June 27, 2009

本を読むこと

眠い。眠いけどメモ。


本は読みたくなければ読んでもだめだということ。

ビジネス書を、あるいは英語教材を、あるいは法律の基本書を、読まなければ、と思うことは多々、本当に多々ある。ここ数年。
そうして読んだ本のうちはたしてどれだけが私の内に残ったであろうか。

そうやって費やした時間が無駄である。
というかこのことをわかるために費やしたにしては代償が高い。


幼少の頃どれだけ本をわくわくして読んだかを今一度思い出すべきである。
気 も進まないのに、読まなければと思って読んだ本など一冊もなかった。教科書も魅力的な知の箱だった。学期の最初に配布された道徳や国語の教科書の作品を次 の日には読了しているのは普通だったし、そのせいで国語の時間が多少つまらなくなるので、その癖を直そうとしたくらいだった。そのような覚えがある人も多 かろう。

母親が妹に本を読みなさいと言っていたことがあった。妹は私ほど本が好きではないようだった(紙は好きだったし今でも好きなようだ。私には理解しがたい情熱をもっている。)。
私もそのように妹たちに言ったことがある。
しかし、私のは読もうと努めて読んでいたわけではなく、好きで読んでいたら結果よいことが起こったというような結果論であって、たまたまなのだった。しかも、幼少の頃までという留保付で。
もし私が昔本を読みなさいと言われてしぶしぶ読んでいたら。
今春樹を手に取りはしなかったかもしれないし、賢治に心打たれることもなかったかもしれない。
とにかくすんなり本を手に取ることはしなかったかもしれない、と思う。


読書は義務ではない。
読書は喜びである。
心を熱くしたり、ほがらかにしたり、強めたり、透き通らせたりする、非常に文化的で魅惑的な行為である。

と正当化にもとれるこのような思いつきをメモしておこうと思ったのだった。

好きなときに好きなことをやる。
何を好きになるかは、ある程度マネジメントできるのかもしれないけど、そこと義務との兼ね合いはまた微妙なところがある。
大事なのは自分に素直になることだ、多分。

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