June 27, 2009

背のびのこと

ちょっと前まで、結構背のびをしていたなぁと思う。
多分これからもするだろう。

たとえばジャズは、私にとって背のびだった。
今 は、詳しくはないにせよジャズいいなぁと思えるようになったけれど、初めて聴いたときは、聴きどころがいまいちわからなくて。つまりポップスやロックやク ラシックなんかは慣れているから、多分自然と聴くポイントというのが自分なりにあったのだと思う、たとえば声がいいなとか、バイオリンの流れるような音が いいとか、まあいまいち表現しにくいけれど。

ところがジャズときたら私の幼少期には触れたこともない音楽で。別に父も母もジャズを聴かないし、友人だって聴かないし、ジャズの流れる店にもいかないし。
私 の場合はEGO-WRAPPIN'が入口だった、今にして思えば。あれは格好良かったし、割にすんなり来た。ポップスぽくもありボサノヴァぽくもありロッ クな感じもあり、なんというか、まさにジャズへの入り口的な音楽だと思う。ジャズとカテゴライズされるかどうかはよくわからないけど。

ともあれ、ジャズっていうのは敷居が高いと思う。イメージがそもそも、「大人」「バー」「気障」「おっさん」「黒人」「お洒落」「ウイスキー」とかそのへんだ。

大学2年くらいのときに、同じサークルに一人でバーに飲みに行っちゃう文学部の女の子がいた。
彼 女ともう一人服ばかり高いことでサークルでは有名な先輩とで「Nの会」というのを結成していたのだが(単にN響の定期公演を年間チケット買って毎月聴きに 行き、帰りにご飯を食べるだけの会。学生だと席は遠いが一回1000円くらいで聴けてしまう。ABCの三つのコースみたいのがあって、Bだけサントリー ホールでなんか豪華だがACはNHKホールで指揮もだいたいデュポワさんとかで、しかしBはいっぱいだったため断念した。)、その女の子にN響帰りに貸さ れたのがオスカー・ピーターソンの「愛とバラの日々」で。
若かった私は、「Fly me to the moon」くらいしか聞かずに返してしまった(今でもこの曲は大分好き)。
しかし後々良さがわかる。かくしてジャズといえばオスカー・ピーターソン、ジャズといえばピアノになった。


もう一つ背のびをしたのが院時代で、これも年上の友人から、これ!というジャズの名曲ばかりをいくつか教えてもらい、聴いた。
院に入ってから、ジャズのかかる店に連れて行かれたりすることが少し増えて、なじめるようになったのかもしれない。この頃から好んでジャズを聴く。

それからジャズ喫茶にいくつか行き、結局中野新橋の「ジニアス」でゆっくりジャズを聴くことに背のびなしで幸福を見出すようになった。

生演奏で印象的だったのは、自分では絶対行けない、パークハイアットのバーだった。田舎娘に都会の洗練された素晴らしい場所を教えたいという物好きな友人のご厚意にあずかったのだった。


いくつか背のびをテーマに書こうと思ったらジャズ回想録になってしまい。

でも背のびをしてるなぁと思っていても、背のびをしていれば後々その背丈にはなれるのであって、たとえば数年前に背のびをしていなければ今その背丈にあるかはわからないなとか思う。
ということで背のびは推奨。

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