June 27, 2009

旧友、その友さらに友。

高校時代の友人が東京に来ているというので、有楽町で逢いましょう的な。
曰く、ブログを見てると元気なさそうなのに実際会うと元気そうだとのこと。
Exactly.よく言われるけどそんなにひどそうなのか。大丈夫です。

イタリアンにカフェにベトナム。なんだよペニンシュラかよ的な話もありつつ。頑張った感の評価。結婚式があったらしい。
ベトナムは人数が増えていて、関西オンステージで、テンションの違いと喋んなくてもいいポジショニングにまったりしてしまい、全く積極性に欠けるかたちになったけど、それもまあいいか的な。名刺ある分交換。先刻あらゆる面で友人には消極性をアピールしていた。


なんだか久々に知らない人たちに会ったので、というかすこし違う世界の人たちと会ったので、興味深かった。皆京大だった。そういえば。気を遣って、結局コアの話をしないのが大人なのだろうけど、それってば楽しくない。
沖縄の話を熱く語ってくれる京都の人がいたりもして、それってすごくありがたいというかその人の傍にいる沖縄人の人徳なのかしらとか。
な んだかそういう人って結構いて、いわゆる沖縄フリークというか。そういう人たちの気持ちってすごく嬉しいし、自分としても当事者というよりその目線で最近 は沖縄を見ようとしつつあるなと思う。客観的に見えていてそれでいて好きだと言ってくれるのがいい。沖縄人が沖縄を好きなのはある意味当然なのだ、自分が 自分をなんだかんだいって庇うように。

なんとかしなきゃいけない、問題を解決しなきゃいけない、沖縄を変えなきゃいけない、そんな議論はたくさん聞いてきた。変えるにはどうすればいいか、何が必要で今何をすべきなのか、そればかり話してきた。
でも実際、私は、沖縄の何を大切に思っているのだろうと思った。何を大切に思うから、変えなきゃいけないのか。

基地の用地になっている土地じゃない。経済発展でもない。反骨の風土でもない。
私は多分、あの人々の決して裕福ではないが満ち足りた生活、血の騒ぐような伝統文化、言わなくてもわかるような根底に流れる絆、みんなが当たり前に助け合えること、人生に対する鷹揚さ、広い海に臨んで世界を感じられる心、そんなものを大切に思っているんじゃないだろうか。

そういう出発点を分析することを怠っていた気がして、なんだか気付きを与えられた。
それを確認したうえで動かなければ、よかれと思ってしたことで、大切なものを失うことになる。


というわけで、通勤で通るいつもの道で小一時間立ち話してしまった。
皇居の黒々とした緑は実際魅力的だった。


賢い人はたくさんいるし、それぞれがいろんなことを考えてて、そういうのを共有できていないのはなんだか惜しくて、というかそれを吸収したくて、つまりもっといろんな人と話したいなと、そう思う。
京都でも思ったのだけど、少し話すだけでも頭のよさとか考えてることの深さとかって見せてもらえることがある。それはその人が黙ってて隠そうとすれば隠れてしまうものなんだけど。
大人になるとそんなことがある。学生くらい自己主張をした方がもっと日本は良くなると思う。
ああ勉強しよう。

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