June 28, 2009

日時の不可思議と本屋の不平等ととシングルタスクの利点

・日時について
今、何年の何月何日何時何分何秒か、ということについて。
これが即座に答えられる人というのはもしかするといるのかもしれないけれど、大概答えられないと思う。

何時何分何秒とまでいわずとも、何月何日だったか、果ては何年だったかすら、いまいち覚えていないのが自分で。

そんな認識の中、要件事実論の本を読んでいて、ふと、思ったのだった。その本にはこう書かれていた。
「顕著な事実は、立証の必要がない(民訴179条)。要件事実の学習において、しばしば登場するのは、確定期限の到来や経過である。『7月14日が到来した』ということは、世人の皆が知っていることであって、証明する必要がない。」
用語法は置いておいて、つまり今日が何月何日であるかというのは、世人の皆が知っている事実なんだなあということ。いや、そうなのだけど。
何らかの問い合わせを必要とする自らを省みて、それってすごいなとなんか思ったのであった。
私は大抵携帯を見るけれども、携帯が壊れたら。誰かに聞く。その人もなんか怪しいとしたら、117(だっけ)に電話する、とかいろいろ手段はあると思うんだけど、コンピュータや世界中の時計が無効になったら。

た ぶん今日が何月何日かというのは、ずっとちゃんと見ている人がいないと、あっというまにわからなくなってしまうのじゃないかという恐怖。確かあの日が何日 でそれから何回眠ったから多分何日、くらいはわかる(でもこれも怪しい。昨日の晩御飯と一昨日の晩御飯とか間違うし)。日時もまた、壮大な全世界を巻き込 んだフィクションであって、それに逆らう者がいないという興味深いもの。なんてことを思ったりした。

まあ、太陽の軌道とか星の位置なんかで割り出すことはできるのかもしれないんだけどね。

こういうことを考えていると、要件事実論は頭に入らないのさ。


・本屋日和
次。
先日、沖縄に堂々オープンしたジュンク堂書店へ行った。三階建てでフロアを存分に使っていて、椅子もちゃんとあって、ああジュンク堂だわここ、という感じ。
法律の分野も大分充実していて、素晴らしい。法律書の本棚を見て回って悩むっていうのを久々にした。悩める喜びとでも言おうか。

本 をネットで注文できるとはいえ、本というのは中をパラパラ見て買うものだし、大体どんな本があるのかを知らなければ買いようが無いわけで、実際に本を揃え て提示するというのはもう必須だと思うわけである。AIDMAなら最初のAttentionである。認知、理解、行動の認知。これがもう決定的。
と、常々思っていて、ようやくそんな不満が満たされつつあるわけである。

満たされた、のではなく、満たされつつある、というのは、件の新刊がどこにもないということ。
店員さんたちも忙しそうだったから聞かないで結局「海辺のカフカ」を買ったけれど(まあこれもいずれ読もうと思ってたからいいんだけど)、品薄なのか僻地だからなのか、ない。当然平積みかと思っていたのに無い。
そうして更に数日後、違う書店へ行ったところ、ここにも無い。春樹棚はあるのだけど、新刊はない。そういうもんなんだな、という軽い失望。


・Come back to me.
最近は音楽を聴いている。
結構歌詞を聴いていないことが多い。
私は、基本的に一つのことしかできない。シングルタスクである。これは大分不利で、人の話を聞いていないという場合には、聞いていないのではなくていっぺんに二つ以上のことをしていて聞けていないのである。そういう性質だと思っていただければ。
妹曰く、「女の風上にも置けんな」。

そんなわけで、曲に集中しているから歌詞の意味とか味わってないのである。意識すれば(つまり曲をあんまり聴かずに詩にばかり注意を向ければ)、聞ける。
私 はm-floの「Come back to me」という曲(アルバム「Planet Shining」に入っている)が結構好きだったのだけど(某tube参照)、昨日意識的に詩を聞いたら、全然、全然好きじゃないことに気付いたというこ と。僕はそらまめのスープなんか、全然好きじゃない。全然好きじゃないんだよ。みたいな感じである。
でも音は好きだなあと思って。多分、未確認だけど、m-floの曲って大部分がそういう曲かもしれない。
歌詞を聴かずにおれることの良さを見出したのだった。

No comments:

Post a Comment