June 28, 2009

useful days

熊本にいる友人からメールがあった。
まあ、最近どうよ的なものだったけれど、私はもはや「熊本」という字を見ると「くまぽん」としか読めなくなってしまっているので、就職どうするのみたいな話をしながら「くまぽん・・・」と思っていたわけだが。(参考:不思議の国のニポン3/3
いくらか友人の今後について聞いて、そっちはどうよと振られたけど、私は語るべき何をももっていなかったため、「ぼちぼちですよ」と返し、それで全くすんなりといった。


私たちが使う言葉の中には、こう、困った時はこれを言っとけみたいな便利な言葉というのがあって。
「ぼちぼち」というのは全くその部類に入ると思う。だいたい、なんだ「ぼちぼち」って、といつも思う。なんだかいろいろあるけど、まあいちいち言うほどのこともなく、ひっくるめて、概ね問題なく、やってますよ、という意味だろうか。多分。

類似する語で、「普通に」というのもある。これは別に困ってない時でも使うけど、大分便利である。これはすごくスムーズに口に出てくる言葉なのだけど、大学の先生には「普通じゃないってどんなだ」とよく言われていた、皆。

これらは、それ以上立ち入って聞くことを少し相手に遠慮させてしまう効用をもっている。けどまあ聞かれても特に問題ない場合がほとんどである。単に特に話すべきこともないから言っているだけだ。


そ してこれは友人のブログでも前に指摘があったけれど、「個人的な意見」。これは、個人的な見解で、他のとこに責任ないからね、みたいな意味だろうけれど、 これをつけると大きなことを言っても一個人の単なる思いの表明、つまりは個人の思想・表現の自由に結びつき、それは私の価値観だから、ということで他人に 手出しのできない領域へ引き込むことができるのではないか。ないか。


あと、「アートだね」。これはよく使ってしまう。なんか個性 的で、なんか新しくて、いいところもあるんだけど新しいがために言葉で表現しきれなくて、というか言葉で表現できちゃうとなんか違う気もして、とりあえず なにか言わなきゃ、という時に使う。少し皮肉を言うときにも使うけど。
たとえば永い人の字があまりにひょろひょろの味のある字で、私はきれいとは 言えないその字をしかしなんだか気に入ってしまって、「アートですね!」と言って、院時代の名札の裏に書いてもらったことがある。それで、ロッカーの上に 忘れた名札が永い人のものだと思われてしまったこともある。(院では、双方向授業すなわちソクラテスメソッド、つまり教師と生徒がやりとりをしながら授業 を進めるということになっていて、名前がわからないと不便だということで、学生は皆名札を机の前に出すことが義務付けられていた)

江國香織の「ホテルカクタス」で、帽子の部屋に数字の2が行ったとき、「文学的ですね」と言い、帽子が「わかるかね」みたいな受け答えをする場面があるのだけど、そのとき2にとってはよくわからないものはみな「文学的」なのだ、という解説があって。これと似ている。
あとは「新しいね」「個性的だね」「とんがってるね」あたりも似たような感じだろうか。


今日は
ROCK AND ROLL HIGH SCHOOL/pre-school

これもなつい。皆解散しちゃって。

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