June 27, 2009

旅について

前エントリの「すきまのおともだちたち」は、「ぼくの小鳥ちゃん」のようなテイストの物語で、言うなれば旅に関する本だった。旅人はいつかは帰らなければならない、そんなの生まれたてのへびの赤ちゃんにだってわかること、なのだそうだ。


旅らしい旅をあまりしてこなかった方だと思うが、それでも旅の思い出というのはある。
旅 と言えるためには、日常を忘却していたことにふと気づき、その日常から離れたことに寂しさに似た戸惑いを感じられることが、少なくとも必要な気がする。だ から、日帰り旅行はあまり旅っぽくないし、近場への旅行もまた旅っぽくない。旅人はいつかは帰るものだというならば、東京生活こそ長い旅だったのかもしれ ない。

思い出深いのは京都。一人で行った、ということも要素なのだと思う。友人の何人かがよくふらりと京都へ行っていた。ある人は寺を巡 ると言ったし、ある人は日がな一日カフェにいると言った。旅ではいろんな過ごしかたができることを知った。それは旅慣れない私にとって新しい視点だった。

夜 行バスを待っていたカフェでの読書。夜行バスに乗り込んだとき、MP3プレーヤーからくるりの「赤い電車」が流れていたこと。結局ほとんど眠れなくて、早 朝の京都駅、漫画喫茶で顔を洗ったこと。早朝の京都タワーがきれいだったこと。朝から人を呼び出してしまったこと。鴨川がすごく長閑で、京都、という気負 いがそこでやっとほぐれた気がしたこと。何をするにも勇気が要って、一人で路上でコロッケを買って食べたり、古い定食屋に入って卵丼を食べたりしたのが精 一杯だったこと。宿が町屋風ドミトリーで、そこのオーナーやスタッフと京都について話したこと(彼は、「京都のカフェで、お冷のおかわりいかがですか、と 言われたらもう出て行けって意味だ」と私に教えた)。絵葉書を書いたこと。橋の上で偶然友人に会ったこと。
いわゆる観光名所にはあまり行っていない。それより関西弁を話す新しい友人と話をすることに没頭していた気がする。
帰りは、よせばいいのに新幹線を使わずにいくつもの電車を乗り継いで帰った。9時間半くらいかかった。ほとんどまどろんでいたが、夢うつつに地方によって変わっていく様子が面白かった。山手線に乗り換えたときの慣れた空気に心から安堵したのを覚えている。


あと、旅とは言いにくいが、東京は中野新橋のゲストハウス(部屋は個室だがキッチンやリビングなんかが共同)に2ヶ月半くらい住んでいた時期がある。住人は頻繁に入れ替わる。2週間以上の長期の滞在用の施設で、普通の宿より割安なのだ。
そ の頃は一人バイトと就職活動をしていて身分も定まらず、狭すぎる部屋と少ない荷物で、今までのコミュニティから外れて(たまに院の友人たちと飲むくらい だった)、よく、私はここで何をしているんだと思った。共用のキッチンがすぐ隣だったので部屋でもあまり落ち着けなくて、よく外へ出ていた。そこで一番居 心地が良かったのは近くにあった「ジニアス」で、よく夕食を食べがてら「ジニアス」で紅茶とハーパーを飲んだ。そうしてジャズに聞き入ってぼんやりしてい るとき、今までの人生からぽつりと離れてしまったような、旅に似た心細さを感じたものだった。


果たして、それらを含んだ東京生活 を終えて沖縄に帰ってきたわけだが、ここが帰る場所だということがはっきりした一方で、またああいう旅に出たいという気持ちが沸く。東京生活が長い旅だっ たと考えることはなんだか納得のいくことで、たくさんの旅人たちを応援したいと思いつつ、少し羨望も覚える今日この頃。

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