June 27, 2009

今日の収穫メモ:積極的逃避の疑いと諦念への疑い

たとえば社会人というのはこういったことが出来ないと思っていたとか、こんな状態にあるなんて考えられないとかいうことは口で言ってみることにすら。
何もかも現実ではないし何もかも現実ではある。何もかも日常ではないし日常ではある。
すべては定義の問題に帰着する、真なり。


何でも起こっているその最中ではその状態を評価しえない。
というのは共通認識。
情報の処理時間不足と現在進行であるゆえか。


端的に言うと、今小旅行というか旅行をしていて、それが思い立ったが吉日的ないつもの感じで行動に移された。
今の心境と一年ほど前の旅行とでは心境が違っていて、と説明をしていた。
そ れはたとえば試験からのネガティブというか厭世観みなぎる逃避とは違うという意味だったのだけど、今回のはこのまま部屋にいてはダメな気がして、飛び出し てしまった感があって、その原動力は何かのエネルギーだったとは思うのだけど、ある意味積極的な逃避で、むしろ積極的な逃避の方が重度の何かなのではない かとか思った。


青春が終わるって、諦めるときだって誰かが書いてたよ。
と言ったあとに続けて、もうすでに諦めてるけどね、と言ったときの、
本当に?という返しに思わず、その問いかけいいね。と感動した。
諦めている思っているけれど、本当は何も諦めていないのかもしれないという気づき。


誉め言葉を聞き流すのが度量だという森博嗣の言葉へのうなずき。


そんな収穫のあった日。
明日は博多。おそらく。

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