June 27, 2009

挑戦と共有への情熱について

友人の掲示板にやたらと長くわかりにくい文章を書いてしまって後悔。
そこでは「在る」とは何かの話をしていて、端的にいうと、全部主観、という主張。「在る」と思えば「在る」、みたいな。
これって結局単なる諦めで。ただ、今時点で一番正確に言うならそう言うしかないと思う。
しかし人間の能力的にどう考えても把握できない世界を把握しようとする人間の挑戦や情熱は好きだ。


たとえば観測という話。
これは数値で世界をとらえようとする試みで、おそらくはその単位の設定が難しいのだと思う。
その一番精度の高い、つまり一番小さい単位を見つけるのがポイントなのかもしれない。ほんとに挑戦しようと思ったら。

もうひとつは、共通のものさしをつくる、という試み。これは便益のためだ。ある王の胸から指先までの長さが1メートル、なんていうアバウトなやつはそういうこと。(今のメートルはもう少し厳密ですが用途はまあ同じこと)
ある価値を共有する、ということ。
人と人が、同じものを見て、ねえ同じものが見えてるよね、という確認をしたいがために、文化は発達してきたのだと思う。
共有するということへの情熱。
言語なんかその最たるものだし、もう少し精度が落ちると絵や音楽もそうだと思う。
そして結局、わかりあえない、と思うのだ。

で、先の単位への挑戦にしたって、結局、測り知れない、と思うのだ。多分。
しかしチャレンジは人間の幸福だと思う。

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