時に思っているのであって、普段は、根気無いなあ、くらいである。

こうやって書き進めてくると、つまり風の向くままに旅をしていると、着地点が定まらずに探していく過程でどんどん文章が長くなっていくという傾向がみられる。もう眠い、というときは仕方がないので海上でも無茶して降りる。
そうして、この文章もまた、着地点を見つけられないままに、うまく見失ってくれただろうかと思いながら、筆を擱く。

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