June 27, 2009

平成十九年度末に思うこと

仕事には締切というのがあって、これがあるために直前はかなりタイトになるのだが、しかしこれがないとすごく嫌な気がする、と思う。
とか、仕事をしてみての自分についての発見はいくつかある。


昨日、先輩が退職した。やはりさびしい。その人の席にその人がいないというのは。
やさしかったし、わからないことは割となんでも聞いていた。旧チームでも一緒だった。住む場所はむしろ近くなるらしいのだけど、でも一日のほぼすべてを会社ですごしていることを考えれば、やはり遠くなる。


チームの皆で送別会をした。
大いに飲み、会社で話さないことをたくさん話した。
一 緒の案件にはいないあるマネジャーの話をよく聞いていた気がする。今まで周りにいなかった感じの人だ。彼自身も30歳と十分若いのに、いまどきの若い人 は、という話をよくする。仮説をもって質問してくるので、その仮説に沿うような答えでないと多少不満なのだろうが、私は正直に答える。相手との関係を大切 にするほど、そうすることが誠実だと思う。
開示によると、私は彼にプライドが高いと思われている。それは私が何も諦めていないのではないかということとリンクしそうな気もする。

二次会では、きりんの話をしてしまう。

近い人はタクシーで帰り、私とマネジャーはファーストフードで始発を待つ。
お互い、ヒアリングしているように質問をする。理解できることもあるしできないこともある。経験を持ちだされるとそれは想像するしかないけど、そこは仮置きで進めるしかない。

古典について。辛いか辛くないかという切り口。影響を受けた人。動物がしゃべらないということ。キャリアについて。
新卒の人がこの会社でキャリアを積むことについての心配を語られる。

その心配にお礼を言った上で、今の状況をハッピーだと言っていた。本当にそうなのだろうと思う。のびのびやっている。


質の向上という課題はあるにせよ、今欲しいものはある環境にあると思う。仕事とか、居場所とか、一人の時間とか、好きな人やものとか。
それらがあるために入り込んでこれない何か、たとえば心愉しい雑事とか、旧交をあたためることであるとか、お洒落的な何かとか、平日をのんびり過ごすこととか、恋愛的な何かとかは、多分今時点プライオリティが低いのだろうと思う。
無論、それらがとても大切なときもあったしこれからそうなることもある。
そうして人生はカスタマイズされ続ける。


私 は少し前に、ポジティブでバイタリティあふれる若い事業家のような人たちに憧れたのだけど、まあ今もそういう人が好きではあるけど、自分という人間がそれ を最高位に位置づける性質ではないことも仕事をしたり本を読んだりしてわかってきていて、自分にとっての解がどういうものなのかをケースを学びつつ構築し ようと思っている。思っているだけだけど。


先週末に、加速しているのか、と聞かれた。このブログはそういう意図があったらしい、最初。
でも加速というよりは、もっと落ち着いた何かだなと最近は思う。
何かを放り込んでは練りこんでいくような作業。
加速という意味では、放り込んだり練ったりするスピードは増している気はする。
それらは環境に依存するところが大きいけど、感性や思考力としても。それは自分にとって充実だなと思う。

No comments:

Post a Comment