June 27, 2009

Whiskey and Freedom go hand in hand.

熟撰と竹鶴の翌日。
麻布では焼肉やワインで、麻布なモンスーンの次はコットンクラブでボウモア。
そんな週末。飲みすぎ。

コットンでは大学からの友人すぎてあまりにリラークスで、沈黙は悠久のような。
ボウモアってこんなに華やかだったっけと少し感動し、竹鶴のシンプルさを思う。

酔うということが感性を変える、という実感を話した。友人はあまり酔わないらしく。
どういうことかというと、ひたすら物が生き生きして見えてくる。溶けゆく氷も、友人の煙草の灰も、街燈の下の木々も、あえていえばマンホールの蓋も、植込みの花も、何かを主張してくる。
つまりは人以外、(厳密にいえば人のパーツというか物質としての人は生き生きしてくるけど、)何かその人格的な人間的な思惑的なものがひたすら薄れてくる。
自分が世界に一番近づける時だと思う。まあ単なる酔っ払いなのだが。


土曜は出勤で、その前に先輩とランチへ行き、まったりと休日であることを確かめてから、出社した。数時間ですんだので、お台場を散歩しに行った。
もうさすがに酔ってはいなかったのだが、風の強さとか、椰子的な木の風に吹かれているのとか、久々に聞く葉の戦ぎとか、稼働しているクレーンだとか、何より潮の匂いとか、茫々とした原っぱとか、曇り空の中で輪郭のはっきりした雲だとかを見るにつけ。
そういうのが戻ってきたというか、その状態に戻ったということが安心したというか。

最近沖縄に帰っていた時、前に受験時代にあった感性でなくなってしまっていること、つまりゴーヤーの棚だったり植物のいちいちのディテイルや空の雲に感動しなくなってしまったことをとても残念に思っていたのだった。
それは精神状態が上向きだから、そういったものに感傷的にならないのだろうと結論していた。
それも一つあるかもしれないが(そもそも精神状態は上向いたり下向いたりという一次元では到底結論づけられるものではない)、煩雑な人間関係を整理したというのが大きい気はする。ともあれ凪だなと思う。ベースとして一人は気が楽。幸いにして、好きな友人は多くいるし。

何かを強いることも強いられることも嫌いだ。

日曜は雨。散歩には行けない。

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