June 28, 2009

生理的なんとかも後天的なのではという話など

気が向いて、その隣のものを手に取る、っていうことはある。よくある。良かれ悪しかれ。

それで、前回の
Podcast MEGASTAR-2 cosmos 『暗やみの色』
の「#5 谷川俊太郎×海部宣男 「137億光年の孤独」対談」を寝る時に聞いていたらなんだか面白かったという話。内容もまあまあ面白いんだけど、言葉の選び方がなんだかいいなあと思うことしばしばで、ついつい聞き入ってしまった。結構長いんだけどつい。ゆるゆる。


歯医者の帰りに、ものすごく早く歩く毛虫を見た。
毛虫を見ると嫌悪感を覚えるものなのだけど、その時ばかりはあまりに彼(または彼女)が急いでいたので、嫌悪感など覚えるどころか少しの尊敬すらした。
な ぜ彼彼女はあんなに急いでいたんだろう、とその後歩いていて考えていた。踏まれないように。暑かったから。待ち合わせに遅れそうだったから。タイムを計っ ていたから。私に対する挑戦。まあいろいろ考えられはするのだけど、もしかすると理由はないのかもしれない。気分的なものなのかもしれない。


派生して、毛虫というのはなんであんな容姿なのかしら、と考える。
あまり可愛らしくはない。と思う。可愛らしければもしかすると、生存率は上がるのに。他の動物の赤ちゃんは大概可愛いのに、虫はあまりに可愛くない。

と、可愛くないという判断基準はもしかすると、生理的に云々言っているけれども、須らく後天的なものなのかもしれない、と思う。
小さい頃って、バッタとかこおろぎとか結構平気だし、蝉とかカブトムシとかの裏側も別になんとも思っていなかった気がするのである。2歳くらいのとき蜘蛛はこわかった記憶があるけれど、それすらも後天的なものなんじゃないかしら。
み んなが、嫌だって言っているものを、ああこれは嫌なものなんだ、って認識するように刷り込まれて嫌だって思っているのではないか、なんて思うのである。逆 に、可愛いっていうのもそうで、子猫とか可愛いって最初は思っていなかったんじゃないかと思うのである。そういう価値観の社会だったら、つまり猫なんて毛 むくじゃらで変な声で鳴くし悪さをするし、嫌なものだ、っていう価値観の社会だったら、子猫=嫌なものっていう認識になるんじゃなかろうか。
まあ、極論ではある。
あと、この嫌悪とかって生物としての生命の危険とかそういうのにも関係している気がする。蜘蛛や蛇が嫌だとか。


で、これをセンスとかの話まで持っていける気がするのである。
こういうものはセンスがいい、洗練されている、という価値観がまず社会にあって、その延長線上にあるものを斬新だ、先鋭的だ、センスフルだ、みたいな感じで言っているのじゃないだろうか。
前に糸井氏が、センスも受け継がせることが出来るみたいな話を書いていたけど、そうだろうな、と私も思う。
な んだって模倣にはじまるしつまりセンスもそうだと思うし、新しい「センスのいいもの」というのもその土台の上での微妙な進化だと思うのである。強いて言う ならば、センスがいいというのは勘がいいということで、その土台をちゃんと理解できてそれを微妙に進化させていくことができるっていうことなのかもしれな いと思う。


日馬富士が初優勝である。素晴らしかった。
彼はね、センスがいい。

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