June 27, 2009

茶の緑

私も祖母も、一人暮らしをしていたのを引き払って実家で一緒に住むようになったので、うちには家電とか調理器具とかがかぶってある。
オーブンレンジは3つある。ついでにオーブントースターもあって機能がかぶっている。
炊飯器は2つ。ポットも2つ。
でも意外とあればあったで使う。
泡立て器とかおたまとか、計量カップとかボウルとかも2つから5つくらいある。


部屋が2階で階下に降りるのが手間なので、ポットと急須を部屋に持ち込んでいる。ちなみに急須は4つある。
不 思議なことに、実家のやつの方が新しくても、自分が使っていたものの方がいい。いわゆる愛着というやつだ。東京で買った急須は耐熱ガラスでできていて、茶 の色がきれいに見えていい。本当は小さめのガラスの華奢なマグカップもあったのだけど、なにせ華奢ゆえにいつか割ってしまった。

我が家で はいわゆるお茶を飲むという習慣がなかったので、急須は滅多に仕事をしなかった。麦茶は冷蔵庫に冷えていたけど、それはあくまで麦茶だ。紅茶もお客様が来 たときだけだった、気がする。両親は珈琲派だ。かくして、両親それぞれの好きなミルクと砂糖の量を心得た小学生の私は珈琲を淹れる係になったのだった(思 えば結局コーヒーメーカーの普及した今日でも私が珈琲の係だ。自分は飲まないのに)。


緑茶をいつ頃から飲むようになっただろうかと考える。
東 京で初めにお付き合いした人が緑茶を好み、なんだか粉末の緑茶を持っていた。抹茶か。それもまた、縁のないものであった。彼はポットを買った方がいい、と アドバイスした。ポットもまた縁のないものであった。ポットを買わず、お湯すらミルクパンで沸かしていた私に、結局彼は見かねてお下がりでやかんをくれ た。それでも当分緑茶は私の生活に介入しなかった。その間、折角のやかんはほぼ日の目を見なかった。
なんとなくある日羊羹を口にしたくなって(羊羹はじめ和菓子もまた実家では縁がなかった)、和菓子には緑茶だろうと勢い込んで、急須を買ったのだった。そういう人なのだった。



今日の沖縄はまさにシエスタ日和、EGO-WRAPPIN'。

静かめの曲が気分。
昼はBrian Enoの1/1
夜は某Sony君recommendsの、Evening Tone/Kenmochi Hidefumi
あたり。

傍らには緑茶。

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