June 28, 2009

ロゴスとデジタル

弁解は止した。
男らしくないからである。


最近、ヨハネの福音書の最初の言葉、
「初めに、ことばがあった。ことばは神とともにあった。ことばは神であった。」
という言葉がなんだかひっかかっている。
このあとに続く文章を読めばわかるのだけど、ここでいう「ことば」とは「イエス・キリスト」を指していると解されている。なぜ筆者はイエス・キリストを「ことば」と表現したのか。(ギリシア語で「ロゴス」)
それは人間に真理を述べ伝える「ことば」としての存在を意味している、とか言われていると思うのだけど。
なんだかまだ悟りきれない、含蓄があるような気がして。
「ロゴス」の意味は、「言葉」「論理」「真理」の意とのこと(wikipedia)。
そして、訳者はその中で「ことば」という意味を選んだ。なぜか。

頭では一応つながるのだけど、まだ腹に落ちていない。もっと「ことば」ということについて考察を深めるべきなのかもしれない。私が思っている以上に、「ことば」というのは重大なものなのかもしれない。


あと、2進法のことを考えていて。
あ れって、0と1じゃなくてなんだか違う記号でやった方がいいんじゃなかろうか。ЖとЭとか。いやこれはロシア語の文字だけれども。0と1でやると、なんか わかりにくい。2があるじゃんとか思ってしまう。考え方としてはそもそも、2進法ってのは二個しか記号を使わなくて済むものなので、別に10進法の記号を 使わなくたって、というか、本来その記号ではなかったはずなのである。まあ、でも今2進法は0と1で統一されてるから仕方ないんだけど。16進法だってそ うだ。10進法の表記方法に則っているからすべてがFになっちゃったりして、何Fて、っていうミステリアスな感じになっちゃったりするのだ。
そもそも2進法とか16進法とかいう言葉だって10進法基準じゃないか。デジタルって呼べばいいんだ。
と、思ったり思わなかったり。
というのも私はn進法の類を習った当時、よくこんがらがっていた。数学は得意な方じゃなかったのだ。


今日は
Muno no hito/little tempo

スチールドラムにほころぶ。

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