June 27, 2009

atmosphere

最近ひたすら眠れない。何をかき分けても辿りつかない。
眠れないまま暗い中でぼんやりしたり、思いだしたり、シミュレートしたり、そうやって3時を回る。
くるりの「LV30」という曲がついと浮かぶ。「今何時だろう何時代だろう眠れないんだろう」。実際今何時なのか、何時代なのか、わかったものではない。

暗い中でいくら目をこらしたって世界は白黒にしか見えず、窓から見えるうす赤い空のみが色らしい色をしている、と思う。色つきの世界と隔てられている感じがする。それで、思いだそうとしてしまう。

で、ブログを書いてしまったりもする。

頑張らなきゃと思っているのを気取られるのは少し格好悪いと思うのだが、周りにはばればれらしく、あまり長女ぶるな、とは今日の友人の言。ゆっくり焦るなも割と言われる、けど私自身はこのブログの名前に見合うようには、初心のようには加速しようとしていない気がする。


森 美術館でのアネット・メサジェの展示は体のいろいろな部分をアップで撮った写真をざくざく貼り付けた展示や、それらをぬいぐるみでモディファイしたような 展示が結構あった気がした。それはその作者の視点を何らかの形で抽象化というか、芸術の体をとったというか、そういうものだったのだと思う。ああいう風に 断片化すると気持ちのいいものではないが、その視点は勿論私も持っているものだし、神は細部に宿るわけで。
私は人の手を見たりするのが好きなのだ が、手の持つ雰囲気というのがあって、それはブレイクダウンすれば指の細さだとか、骨の形だとか、質感だとか理由は見つけられるのだと思うが、「理由はあ る、けれど本質ではない」という友人の言葉がここでも当てはまるのかもしれない、と思う。その手の持つ雰囲気、というのは、説明しがたいいくつもの理由の 絶妙なバランスを含めた総体、ということなのだろう。事象全般において、それは当てはまる気もする。

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