June 28, 2009

試験

東京へ行っていたかのようなメモエントリがあった。
東京へ行っていた。
法律の国家試験を受けに行っていたのだった。


試験について書くのは避けてきた。その試験は今まで受けたどの試験よりもハードで、アタックしてもふられることが確実な恋のような、その試験について考えるだけで自分がコンプレックスの塊になるような、試験だった。

実際、私は自分を受け入れてくれない人や場所を避けてきたきらいがある。もっと楽しい場所があることを知っていたし、わざわざ楽しくない場所にチャレンジしても時間が無駄になるかもしれないと思っていた。諦めがよかった。
そういう姿勢がいいのか悪いのかはわからないけれど、はじめて、避けるに避けられない、いや、避けようと思えば避けられるけれど、避けることに後ろ髪ひかれるものがそれだったのだった。

法律が好きなのは本当だった。それがなぜ試験となると嫌いになるのかよくわからなかった。上述のような、根本的な、自分の問題だということに気づいたのは最近だ。
受け入れてもらえないものに果敢に攻めいるということをしなかったこと。


このコンプレックスめいたものは3年間の院生活で醸成されたものだと思う。はっきりいって、ついていけていなかった。表面的には理解していたのかもしれないし単位はとっていたけど、場当たり的で、底の底の方では全然ついていってなかった。
実 務家になるという覚悟、なりたいという気持ち、法律を使い倒してやるのだという姿勢、試験を攻略してやるのだという気概、そういったものを持てずにいた。 周りが持っているそれとの温度差を感じていたし、それに取り残された感じがしていた。それは知識量や勉強量等々、つまり実力に、当然のように影響した。 バッドなスパイラルだった。


試験期間は5日間だった。1日目がマークシート式、2日目が論述式、3日目が休みで、4日目と5日目が論述式。試験時間はトータルで22.5時間。それでも時間は基本的に足りない。
眠くなったり少しでもぼんやりするような時間は、実際ない。問題は、法務省のWebサイトに掲載されているけれどまあまあ長い。各問、平均A4で4,5枚くらいだろうか。

体 力的にもシビアな試験で、長時間の筆記が肩や腕や手をくたくたにしてしまう。座りっぱなしなので座布団とか膝かけを持参している人も多い。人目をはばから ずバンテリンを首から肩に塗りたくる女子、とか、でこぼこフレンズ(NHK教育のちょっとしたアニメコーナー。お子さんのものかと思われる)の毛布を持参 する男性、とか、冷えピタを額に貼って闊歩する女子、とか、普段あまり見られない光景が見られる。メガネ率は異常に高いが、全然心踊らない。これはメガネ 好きではなかったのだということが改めて証明された出来事だった。残念なことだ。

なりふり構わない、ということの清々しさとか、そうは 言ってもちゃんとお洒落している人々とか(つまりGUCCIのバッグにたくさん本を詰め込んでGUCCIの靴でカツカツと登場するきれいな女の人とか、毎 日変わるシュシュが可愛い大きなカバンを持った女の子とか)もいて、そんないろんな彼らとは、敵同士のような、仲間同士のような。4日目、つまり最終日前 日の試験終了後はなんだか晴れ晴れとしていた。一週間で一番素敵なのは金曜日なのと同じだ。

ある程度の緊張感と敵愾心と不安が渦巻いているような空気の中で、顔見知りや友人に出会って、お互いの直面しているものには触れないままの、なんだか宙に浮いたようなやりとり。久々すぎるのだ。学部の卒業以来会ってないとか、そんな感じだ。にしても久々。

今は、無事全て受けおおせた(白紙答案でなしに)ということが満足であり、これは直前の体調を考えると奇跡に近いと思う。感動的にそう思うのではなく、事実としてそう思う。


結局、絶対的に勉強量が足りないのはわかっていて受けた。背中を押したのはスティーブ・ジョブズの
"If today were the last day of my life,would I want to do what I am about to do today?"
だった。そういわれた時、なんだか受けたかったし、勉強したかったのだ。ふられることがわかっていても、I was still in loveだった。

試験についてちゃんと向き合えずにいたのを、向き合えた今、総括すべきだと思った。

試験はただそこにあって、法律の知識と論理的思考力を問うていた。意地悪でも取って食われるわけでもなんでもなかった。怖くもずるくもなかった。
試験を怖がらなくなった、もっといえば、試験に落ちること、拒否されることを怖がらなくなった時、コンプレックスは消えていた。そこに試験があり、受験資格があったからそれを受けただけだ。

少なくとも、2年前に受けた時より多くのことがわかっている。と思う。
受けてよかったと思う。来年また受けたいと思えた。


友人の言に、「同じ負けるのでも負け方があると思う」というのがある。
至言だと思う。
負け試合を意気揚々と、とはブログ「椿ひらいて墓がある」の言葉だけれど。清々しくてよしとする。
勿論次は勝ちに行くけれども。
まあ人生総じて見れば負け試合なのかもしれぬ。

No comments:

Post a Comment