June 27, 2009

旅の後半

京都の朝。京都タワーはそのシンプルな形に朝がよく似合って清々しい。前回夜行バス明けに見た京都タワーを思い出す。

そんな京都タワーのほとりで友人の友人とお会いする。
見 たようなカフェに入って妙なかけひきめいたこともあるが、結局はエチレンガスやSN比の話に収束している。学会帰りとのこと。文系学生にはなじみの薄い会 である。興味深く拝聴。こんな女の子珍しいとか言われるが、本当はプレゼンまで見たかったくらいだ。エチレンには親近感がある。大概のビニールはCとHで できている、らしい。ガラスはSiO2。
理系の人は他にも友人にいるけど、皆やってることがそれぞれ違っていて、専門性というのはこういうことか、と思う。文系科目に比べて切り分けがくっきりしている。気がする。


何を思ったか博多へ行くことにしていて、新幹線で博多へ。京都で買った土産物や本が重い。
新幹線は西へひた走る。西へ西へ。
山の中にいくつかの家や集落を見る。1,2秒で切り替わる生活たち。のどかな農村といった体の風景がほとんどで、日本のほとんどの部分はこういう土地なんだと実感する。農村というのは私の人生の中でほとんど接点がない。中国の秘境の渓谷や北欧の風車と同じくらい遠い。

博多に着く。院時代の友人と再会。
太宰府はいい場所だった。なぜか京都の小物を売る店や太宰府と関係ない焼き栗を売る店。突っ込みどころが多いのはどの観光地でも同じだ。
遅めの昼食を取りにうどんやへ入る。テレビではソフトバンクと楽天のオープン戦をやっていて、野球中継の音というのはこんなにも落ち着く、と思う。うどんを打っていた主人が箱のティッシュを持ってきてくれる。親戚の家のようだ。人々に京都のような警戒感はない。

太宰府には中学の修学旅行で来たことがあった。梅が枝餅と甘酒を飲んだ記憶とかその場所とかに再会。
御籤を3つも引く。わかったのは、縁談がいずれも芳しくないということであった。
白の飛梅はもう散っていた。紅の方は少し残っている。
包丁塚。筆塚。牛の像が多い。鹿も麒麟もうそもいる。

焼きたての梅が枝餅は美味しい。今回の旅二回目の甘酒。
気づけば餅類ばかり食べている。茶団子、八つ橋、梅が枝餅。
日本人は餅が好きだと思う。最近では餡子に飽き足らずチョコすら包む。


天神に戻って散策。
天神は複合型の大きな商業ビルが多いのにほぼすべてがお洒落感漂う。巨大な地下街があって、それらも東京とは違い洒落ている。天井は黒いし照明もちゃんとしている。歩いている人もテイストが違う。
緑を見に行きましょう、という友人の提案で、緑を売っている店に行く。苔玉とか売っている。そこはペットも取り扱っていて、ものすごくかわいい猫とかもいる。
で、ウーパールーパーを見ることができた。存在はうっすら知っていて、いつかお目にかかりたいと思っていたが、ついに会えた。あれはすごい。流行るのもわかる。
生理的に受け付けない、と、かわいい、の挟間に漂っている生物。
CD屋でビル・エヴァンスを買う。朝ラジオで聞いて聞きたくなったのだった。

とてもいいところだなと思う。友人がここにいたがる理由もわかった。
その地で育つ、というのは本当に基礎なんだなと思う。


新幹線で東京まで帰るのは時間がかかって仕方がないので、飛行機にする。
飛行機は停車駅がないから地元感は希薄だけど、景色が圧倒的に美しい。
夜の便で博多を飛び立つ。沖縄から東京へのフライトとはコースが違うし、高度も違うのかもしれないが、見える景色が違う。
銀河みたいにぼんやり光が流れている。目を凝らすと明石大橋が見える。大阪湾などは人々の点す灯りで陸の形がくっきり見える。京都はどこだろうと思う。


東京に着く。見慣れた羽田空港。モノレール。ビルの赤い光。光る海水。浮いた道路。
それで、東京を好きだなと思う。東京の臨海の部分を。郷愁にも似て。そういったことを感じる感覚が発達してきている気がする。いいことなのかはわからないけど。


いい旅だった。
この旅をエスコートしてくれた各位に感謝したい。

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