とは、高校の恩師の言葉。
金曜の夜。銀座。
質問し、打ち返され、それを拾い、棚にしまう。
安心と安定と根底。芯からの温かさ。人間への興味。
その棚を見せるということを、たまにする。これは六本木。
リアクションをこねてラベルにし、棚に貼る。はがしたり、棚を統合したり分割したりもする。
以下無断掲載。
自分自身の世界に、間違いや無駄は存在しえない。間違いにしたり無駄にしたりするだけだ。
一般に、正しいか正しくないかは数の原理。
責任感など周囲が僕をコントロールするためのツールにすぎない。
自立している人など一人もいない。自立できるものでもないし、自立しないことに意味がある。
価値は周りが決めるもの。君に決められるものではない。
人間は、必要とされるところに身を投じるものだ。
貢献したいと思うかどうか。
本当に頭のいい人は、経験せずに真理に辿りつける。
真理なんて全然関係なく幸せに生きてる人もいるしそれはそれでいいんだけどね。
イノベーションというのは結果論だ。イノベーションを起こそうと思って起こした人なんていない。信念なんだよ。
以上無断掲載。
話は変わるけれど。
必要とされるということを必要とするという意味において誰かを必要としているというのは、おそろしくエゴイスティックなことだ、私のはおそらくそれだったのだ、という気づき。
今までの恋人だった人々との関係性につき、純然たる好意ではなくてエゴ的なものがいつもあるような気がしていたのはつまりそういうことだ。
必要としてもらえるかどうかは相手に依存する。
自 分には完全にアンコントローラブルだと捉えて割り切る、というのが一つの解であり、コントローラブルだと捉えて努力をするというのも一つの解なのだろうけ ど、おそらくどちらにしても言えるのは、決定権は相手方にあり、そのことについてつべこべ言う権利も考えるメリットもないということだ。
詮無いことをゆるゆると考えることの優雅さ。
金曜の夜はそういう時間と得たり。
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