June 27, 2009

優柔不断の謗りへ

そして気づけば四日が経っていて。
おお、「こころ」か、読んだ読んだ、と思ったりした。

何か書くことがあるかと、私は一応自分の胸の中を調べて見た。けれどもそこは案外に空虚であった。


そうそう、よく私は「どっちでもいい」と言ってしまう人間で、よくそれで怒られて、優柔不断だとなじられたりもするのだけど、糸井氏のコラム「食わず嫌いと、食ってみるか。」において擁護されていたので、そうそうそうなんだよ、と思ったりした。
以下引用。
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「どっちでもいい」ってのは、
無関心だとか思われているけれど、
それだって、
「どっちでもいい」っていう概念に対しての
食わず嫌いだと思うよ。
たいへんに愛情に満ちた「どっちでもいい」ってのは、
あるよ! 
神田のとんかつやに行くと、いつもそうなるよ。
ロースかつ丼にするか、ロースかつ定食にするか、
ほんとに決めかねるんだよ、いつもさ。
ほんとに「どっちでもいい」んだよ。
熱く、言えるよ、「どっちでも・いい!」んだよ。」
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以上引用


結構、どっちでもいいことは多くて、それ自体は悪いことじゃあないと思っている。何より、どちらでも、よい、というのは楽。心の持ちようとして楽。ストレスフリーに生きていこう。

ただ、相手方に選択の手間をまずは投げている、というのはひとつあるので(勿論相手の好きな方があるのならそうした方が最善だと思うからなのだが)、難しいところ。結局譲り合いになってぐだぐだになるというのはよくある。

それにつけても「どっちでもいい」と言うことが不当に評価を受けている気がする。逆に、「どっちかじゃなきゃだめ」と主張するのは果たして良い評価を受けているかというとどうなのか。
Me,first!って感じに映りはしないか。
そしてそれは日本においては角が立つと言うのではないか。
「草枕」読みたいな。

とりとめがない。

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