June 27, 2009

木も河も

きもい、という言葉が褒め言葉である件について。
何にせよそんなにいい言葉ではない、多分。以下頻出するが気分を悪くされないようお願いしたい。

この言葉というのは、ご存知の通り「気持ち悪い」の略語として誕生したのであるが、ただ少しニュアンスが変わってきているなという印象。
でも相変わらず、「きもい」と言われたら、ええ、気持ち悪いの、とショックを受ける層もあるだろうし、というかそっちの方が多数派なのかもしれない。関東と関西で「馬鹿」という言葉の意味が異なるのと似ている。関西ではショックが大きいというよく聞く話。
私 とかは妹とかが使うので慣れた。ていうか私自身たまに言われるので慣れた。言われてわかるのは、あの言葉って結構軽いのだ。あいつら結構気軽に使うのだ。 たとえば数学とか教えていて、姉ちゃんすげーみたいな言葉のあとに「きもい」とか言うのだ。傷ついた、と言えばごめんそうじゃなくて、となる。そういう用 法らしい。

その、少しニュアンスが変わってきてるなと思ったのは、やはり「きもかわいい」という言葉の出現による。きもいけど、かわいい。むしろきもいところがかわいい。つまりはきもいということが一つの個性として認められ、それがなんとなく可愛くみえてきた、そんな感性。

一 般にどう使われているかサンプルとったわけではないので、もう主観甚だしいけれども。私が、おおきもいな、と思う時は大抵「すごいな」のニュアンスを含ん でいる。なんかすごすぎて、それが最早きもいのである。のめり込み過ぎている人、とか、才能が突出している人、とかいうのは、なんかよくわかんないけどす ごすぎるわ、という意味で、人間離れしている、という意味で、きもいのである。気持ち悪いくらいすごいね、という意味で使っている。勿論私はそういう人た ちが大好きである。

勿論、本来の、「気持ち悪い」という意味での用法も生きているとは思うのだが、そもそもそんな意味で使うのは私の趣味ではなくて、大体上述のようなニュアンスで使っている。
そもそもね、そんなこといったら人間なんてみんなきもいのである。

で、小林賢太郎がきもかっこいいというのはそういうこと。なんかすごい。すごくてきもい。きもいところがかっこいい。


余談。
昔、かわいいという言葉がかっこいいという言葉よりもプラスのニュアンスを含んでいるという説を唱えたことがあって。若手弁護士の人たちと飲んだ時にそれを言ったらそれ少数説でしょ、読まなくていい説でしょ、と予備校ライクなことを言われたわけだが、私の中では根強い。
かわいいは愛の対象で、かっこいいは恋の対象である人に使われるのではなかろうかという仮説。異性について使う時。
そ もそも、ずっとかっこいい人なんていないわけで。絶対かっこわるいところがあって。しかし、かっこわるいというのはかっこいいとは相反するけれども、かわ いいには内包されたりもするわけで。だってきもいところがかわいくもなるわけだから、このかわいいという概念はものすごく広い。懐が深い。
つま り、かっこいいの方が確かに希少性はあるんだけれども、かわいいの方が真理であって愛なのだと思う。そしてかっこいいというのは慣れるとあんまりかっこよ くなくなる気がする。(ただ、その一過性のかっこいいを追求していくのもまたよい。かっこいいものもそれはそれで好きである。)

女子高生の使う「かわいい」が話題になったことがあったけれども、私はそれを是としたい。べつに山がかわいくてもパプリカがかわいくてもなんでもいいけど、それはいい感性だと思う。荒んでいない。豊かにすら感じる。

私と妹は、古田新太が押し入れで泣いている姿を、強烈にかわいいと思った。心打たれた。あのおじさんの武器はそこである。おじさんなのにかわいい。おじさんだからかわいい。長州小力にも同じことが言えよう。賛否両論あるのは承知している。あくまで私の感性で。


というなにがしかの主張を縷々。
結局のところ、言いたかったのは、誤解しないでくれということだ。

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