June 28, 2009

カフェ風とか手紙とか

友人宅でランチ。カフェ風。というかカフェ。いずれカフェ。とても素敵だった。
これでもかというほど食べて飲んでしまった気がする。ごちそうさまでした。お母様によろしくお伝えください。

集まったのは4人で、いずれも高校の友人達だった。先日結婚式を挙げた子も。先日入籍した子も。というわけで半数が既婚者という集まりだった。
なんだかいろいろ話したけれど、今をときめく医者候補二人の話が中心で、なんかこう、前線、という感じがした。現場、というか。ナースは女医には厳しいとかね。どこの病院がどうとかね。今年の国試がどうとかね。土日はあるのでしょうか。
既婚者二人は県外へ行ってしまうけど、意外と会えるさという気もしている。

また最近いろいろ考える。考えない、と思っても考える。考えない。でも気づきたくはある。


あ る人に絵葉書を書き送ろうとして、何箇所かありそうなところを回ったのに、全然なくて、というかまあ回ったところが悪かったのかもしれないが、沖縄の人は 絵葉書を書き送らないのかもしれない、と思った。そんな気がする。観光客が行きそうなところに行けばよかったのだ多分。でも文具とか売ってたら少しくらい ありそうなものではないか。レターセットすら僅少だった。

高校時代には書きすぎたけれど、手紙はいい。手書きというのがいい。その人の字がいかに読みにくくても、それすら愛らしく見えてしまう。
勢いに任せて筆が進んでいってしまい、読み返してちょっと違ったかなと思っても書き直すのが面倒でまあいいかといって出してしまうというところもいい。出したが最後、手元にコピーなんて残さないから、何書いたか忘れちゃうのもいい。

手 「紙」だというのもいい。紙好きは妹の方だけど、私もまあまあ紙は好きだ。妹は和紙が嫌いだけど私は和紙も好きである。紙ってのは偉大な発明だと思う。封 筒の厚みだとかも。何かを「包む」というのは面白い行為だよなと思う。まだあんまり考えてないけど、なかなかにわくわくするものだと思う。

あと、郵送にしろ手渡しにしろ、時間差がいい。送って着くまでに時間がかかるところ。もう着いたかしら、まだかしら。と若い頃は思いをめぐらせたものである。隔地者間の法律行為ではそこが問題になっちゃったりもするのだけど(原則、到達主義)。

「車屋さん」も手紙。内緒で渡して内緒の返事が内緒で来るようにできゃせんかいな。

そんなわけで、もっと手紙を書く世の中になったら良いと思う。忌憚なく。

あ、そういえば、手紙は中国語だとトイレットペーパーのことなのだと、カフェ風の友人宅のトイレに貼ってあった。手紙は「信」だとのこと。賢くなるなあ、あのカフェ。
手紙が「信」ていうのはまた興味深い話である。漢和辞典でも読もうかしら。

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